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プロフィール
- エトムント・フッサールとは
- 概要
- 生涯
- ハレ大学時代(1886年 - 1901年)
- ゲッティンゲン大学時代(1901年 - 1915年)
- フライブルク大学時代(1916年 - 1928年)
- 退官後、ナチスの台頭
- 前期(記述的心理学としての現象学)
- 中期(超越論的現象学)
- 現象学的還元(超越論的還元及び形相的還元)
- ノエシス/ノエマ
- 本質直感
- 後期(発生的現象学)
- 生活世界
- 主な日本語訳
- 関連サイト
エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール(EdmundGustavAlbrechtHusserl、IPA:、1859年4月8日-1938年4月27日)は、オーストリアの数学者・哲学者である。古くはフッセル、フッセルルとの表記も。
概要
| ウィーン大学で約2年間フランツ・ブレンターノに師事し、ハレ大学、ゲッティンゲン大学、フライブルク大学で教鞭をとる。 |
| 初めは数学基礎論の研究者であったが、ブレンターノの影響を受け、哲学の側からの諸学問の基礎付けへと関心を移し、全く新しい対象へのアプローチの方法として「現象学」を提唱するに至る。 |
| 現象学は20世紀哲学の新たな流れとなり、マルティン・ハイデッガー、ジャン=ポール・サルトル、モーリス・メルロー=ポンティらの後継者を生み出して現象学運動となり、学問のみならず政治や芸術にまで影響を与えた。 |
| フッサールの目標は、「事象そのものへ」()という研究格率に端的に表明されている。 |
| つまり、いかなる前提や先入観、形而上学的独断にも囚われずに現象そのものを把握して記述する方法をフッサールは求めたのである。 |
| その過程で、フッサールの「現象学」の概念も修正されていった。 |
| 下記においては、フッサールを活動時期によって1.前期2.中期と3.後期の3つに分け、各々の時期に考案された主要な概念を取り上げて叙述する。 |
生涯
| ;1859年:オーストリア帝国(現チェコ共和国)のプロスニッツにユダヤ系織物商の子として生まれる。 |
| ;1876年:オルミュッツのギムナジウム(高等中学校)を卒業。 |
| ライプツィヒ大学で三学期間数学・物理学・天文学・哲学を学ぶ。 |
| ;1878年:春からベルリン大学のカール・ワイエルシュトラス、レオポルト・クロネッカーのもとで数学の研究を続ける。 |
| ;1881年:ウィーン大学へ移る。 |
| ;1883年:「変分法」に関する数学論文で学位を取得。 |
| ベルリンへ戻り、ワイエルシュトラスの助手となる。 |
| 一年間の兵役を務める。 |
| ;1884年:冬から二年間(四学期間)ブレンターノに師事し、強い影響を受けて専攻を哲学に変える。 |
ハレ大学時代(1886年 - 1901年)
| ;1886年:ブレンターノの推薦で心理学者のシュトゥンプがいるハレ大学へ行く。 |
| ;1887年:教授資格論文「数の概念について―心理学的分析―」により教授資格を取得。 |
| この論文が、のちに出版される『算術の哲学』のもとになる。 |
| ;1891年:『算術の哲学―論理学的かつ心理学的研究―』第1巻。 |
| ゴットロープ・フレーゲ、パウル・ナトルプから心理学主義を批判される(フッサール自身もこの批判を受け入れ、心理学主義的な考えを捨てたため第二巻の出版は断念され未完)。 |
| ;1900年:『論理学研究』第1巻「純粋論理学序説」。 |
| 『算術の哲学』から一転して心理学主義に徹底した批判を加える(1913年の第2版でも大きな改訂はない)。 |
| ;1901年:『論理学研究』第2巻「現象学と認識論のための諸研究」。 |
| ナトルプやヴィルヘルム・ディルタイから好評を博し、当時ミュンヘン大学にいた若手心理学者たちがこれを読んでフッサールのもとへ走り、「ミュンヘン現象学派」を形成する。 |
| 6つの研究からなるこの第2巻は2部に分けられており、第1部(第1~第5研究)は1913年に、第2部(第6研究)は1921年にそれぞれ第2版が出るが、この増補改訂の中でフッサール自身の現象学についての考え方が大きく変化しているため(1913年は『イデーン』I出版の年でもある)、フッサールを理解するための難点の一つとなっている。 |
ゲッティンゲン大学時代(1901年 - 1915年)
| ;1901年:助教授としてゲッティンゲン大学へ招かれる。 |
| 後を追ってきたミュンヘン現象学派の面々も加え、新たに「ゲッティンゲン現象学派」が形成される。 |
| ;1904年:冬学期に『内的時間意識の現象学』講義(1928年参照)。 |
| ;1905年:夏、弟子たちを連れてアルプス山中インスブルック近郊のゼーフェルトへ行き、研究会を開く。 |
| ここで書かれた原稿は「ゼーフェルト草稿」と呼ばれ、『フッサリアーナ』(フッサールの全集)第10巻に収録されている。 |
| ;1906年:正教授に昇進。 |
| ;1907年:夏学期に『現象学の理念』講義(死後『フッサリアーナ』第2巻として刊行される)。 |
| ここで「現象学的還元」の思想が明確に打ち出される。 |
| ;1911年:哲学雑誌『ロゴス』の創刊号に『厳密な学問としての哲学』を発表。 |
| ;1913年:現象学派の研究機関誌『哲学および現象学的研究年報』(以下『年報』)を創刊。 |
| 1930年までに全11巻が刊行される。 |
| この創刊号に『純粋現象学および現象学的哲学のための諸考案(イデーン)』Iを発表。 |
| 現象学の確立を世に知らしめる。 |
フライブルク大学時代(1916年 - 1928年)
| ;1916年:ハインリヒ・リッケルトの後任としてフライブルク大学哲学科の正教授となる。 |
| 『イデーン』II、IIIのための草稿や、『第一哲学』『現象学的心理学』『受動的綜合』などを執筆するが、いずれも刊行されるのは死後のこととなる『イデーン』II、III草稿はIの公刊時にはすでに執筆を終えていながらその後も推敲を重ね続けていたともいわれる。 |
| 現在は『フッサリアーナ』第4、5巻に収録。 |
| ;1919年:ハイデッガーが助手となる。 |
| ;1927年:ハイデッガーの『存在と時間』を読み、自分の後継者とも目していたハイデッガーの考え方に自分との相違を感じ始める。 |
| 大英百科事典の依頼を受けて新項目「現象学」を執筆することになり、協力者として(また、共同作業を通じて見解の相違を埋めるため)ハイデッガーを指名するが、結果として完全に相容れないものが明らかになり、一人で仕上げることとなる(この新項目のための原稿は「ブリタニカ草稿」と呼ばれている)。 |
| ;1928年:1905年冬学期の講義『内的時間意識の現象学』がハイデッガーによって手稿から編集され、『年報』第9巻に発表される(フッサールとハイデッガーはすでに決裂していたが、関係修復の望みがまだフッサールの側に残っていた前年に依頼したものである)。 |
| この年をもってフライブルク大学を定年で退官。 |
| 後任には、決裂してもなおフッサールの強く推薦したハイデッガーが就任する。 |
退官後、ナチスの台頭
| ;1929年:弟子たちの手で70歳記念論文集として『年報』別巻が出版される。 |
| 自身も『年報』第10巻に『形式論理学と超越論的論理学』を発表。 |
| これに関連した手稿が死後(1938年)に『経験と判断』として編集、出版される。 |
| ソルボンヌ大学へ招かれてデカルト講堂で「超越論的現象学入門」と題した講演を行う。 |
| ;1930年:『年報』第11巻(終刊号)に「『イデーン』へのあとがき」を発表。 |
| ;1931年:ソルボンヌ講演を敷衍し、後期の代表作となる『デカルト的省察』として出版。 |
| ;1933年:ヒトラー政権成立。 |
| このころにはすでに国際的な名声も高まり、欧米各国ではアカデミー名誉会員に推されたりもしていたが、ドイツ国内ではユダヤ人であったため活動を極度に制限される(教授資格剥奪、大学構内への立入禁止、国内での全著作発禁、海外の国際哲学会議への参加不許可など)。 |
| このためフッサールはほとんど毎日を書斎の中で過ごし、1日10時間を執筆に充てていた。 |
| しかもフッサールは速記を学んでいたので、1938年に亡くなるまでに残された未発表草稿は45000ページにも及んだ。 |
| ;1935年:5月、ウィーン講演「ヨーロッパ人類の危機における哲学」。 |
| 11月、プラハ講演「ヨーロッパ諸学の危機と心理学」。 |
| ;1936年:1935年の2講演をもとに『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』第1・2部を完成させ、政府の目を潜り抜けるためベオグラードの雑誌『フィロソフィア』に発表(第3部は死後刊行)。 |
| ;1938年:4月27日、歿。 |
| 45000ページに及ぶ草稿はベルギーの神父ファン・ブレダの手によってナチスの検問を逃れ、「フッサール文庫」としてルーヴァンに保管されている。 |
前期(記述的心理学としての現象学)
| 前期を代表する著書は『論理学研究』であるが、フッサールが著作活動を始めた19世紀のヨーロッパは後に「科学の世紀」、「歴史の世紀」と呼ばれる時代であった。 |
| ガリレオ・ガリレイによって物理学の基礎付けに数学が導入されて以降、自然科学は飛躍的に発展する一方で、哲学は「大哲学」の地位を追われて、新○○派といった様々な哲学的立場が乱立してそれぞれの世界像が対立していたため、諸学の学問的基礎付けを求めて様々な研究が進められていた。 |
| そのような時代背景の下で、特に数学・論理学の領域で、心理学主義・生物学主義的な、心理的現象から諸学を基礎付けようとする「発達心理学」が席巻していた。 |
| 心理学主義とは、あらゆる対象の基礎を心理的な過程に基づけようとする試みである。 |
| 数学の研究者から出発したフッサールの関心も当初は心理学から数学を基礎付けようとするものであり、『算術の哲学―論理学的かつ心理学的研究―』はそのような立場から書かれた著書である。 |
| そこでは心理学という「一つの理論」が前提とされており、そのような方法では現象そのものを直接把握することができないとフッサールは考えた。 |
| フッサールは、フランツ・ブレンターノの「志向性」(:de:Intentionalitat)の概念を継承し、現象によって与えられる心的体験を直感的明証的に把握し、あらゆる前提を取り払った諸学の学問的な基礎付けを求めた。 |
| ブレンターノは、物理的原因から心理現象が発生することを理論的に説明する「発達的心理学」を批判して、心理現象が対象への「志向性」を持つ点で物理現象と区別されるとして「記述心理学」の立場を明らかにした上で、「意識」が必ず対象を指し示すことを「志向的内在」を呼んだ。 |
| そこでは、デカルト的な心身二元論のように、「意識」がまず存在し、その後で対象が確認されるのではなく、「意識」と「対象」が常に相関関係にあるとされる。 |
| ブレンターノの記述的心理学においては、志向対象とその「内容」が区別されていなかったが、フッサールは、意識から生まれ出でる「内容」に関して対象をとらえた。 |
| 矛盾や背理法といった論理学の概念や法則は、いつでも、だれでも、どこでも、普遍的に共通するというイデア的な意味を有している。 |
| したがって、論理学の諸概念や諸法則のイデア的な意味をすべて取り出すためには、前提となりうるすべての理論を取り払った「直感」によって把握するしか方法がなく、その直感も完全に展開された明証的なものでなければならない。 |
| 純粋論理学が成立するためには、それが認識論によって基礎付けられていなければならない。 |
| そのためには、現象学的な分析が必要であり、事あるごとに常に「事象そのものへ」へ立ち返り、繰り返し再生可能な直感との照合を繰り返すことによって、イデア的意味の不動の同一性を確保するために不断に努力しなければならないとし、そのために記述的心理学には「現象学」が必要であるとしたのである。 |
中期(超越論的現象学)
| フッサールは『論理学』において現象学を記述心理学と位置づけてあらゆる前提を取り払った純粋記述として自我の心理作用を記述しようとしたのであるが、それでもなお意識を自我の心理作用として解釈する心理学的な「一つの解釈」を前提にしており、心理学主義との批判を受ける余地があった。 |
| そこで、フッサールは、そのような解釈も含めて全ての解釈を遮断する方法として「現象学的還元」を、現象学的還元を方法として得られる個々の純粋現象の本質構造を明らかにする方法として「本質直感」が必要となるとするに至った。 |
現象学的還元(超越論的還元及び形相的還元)
| このような問題を扱うために、フッサールは世界関心を抑制し、対象に関するすべての判断や理論を禁止する(このような態度をエポケーという)ことで意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。 |
ノエシス/ノエマ
| したがって、純粋意識の純粋体験によって得られる純粋現象も志向的なものであり、このような志向的体験においては、意識の自我は、常に○○についての意識として、意識に与えられる感覚与件を何とかしてとらえようとする。 |
| フッサールは、ギリシア語で思考作用をさす「ノエシス」と、思考された対象をさす「ノエマ」という用語によって、意識の自我が感覚与件をとらえようとする動きを「ノエシス」、意識によって捉えられた限りの対象を「ノエマ」と呼んだ。 |
本質直感
| 現象学的還元によって得られる純粋現象は、あらゆる学問的解釈のみならず、一般的な人間の日常的な自然的態度さえも遮断して得られるものであるが、それだけでは個々の諸現象が得られるだけである。 |
| フッサールは、既に『論理学研究』において、感覚的直感を超える直感があることを論じているが、本質的直感とは、知覚された個別の対象をモデルとして、それを超えて諸対象に共通の普遍的な本質を取り出して、「原本的に与える」直感とされる。 |
| 現象学的還元によって得られた志向的諸体験のノエシス/ノエマ的類型的構造の本質を直感するところにより記述すると、現象学的還元によっていったんは遮断された自然的世界及び全ての理念的諸世界の対象を純粋意識が自分の中で「世界意味」として構成することになる。 |
| このような純粋意識は、すべてを超え出た「超越論的に純粋な意識」ないし「超越論的意識」と呼ばれ、以上のような反省を得た「超越論的現象学」は、デカルト以来の二元論の持つ問題、主観的な認識主体が自己を超え出た客観的世界をどのように認識し得るのかという難問を解決した上で、正しく認識論的に基礎づけることによってあらゆる諸学の基礎付けるものとなるのである。 |
後期(発生的現象学)
| 後期思想の集大成とよぶべき著作が『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』であり、『デカルト的省察』にその思想的転換が認められるとされる。 |
| そこでは、超越論的現象学によって明らかにされた個々の純粋意識の志向的体験を超えて、それに先立って存在する「先所与性」が存在し、それが発生する起源まで遡らなければ世界構成を徹底的に明らかにすることはできないとされ、超越論的現象学の「生態的現象学」から「発生的現象学」への段階移行が説かれた。 |
生活世界
| 『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』において、フッサールは、普遍的な本質認識を求める真の学は、古代ギリシアにおいて、理性によって世界の全体を体系的に把握する普遍学として原創設されたとする。 |
| フッサールは、超越論的現象学によって「すべての客観的学問」をエポケーして生活世界を取り戻すことを主張したのである。 |
主な日本語訳
| 『現象学の理念』 長谷川宏訳、作品社、1997年。 |
| 『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 細谷恒夫・木田元訳、中公文庫、1995年。 |
| 『イデーン I.II.III』 渡邊二郎・立松弘孝ほか訳 みすず書房、I.IIは各2冊組で計5冊。 |
| みすず書房での訳本は、他に『内的時間意識の現象学』、『現象学の理念』、『論理学研究』(全4巻)。 |
| 『フッサール書簡集 1915‐1938』 桑野耕三・佐藤真理人、せりか書房、1982年 弟子でポーランドの芸術哲学者ローマン・インガルデン(1893-1970)あての書簡集。 |
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1913年
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第2部(第6研究)は1921年にそれぞれ第2版が... |
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1938年
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『経験と判断』として編集、出版される |
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