| 1755年12月25日:ベルサイユの近く、ジャルジェ家に生まれる。 |
| 以後、男として育てられる。 |
| 1773年6月8日:王太子と王太子妃の初の正式なパリ訪問の際、近衛連隊長付近衛兵として警備を務める。 |
| 1774年1月30日:夜、パリのオペラ座における仮装舞踏会で、マリー・アントワネットとフェルゼンが初めて出会う。 |
| オスカルも含め、3人が初めて顔を合わせた。 |
| 1774年春:アンドレが不注意で王太子妃に怪我をさせた際、フェルゼンとともにアンドレをかばう。 |
| アンドレは奇跡的に無罪となる。 |
| 1774年5月:ルイ15世崩御の後、深夜、棺がサン・ドニ教会に運ばれるのを、40名の近衛兵とともに守る。 |
| 1775年夏:王妃となったマリー・アントワネットの計らいにより、大佐に昇格。 |
| 近衛連隊長となる。 |
| 1775年夏:ヴェルサイユ宮殿内オペラ館における晩餐会において、ド・ゲメネ公爵と口論、決闘となるところ、王妃から1箇月の謹慎を命じられる。 |
| その間、アラスにあるジャルジェ家の領地を視察する。 |
| 1776年から1777年頃:オスカルの母を自分の母の仇と間違えたロザリーを引き取り、ジャルジェ家で貴婦人に育てる。 |
| 1784年7月:夜、ローアン大司教とマリー・アントワネットに扮した娼婦のオリバ嬢の密会の際、たまたま近くを通り、ローアン大司教を目撃する。 |
| 1785年8月15日:ヴェルサイユ宮殿鏡の間で、ブイエ将軍(en)の命により首飾り事件についてローアン大司教を逮捕する。 |
| また、その足で、犯人と目されるジャンヌを逮捕する。 |
| 1787年春:黒い騎士事件。 |
| 黒い騎士をとり逃したということを理由に、マリー・アントワネットに自分の降等処分を願い出る。 |
| 結果、近衛隊を辞め、フランス衛兵隊のベルサイユ常駐部隊長に就く。 |
| 1788年:ブイエ将軍のベルサイユ訪問における閲兵式で、アランら部下が将軍を侮辱する。 |
| 衛兵隊を辞めようとするが部下に止められる。 |
| 1788年9月:近衛連隊での元部下ジェローデルがジャルジェ家を訪問し、オスカルに結婚を申し込む。 |
| 1788年10月:ジャルジェ家で舞踏会を開催する。 |
| オスカルへの求婚者を集めるが、オスカルが男の服を着ることで舞踏会は破綻する。 |
| 1788年10月:アンドレが毒入りワインを用意し、オスカルとの無理心中を図るが、結局、飲まず。 |
| 1788年11月:アンドレとともに馬車でパリに向かうが、パリで民衆に襲われる。 |
| 1788年12月:衛兵隊が2週間の休暇を取る。 |
| 同じ日、王太子ルイ・ジョゼフと遠乗りする。 |
| ルイ・ジョゼフと会う最後の日となる。 |
| 1788年12月:休暇明け、隊に顔を見せない部下アランの家を訪ねる。 |
| 妹ディアンヌが自殺したために狂ってしまっていたアランを見つけ、正気に戻らせる。 |
| 1789年5月4日:翌日の三部会開会に先立つサン・ルイ教会でのミサに向かう三部会議員の行列を、スイス人近衛連隊とともにフランス衛兵隊が護衛。 |
| 1789年6月19日:ブイエ将軍が、三部会会議場の入り口の閉鎖を命ずる。 |
| 命令を拒みきれず、議場を閉鎖。 |
| 1789年6月20日:国民議会派がジュー・ド・ポームで団結を誓った際、その前でナポレオンとすれ違う。 |
| 1789年6月23日:国王が三部会議員を再び集めるにあたり、議場の前で指揮を取っていたドルー・ブレゼ侯が平民議員のみを裏口に回らせようとしたのに腹を立てる。 |
| また、平民派が国王の命に背いて退場しないため、ブイエ将軍が衛兵隊を会議場に侵入させようとしたが、これを拒否する。 |
| 同じく部下らも命令を拒否し、部下らは1班全員が投獄される。 |
| オスカルへの処分は行なわれなかったが、オスカルの行動に父ジャルジェ将軍が激昂。 |
| 父がオスカルに剣を向けたところへアンドレが命がけで飛び込み、その場を収める。 |
| この後、オスカルはアンドレに初めて自分の愛を告白する。 |
| 1789年6月30日:ベルナール・シャトレに協力を持ちかけ、アベイ牢獄に投獄された12名の部下を釈放することに成功する。 |
| 1789年7月11日:連隊本部よりフランス衛兵隊へ、13日にテュイルリー宮広場へ向けての出動が命じられる。 |
| 1789年7月12日:馬に乗る若き日のオスカルの肖像画が完成する。 |
| その夜、アンドレと結ばれる。 |
| 1789年7月13日:テュイルリー宮広場で発生した暴動の知らせを聞き、伯爵の称号を捨て民衆の側に寝返ることを決意する。 |
| 部下ダグー大佐がベルサイユに帰るのは止めず、広場でドイツ人騎兵隊と戦闘し勝利するが、アンドレはオスカルをかばい、銃撃を受けて死亡する。 |
| 1789年7月14日:民衆のバスティーユ牢獄襲撃にフランス衛兵隊を率いて参加、善戦するも、ド・ローネー侯の部下の狙撃に遭う。 |
| バスティーユの上に白旗が上がるのを見た直後、落命する()。 |