| 1899年7月1日、ニュージャージー州プリンストンでスコットランド出身の中世文学研究者のヘンリー・ジョーンズ(映画ではショーン・コネリーが演じた)の長男として生まれる。 |
| 本名はヘンリー・ウォルトン・ジョーンズ・ジュニア(HenryWaltonJones,Jr.)、愛称は「インディアナ(Indiana)」、略して「インディ(Indy)」。 |
| 「インディアナ」は少年時代に飼っていた犬の名前だが、父から「ジュニア」と呼ばれるのが嫌で、半ば自棄気味にこれを名乗るようになった。 |
| 8歳の時、父、ヘンリーが世界各地の大学で講演するため、母とともに同行。 |
| 2年間に渡り、世界各地を訪れる。 |
| エジプトでは、ハワード・カーターのピラミッド発掘を見学し、父の友人であったT.E.ロレンスから、考古学の手ほどきを受けた。 |
| ロレンスとはその後も交流は続き、後の彼の人生に大きな影響をあたえることとなった。 |
| 1912年、13歳の時、ボーイスカウトの活動で訪れたユタ州の岩山で、コロナードの十字架を盗掘していた一団と対決。 |
| 十字架を奪取し家までたどり着くが、保安官が盗掘団と結託していたため、結局は奪い返されてしまう。 |
| しかし盗掘団のリーダーに度胸を認められ、当人のフェドーラ(ソフト帽の一形態)を与えられる。 |
| またこの逃走劇の途中でサーカス団の列車に乗り込んだ際、無数の蛇がうずめく飼育槽に落ちたり、ライオンを御するためにムチを振るい顎に傷をつけたりした。 |
| この一件を通じて「フェドーラ帽」「牛追い鞭」「蛇嫌い」というスタイルが確立される。 |
| なお、この奪われた十字架は、26年後の1938年に奪還に成功している(『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』)。 |
| 1916年、メキシコに遊びに行った際に、メキシコ革命に巻き込まれ、パンチョ・ヴィラ率いる革命軍にとらわれるも、彼の理想に共鳴、革命軍に参加する。 |
| その際に、第一次世界大戦のことを知り、戦友であったベルギー人、レミーと共にヨーロッパへと渡り、ベルギー人の「アンリ=デファンス」という偽ってベルギー軍に入隊、志願兵として出征した。 |
| 戦地では、ベルダンやソンムなど過酷な戦場を生き延び、勇敢な行動から中尉に昇格するも、アフリカ戦線従軍中に、現地で医療活動を行っていたアルバート・シュヴァイツァーの出会いを機に、最前線で戦闘を行うことに虚しさを覚え、フランス軍の諜報機関に転属し、世界各地での諜報活動を行った。 |
| 第一次大戦後、宝探しを行っていた際、人類学者のブロニスワフ・マリノフスキー博士と出会い、彼の忠告を受け、考古学者になることを決意し、アメリカへ帰国。 |
| 帰国後は、シカゴ大学に入学し、ジャズ・クラブや映画のスタントマンをしながら、学費を稼いだ。 |
| 在学中は友人であるハロルド・オックスリーと共にアブナー・レイヴンウッド教授に師事するも、やがてインディは歴史観の相違からレイヴンウッド教授とは袂を分かつ。 |
| 1920年にシカゴ大学を卒業し、ソルボンヌ大学の大学院に進学した。 |
| (『インディ・ジョーンズ神々の陰謀』)。 |
| その後は、知人であり、博物館館主でもあるマーカス・ブロディの知遇を得、大学教授となる。 |
| 大学では教鞭をとる傍ら、世界各地を冒険。 |
| 1935年、上海でギャング団と争い、逃げのびたインドでは邪教集団から子供たちを救う(『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』)。 |
| 翌年には、アメリカ政府の依頼を受け、聖櫃をナチスから奪還する事に成功。 |
| その際にレイヴンウッド教授の娘であり、かつての恋仲であったマリオン・レイヴンウッドと再会し、彼女をアメリカに呼び寄せる。 |
| (『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』)。 |
| 1938年には、聖杯の捜索を行い、その際に失踪中であり、疎遠だった父、ヘンリーと再会、和解する(『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』)。 |
| 第二次世界大戦中はOSSに在籍し、東南アジアやベルリンなどで数多くの諜報活動に従事する。 |
| この頃、MI6に従事していたジョージ・マックヘイルと出会い、共にドイツ軍のエニグマ・コードを生成する暗号装置を盗むため、ナチスに変装して定期的にコンビを組む。 |
| 数々の功績から、大佐に昇格する。 |
| 戦後、1947年のロズウェル事件に関わるも、再び大学に戻り教鞭をとる。 |
| その後、父や友人であるマーカス・ブロディの死を経験するが、1957年にジャーナリストとなったマリオン・レイヴンウッドと再会し、自らに息子が居ることを知り、マリオンとも和解、彼女と結婚する(『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』)。 |
| その後は、大学を退職し、家族とともに悠々自適な生活を送りながら、時折、講演や執筆活動を行っている。 |