| リヴァース・クオモが18歳の時、ロックスターを夢見てロサンゼルスに行くが、すぐに挫折。 |
| 2月14日、同じ様にロサンゼルスに来たマット・シャープ、パトリック・ウィルソン、ジェイソン・クロッパーとWeezerを結成。 |
| 1年強、ロサンゼルスで活動する。 |
| 3月、Weezerの初演奏。 |
| HollywoodBoulevard(ハリウッド大通り)にある「Raji'sBar」で、「Dogstar」(キアヌ・リーブスが所属するバンド)のオープニングアクトを務める。 |
| 6月、DGCレコード(当時ゲフィン・レコード傘下)と契約し、ニューヨークへ移り、TheCars(カーズ)のリック・オケイセックをプロデューサーに迎えてレコーディングを行う。 |
| 5月10日、1stアルバム『Weezer』(TheBlueAlbum)で全米メジャーデビューし、グラミー賞、MTVビデオ・ミュージック・アワーズ賞等を受賞。 |
| 300万枚を売り上げる。 |
| 3月、1stアルバム『Weezer』が日本で発売される。 |
| 8月、MicrosoftWindows95発売。 |
| 『BuddyHolly』のミュージックビデオが付録。 |
| 9月24日、2ndアルバム『Pinkerton』がアメリカで発売。 |
| アメリカでは当時50万枚しか売れず失敗作扱いであったが、その後再評価される。 |
| 9月21日、日本でPinkertonが発売される。 |
| Pinkerton発表後、ピンカートン探偵社からタイトルが原因で訴えられるが、タイトルはオペラ『蝶々夫人』から拝借したものであるため、探偵社は訴えを取り下げた。 |
| リヴァースはハーバード大学に進学する為、ボストンに移る。 |
| ボストンでマイキー・ウェルシュと出会い、意気投合。 |
| リヴァースの心の支え、マット・シャープがTheRentals(ザ・レンタルズ)の活動に専念する為脱退。 |
| マットが抜けた事によりリヴァースが落ち込み、解散状態になる。 |
| マットの後任にマイキー・ウェルシュが加入。 |
| 2月21日-3月18日、アメリカでツアーを行う。 |
| 8月6日、サマーソニックに参加。 |
| 5月15日、ゲフィンより3rdアルバム『Weezer』(TheGreenAlbum)を発表。 |
| 6月22日、ワープドツアー(VANSWARPEDTOUR)に参加。 |
| 7月-8月、マイキー・ウェルシュが自主的に精神病院へ入院する。 |
| 夏、スコット・シュライナー加入。 |
| 5月14日、4thアルバム『Maladoit』を発表。 |
| 日本では2002年5月9日。 |
| 8月、サマーソニックに参加。 |
| 5月10日、プロデューサーにリック・ルービンを迎え、5thアルバム『MakeBelieve』を発表。 |
| 後にプラチナアルバムに認定される。 |
| 7月、LOLLAPALOOZA2005シカゴツアーに参加。 |
| 8月、サマーソニックに参加。 |
| 8月15日、ZEPP東京にて単独ライブを行う。 |
| 12月、weezerjapantour2005を開催、来日する。 |
| (リヴァースが来日の際に、「来年、日本人と結婚する」と話す)。 |
| 5月16日、『BeverlyHills』が全米カレッジ・ラジオ局で最多オンエア回数を稼ぎ、「CollegeSongOfTheYear」を受賞する。 |
| 6月8日、リヴァースがハーバード大学を卒業、英文学士号を取得。 |
| 6月、リヴァースが長年交際していた日本人女性と結婚する。 |
| 6月4日、DGC/インタースコープより6thアルバム『Weezer』(TheRedAlbum)を発表。 |
| 7月26日、フジロックフェスティバルの最終日に、ヘッドライナーとして来日した。 |
| 10月28日、7thアルバム『Raditude』を発表。 |
| 9月14日、インディー・レーベルのエピタフ・レコード移籍第1弾アルバム『Hurley』を発表。 |
| 11月3日、未発表曲集『デス・トゥ・フォルス・メタル~レア・トラック貯蔵庫』とセカンドアルバム『ピンカートン』のデラックス・エディションを同時発売。 |