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プロフィール
- エース・フレーリーとは
- 経歴
- キッスへの加入
- キッスデビューから脱退まで
- ソロ活動
- キッス再結成とその後
- キッス名義
ポール・ダニエル・フレーリー(PaulDanielFrehley 1951年4月27日-ニューヨーク・ブロンクス出身)は、アメリカ合衆国のギタリスト。1974年のデビュー以来、 エース・フレーリー(AceFrehley)の名で活動している。ロックバンド、 キッスの創設メンバーでリードギターをつとめ、1973年のバンド設立とともに参加し、1982年に脱退した。 キッスからの脱退後はソロ活動を行っていたが、1996年にオリジナル・メンバーでの再結成ツアーに参加、大成功を収めた。2002年のFarewellTour(お別れツアー)終了とともに再結成 キッスから脱退。ローリング・ストー ...
経歴
| 3人の兄弟の三男として誕生。 |
| 若い頃はニューヨークのストリートギャング、ダッキーズ(Duckies)にスティーヴン・エドワード・ダレン(通称:ブラッキー・ローレス;後のヘヴィメタルバンドW.A.S.P.のボーカリスト)とともに加入していた。 |
| フレーリーの家庭は音楽一家で、1964年に、彼はクリスマスプレゼントとして、エレクトリックギターをもらった。 |
| エースは、ギターの練習に夢中になった。 |
| 後に、フレーリーは影響を受けたギタリストとして、ピート・タウンゼント、ジェフ・ベックを挙げているLeaf,DavidandKenSharp.''KISS:BehindtheMask:TheOfficialAuthorizedBiography'',WarnerBooks,2003.ISBN0-446-53073-5。 |
| フレーリーのバンド、カセードラル(Cathedral)がコンサートを開き、稼ぎ始めると、高校を退学してしまう。 |
| 家族と恋人からの説得により、フレーリーはほどなくして学業に戻り、卒業認定を得た。 |
| 高校卒業の後、郵便配達や家具配達、メッセンジャー、酒屋の配達など、短期の職を転々としたLeaf,DavidandKenSharp.''KISS:BehindtheMask:TheOfficialAuthorizedBiography'',WarnerBooks,2003.ISBN0-446-53073-5。 |
キッスへの加入
| 1970年代前半にフレーリーはいくつかのバンドを渡り歩いたが、ほとんど成功しなかった。 |
| 1973年1月に、フレーリーは親友のボブ・マクアダムスから、''VillageVoice''誌にロックバンドのメンバー募集の広告が出ていると知らされる。 |
| ボブとエースは、試しにオーディションを受けることにし、広告に書かれていたとおり、ニューヨーク市東23ストリート10番地にあるLiveBaitBarへ行った。 |
| そこで、広告を出していたポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、ピーター・クリスの3人のオーディションを受けた。 |
| フレーリーは片足に赤のスニーカー、もう一方にオレンジのスニーカーを履いており冴えない姿だったGordonG.G.GebertandBobMcAdams:Kiss&Tell.ISBN0-9658794-0-2が、メンバー達はその演奏に感銘を受けた。 |
| オーディションの3週間後、メンバー達は彼をバンドのリードギタリストに迎えいれた。 |
| 1973年中ごろまでには、まだ名前のなかったバンドの名前をキッス(Kiss)に決定した。 |
| フレーリーは、キッスの特徴的な2つの稲妻状の形をかたどったロゴマークをデザインしたナチス親衛隊のSSのロゴにヒントを得たのではないかと言われているが、フレーリーはこれを認めたことはない。 |
| さらにバンドはすぐにライブパフォーマンス用に象徴ともなった顔のペイントを施すことを決め、フレーリーはシルバーの星を目の周りにかたどったペイントにすることとした。 |
| その後キッスは、ステージ上での各メンバーのキャラクタを顔のペイントに応じたものとすることとし、フレーリーはジェンダル星からやってきた宇宙からの訪問者"SpaceAce"というニックネームを得る。 |
| これが、エースというニックネームの始まりである。 |
| バンドの初期には空席のクラブでリハーサルと演奏を繰り返す傍ら、フレーリーはパートタイムでタクシードライバーをして収入を得た。 |
| 1973年9月にはキッスは新しいマネージャ、ビル・オーコインから各メンバーあたり週に75ドルの給料を得られるようになった。 |
| これをもってフレーリーは兼業をやめた。 |
キッスデビューから脱退まで
| キッスはデビューアルバム『Kiss』を1974年2月にリリースした。 |
| フレーリーの単独作曲作「ColdGin」も収められていた。 |
| フレーリーは自身の歌声に自信を持てなかったため、ボーカルはベース・ギターのジーン・シモンズが務めた。 |
| フレーリーは以降数年に渡って、単独もしくは共同でバンドの楽曲を制作していったが、1977年リリースの『LoveGun』における「ShockMe」(自身のコンサート中の感電事故にアイデアを得て制作した曲)に至るまで自身の歌声をレコーディングすることはなかった。 |
| リードギタリストとしてのフレーリーは、荒々しくも情感的な演奏で知られ、1970年代のもっとも人気のあるギタリストのひとりとなり、多くの新世代プレーヤーたちに影響を与えた。 |
| 書籍「Kiss:BehindtheMask」の中でフレーリーは多くのギタリストたちにヒット作『Alive!』でのフレーリーの演奏がギターを取るきっかけになったと言われたという経験を披露している。 |
| 他の3名のキッスのメンバーとともに、フレーリーは自身の名を冠したソロアルバムを1978年にリリースした。 |
| このアルバムはメンバーたちのソロアルバムの中でもっとも売れた作品となり、アルバムから収録曲からのシングル(ラス・バラードが書いた「NewYorkGroove」)は全米トップ20に達した。 |
| 1979年にはフレーリーの作曲面での存在感はグループ内でも増してきて、1979年発表の『Dynasty』には2曲のオリジナル曲と1曲のカバー曲(ローリング・ストーンズの「2000Man」)を、1980年発表の『Unmasked』には3曲のオリジナル曲を提供した。 |
| しかしこの間、商業面ではキッスは米国内での全盛期とは遠く、他の諸国(特にオーストラリアでは、DynastyとUnmaskedは彼らのアルバムの最大のヒットを記録した)にと活動の場を移し始めていた。 |
| キッス内でのフレーリーの作曲の役割が強まってはいたが、自身とバンドの音楽の方向性の違いに悩み始めていた。 |
| 1980年にピーター・クリスがキッスを脱退すると、代わりに加入したドラマーのエリック・カーは正式メンバーとならず、賛否をつけられなかったため、フレーリーはしばしばバンドでの方針決定をする際に2対1で多数決の少数側となることが多くなった。 |
| 1981年の『Musicfrom"TheElder"』のレコーディングでは、以前のアルバムよりもフレーリーの参加はさらに限られたものとなっていた。 |
| その理由は大きくはフレーリーが、普通のロックアルバムではなくコンセプト・アルバムを作るというバンドの方針に不満を感じていたためであった。 |
| さらに状況を悪化させたのは、フレーリーのきまぐれな行動と薬物の乱用であった。 |
| 1982年4月に彼は深刻な自動車事故を起こした(運転していたのはアントン・フィグであったが)。 |
| 5月にはブロンクス・リバー・パークウェイにおいて時速145kmの運転で警察とのカーチェイスを繰り広げた。 |
| この事件で600ドルの罰金と6ヶ月の運転免許停止処分を受けたGill,Julian.''TheKISSAlbumFocus,Volume1(3rdEdition)''.XlibrisCorporation,2005.ISBN1-4134-8547-2。 |
| フレーリーは1982年発表のベストアルバム『Killers』および同年発表のスタジオアルバム『CreaturesoftheNight』のジャケットに顔を出したものの、両作品の制作には関わらなかった。 |
| フレーリーのバンドとの共演は、「ILoveitLoud」用のビデオ、1982年11月のヨーロッパでのプロモーション活動、そして1983年初頭のバンドの世界ツアーのプロモーション用にMTVのバンドインタビューに出演したのが最後であった。 |
ソロ活動
| 1983年3月時点でフレーリーは既にキッスの正式メンバーではなくなっていた(1982年12月の『CreaturesoftheNight』ツアー開始当初から後任としてヴィニー・ヴィンセントが加入した)が、1984年半ばまでキッスの契約上の4分の1のシェアを有していた。 |
| 法的ならびに金銭的な問題を避けるため、彼はこの契約が切れるまで、ソロ活動を始めなかったGill,Julian.''TheKISSAlbumFocus,Volume1(3rdEdition)''.XlibrisCorporation,2005.ISBN1-4134-8547-2。 |
| 1984年にフレーリーはキッス脱退後のソロ活動として、ドラマーのアントン・フィグ(1978年のエースのソロアルバムと2つのキッスのアルバムで共演)を含むメンバーを迎えてバンドを結成した。 |
| エースと1980年に面識を得ていたベーシストのジョン・レーガン(それまでピーター・フランプトンと活動)もこのバンドの結成メンバーとなったGill,Julian.''TheKISSAlbumFocus,Volume1(3rdEdition)''.XlibrisCorporation,2005.ISBN1-4134-8547-2。 |
| バンド名としては'AceFrehley'もしくはFrehley'sCometの名を用い、1984年から1985年にかけて一連のデモ作品を録音した |
| レコーディング契約の獲得に何度か失敗した後、グループはメガフォース・レコードと契約し、『Frehley'sComet』と題するアルバムを1987年7月7日にリリースした。 |
| このアルバムはエディー・クレイマー(キッスのアルバム複数作の制作を担当した他、フレーリーの1978年のソロアルバム制作や1984-85年のデモ版にも関与)との共同制作で発表した。 |
| 『Frehley'sComet』の発表前には、アントン・フィグがバンドを脱退し、デイヴィッド・レターマンのテレビ深夜番組用のスタジオドラマーに転向したものの、アルバムでは演奏を行っている。 |
| また彼はフレーリーのバンドがY&Tと倍額での契約に成功すると、1987年の米国でのツアーにも参加した。 |
| このツアー時には(当時の)新人バンド、ホワイト・ライオンがオープニングを務めた。 |
| 『Frehley'sComet』はハードロックとポップメタルを合わせたような作品で、フレーリーを音楽シーンに引き戻す成功をもたらした。 |
| このアルバムはビルボード200で最高43位を記録し、約50万枚を売り上げGill,Julian.''TheKISSAlbumFocus,Volume1(3rdEdition)''.XlibrisCorporation,2005.ISBN1-4134-8547-2、シングル曲「RockSoldiers」はメインストリーム・ロック・トラックスのチャートで最高27位を記録した。 |
| 「RockSoldiers」はフレーリーの自伝的楽曲で、一部には彼の1982年4月の交通事故についても触れている。 |
| 「RockSoldiers」のビデオはMTVで中程度の放送を受け、特にMTVHeadbangersBallでよく流された。 |
| 1988年発表のFrehley'sCometの2つのアルバム、ライブEP『Live+1』と2枚目のスタジオアルバム『SecondSighting』はそれぞれ84位、81位に終わった。 |
| アリス・クーパー、アイアン・メイデンそれぞれのサポートに回った2回のツアーは早々と終了し、どちらの場合でも報酬が払われなかったとバンドは不満を口にした |
| バンドの商業的成功に向けて起死回生を図るため、彼はFrehley'sCometの名をやめ、1989年に『TroubleWalkin'』を自身の名で発表した。 |
| より伝統的なハードロックスタイルに戻ったものの、『TroubleWalkin'』は売り上げを盛り返すことは無く、最高102位に終わった。 |
| 『TroubleWalkin'』の特筆すべき点はピーター・クリスのゲスト参加であり、「2Young2Die」のボーカルを務めた。 |
| クリスとフレーリーの共演は、1987年にロサンゼルスでのFrehley'sCometのライブに少しだけ顔を出し「Deuce」のアンコールでドラムを叩いて以来だったが、アルバム作品での共演となるとキッスの1979年のアルバム『Dynasty』以来のことであった。 |
| フレーリーがキッス(特にジーン・シモンズ)とは1980年代を通じてプロモーション面でのつながりとしての関係であったのに対し、クリスとフレーリーの関係はこの期間において比較的良好な関係を保っていた。 |
キッス再結成とその後
| BadBoysTourの開始から数ヶ月して、フレーリーとクリスはキッスとともに1995年8月8日のMTVアンプラグドで共演した。 |
| これは1979年のDynastyツアー終了以降、公の場でキッスのオリジナルメンバーの初共演となった。 |
| 1996年1月にフレーリーは、再結成に備えて形成外科手術を受けた |
| 1996年2月28日、キッスのオリジナルメンバーがそのメイクアップとコスチュームでグラミー賞会場に現れ、スタンディングオベーションを受けた。 |
| 4月16日にイントレピッド上でプレス発表を行い、キッスは再結成と、ツアーの計画について公式発表を行った。 |
| Alive/WorldwideTourは6月28日のミシガン州デトロイトのタイガー・スタジアムで開幕した。 |
| PsychoCircusツアーが1998年11月12日に始まった(これより前、10月31日のドジャー・スタジアムでのハロウィーンショーで数曲を演奏する複数回線同時中継ライブをFOXのMadTVで流した)。 |
| フレーリーのキッスでの最後の演奏は2002年2月24日、ソルトレイクシティオリンピックの閉会式での演奏であった。 |
| フレーリーが抜けたあとまもなく、これまでキッスと様々な形で関わりAlive/Worldwideでのフレーリーの演奏のためにギターパートの再教育を行ったトミー・セイヤーが後任となり、キッスがフレーリーのメーキャップ・コスチュームデザインの著作権を有していたため、セイヤーは2代目"Spaceman"となった。 |
| フレーリーのギター演奏スタイルはジミー・ペイジ、エリック・クラプトンの影響を受けたものだが、彼はそのビジュアルだけでなく、ギターのピックアップからスモークを出し、ギターヘッドからスパーク・ロケットなどが飛び出ることでも知られる。 |
| 1990年代半ばには、ギブソン社からフレーリー用レスポールの特別版が発売し(フレーリーはキッス結成当初からレスポールを使用)、ヘッド部に有名なSpaceAceの顔をペイントし、ネック部にキッスのロゴ風の稲妻マークを象眼ではめ込んでいる。 |
| フレーリーは、ハワード・スターンのPPV番組に2005年に出演した際、自身がキッスを脱退したのは少なくとも部分的にはシモンズとスタンレーがエアロスミスの前座をやりたがり、実際に1974年の3月24日と4月7日に前座を務めたからだと述べた。 |
| ジョー・ペリーはツアーの終盤で2回「Strutter」で共演し、キッスのメンバー以外では唯一ステージ上でキッスと共演した者となった。 |
| フレーリーはスターンの番組に自身の映画『Remedy』のDVDリリースについて話をするつもりで出演したが、スターンはキッスの話をし続けたため、フレーリーのマネージャが番組に電話し、キッスに対する言及は「エースを立腹させる」と述べた。 |
| (TVドラマミレニアムでの端役や映画『KissMeetsthePhantomofthePark』での自身の役を考慮に入れないとすると)2005年に独立系の刑事もののドラマ映画『Remedy』でデビューした。 |
キッス名義
| Kiss(1974年2月18日)。 |
| HotterThanHell(1974年10月22日)。 |
| DressedtoKill(1975年3月19日)。 |
| Alive!(1975年9月10日)。 |
| Destroyer(1976年3月15日)。 |
| RockandRollOver(1976年11月11日)。 |
| LoveGun(1977年6月30日)。 |
| AliveII(1977年11月29日)。 |
| AceFrehley(1978年9月18日)。 |
| Dynasty(1979年5月23日)。 |
| Unmasked(1980年5月20日)。 |
| MusicFrom"TheElder"(1981年11月10日)。 |
| CreaturesoftheNight(1982年10月13日)フレーリーはオリジナルのアルバムカバーには現れているものの、このアルバムのレコーディングには参加していない。 |
| KissUnplugged(1996年3月12日)。 |
| PsychoCircus(1998年9月22日)。 |
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1951年
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ポール・ダニエル・フレーリー(Paul Daniel ... |
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1964年
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彼はクリスマスプレゼントとして、エレクトリ... |
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