| 長兄のクーパー・マニングも大学までワイドレシーバーとして活躍したが、脊髄損傷のためプロを断念した。 |
| 父と同じミシシッピ大学に進学(兄二人はテネシー大学に進学)し、3年時までは目立った活躍を見せられなかったものの、4年生のシーズンに戦力的に恵まれないチームをボウル・ゲームに勝利するまでに牽引し、翌ドラフトで全体1位の評価を受けた。 |
| 2004年のNFLドラフト全体1位でサンディエゴ・チャージャーズに指名されたが当時弱小チームであったチャージャーズでプレイすることを拒否。 |
| この結果、1時間後にはフィリップ・リバースと翌年のドラフト1巡指名権という条件でジャイアンツにトレードされた。 |
| この一連の騒動におけるマニングの振る舞いは、ドラフト制度やサラリーキャップ制度を設けることでチーム戦力の均衡化を図り、リーグ全体の繁栄を目指すNFLの秩序を乱す我侭な行為だとしてメディアから大きな批判を受けた。 |
| (1983年のドラフト全体1位指名をボルチモア・コルツから受けたジョン・エルウェイも入団を拒否しデンバー・ブロンコス入りした)。 |
| シーズン途中からカート・ワーナーに代わり先発QBを務めたがなかなか勝利をあげることはできず最終週にようやく先発初勝利を挙げた。 |
| 2005年シーズン、チームは地区優勝しプレーオフに進出した。 |
| マニング自身も第4Qに驚異的とも言える粘り強さを何度も見せ、デンバー・ブロンコスとの試合では残り数秒からの逆転劇を演出するなど成長の跡を伺わせたが、シーズン後半に調子を崩し、プレーオフ初戦でカロライナ・パンサーズに敗れ去った。 |
| 2006年シーズン、9月10日の開幕戦でペイトン・マニングのインディアナポリス・コルツと対戦、NFL史上初めて兄弟が先発QBとして対戦した。 |
| 「マニング・ボウル」と銘されたゲームは最終盤に試合を決定づけるインターセプトを与えてしまいチームは21-26で敗れた。 |
| チームはワイルドカードでプレーオフ出場を果たすも、初戦でフィラデルフィア・イーグルスに敗退した。 |
| 2007年シーズン、チームは連敗でスタートし、マニングも序盤の出来は散々だった。 |
| しかし徐々にチーム成績は向上しマニングも成長を見せた。 |
| 最終週にそれまでシーズン無敗のニューイングランド・ペイトリオッツに敗れたがチームはNFC第5シードでプレーオフに進出、下馬評を覆しジェフ・ガルシア、トニー・ロモ、ブレット・ファーヴといったプロボウルQBが率いる強豪を全ての試合において相手QBをパッサーレイティングで上回る活躍を見せて次々と敵地で撃破した。 |
| 第42回スーパーボウルではシーズン無敗で1972年のマイアミ・ドルフィンズ以来となるパーフェクトシーズンを狙うペイトリオッツと再戦した。 |
| この試合で10-14と4点リードされた残り2分42秒で最後のドライブに臨んだ。 |
| 自陣44ヤードまで前進した第3ダウン5ヤード、残り時間1分15秒でのプレーで彼はサックされそうになったがデビッド・タイリーへの32ヤードのパスを通し敵陣24ヤードまでボールを前進させた(EliManningpasstoDavidTyree)。 |
| 4プレイ後残り時間35秒にプラキシコ・バレスへのTDパスを決めて17-14でジャイアンツが勝利し2タッチダウンをあげた彼がMVPに選ばれた。 |
| スーパーボウルの第4Qに2つのTDパスを成功させたのはロジャー・ストーバック(第13回)、ケン・アンダーソン(第16回)、ジョー・モンタナ(第23回)、ジム・ケリー(第26回スーパーボウル|第26回)、ジェイク・デローム(第38回)に次いで史上6人目のことであった(逆転TDパスを決めたのはモンタナに次いで2人目)。 |
| 前年の兄ペイトンに続き、兄弟QBが2年連続でスーパーボウル制覇とMVP受賞を達成するのは、NFL史上初である。 |
| 2008年シーズンはスーパーボウル制覇の活躍がフロックであったかどうか真価が問われたが自己最高のQBレイティング86.4を残しチームは地区優勝を果たした。 |
| しかしプレーオフのイーグルス戦では敵陣20ヤード以内に5回も攻め込んだが1度もタッチダウンを奪うことが出来ずに敗れた。 |
| 2009年8月、ジャイアンツと6年総額9700万ドルで契約延長。 |
| 平均年俸はNFL史上最高の約1530万ドルとなった |
| 2010年、インディアナポリス・コルツと4年ぶりに対戦し2度目の「マニング・ボウル」となったが14対38で敗れた。 |