| 1975-76シーズン、アブドゥル=ジャバーは入団1年目から、低迷していたレイカーズに前年を10上回る勝ち星をもたらし、4度目となるMVPに選出されるがチームはプレイオフに進出できず。 |
| 1976-77シーズン、チームをリーグ最高となる53勝29敗の成績に導き、5度目のMVPに選出された。 |
| プロ8年で5度MVPを受賞した選手はビル・ラッセルとアブドゥル=ジャバーだけである。 |
| しかしプレイオフではレイカーズは西地区決勝でポートランド・トレイルブレイザーズに0勝4敗で敗退している。 |
| ブレイザーズのセンターはUCLAの後輩ビル・ウォルトンで、ロサンゼルスでの初の優勝に燃えるアブドゥル=ジャバーはウォルトンを圧倒し、「レイカーズを倒せてもアブドゥル=ジャバーは倒せない」と言われたほどの活躍を見せたがチーム力では劣っていることを証明してしまった結果になった。 |
| 1977-78、78-79シーズン、アブドゥル=ジャバー自身は例年並みのスタッツを残すが、チームは平凡な成績に終わる。 |
| レイカーズはこの間、ユタ・ジャズとのトレードで1979年のドラフト1巡目1位の指名権を手に入れた。 |
| 1979年NBAドラフトでレイカーズはマジック・ジョンソンを指名。 |
| 開幕戦でアブドゥル=ジャバーが試合の終了間際にスカイフックを決めて勝利し、アブドゥル=ジャバーに喜んだマジック・ジョンソンが抱きついた。 |
| 1979-80シーズンはレイカーズは強豪へと戻り60勝を挙げアブドゥル=ジャバーは6度目のMVPを獲得する。 |
| プレイオフでも各チームを順調に撃破し、NBAファイナルではフィラデルフィア・76ersと対戦。 |
| アブドゥル=ジャバーの大活躍もあってレイカーズが3勝2敗と優勝に王手をかけたが、第5戦の最中にアブドゥル=ジャバーは足を捻挫してしまう。 |
| 第6戦はジャバーは欠場を決め、第7戦に備えてフィラデルフィアに移動せず自宅で静養することになった。 |
| しかし、第6戦ではマジック・ジョンソンがジャバーの代わりにセンターをつとめ、42得点の大活躍でレイカーズを優勝に導き、ファイナルMVPにも輝いた。 |
| しかし、アブドゥル=ジャバーは本当は自分こそがMVPに選ばれるべきだったと後に発言し、マジックも「このファイナルのMVPはカリームだ」と語っている。 |
| 1984年4月5日のジャズ戦、マジックのパスからスカイフックを決め、通算31,420得点目を記録、ウィルト・チェンバレンを抜いて通算得点歴代1位となった。 |
| 1984年のプレイオフはレイカーズは過密日程に苦しみながらも西地区のチームを全て退け、NBAファイナルでレイカーズの宿敵であるボストン・セルティックスと対戦。 |
| 大学時代からのライバルであるマジック・ジョンソンとラリー・バードの対決に全米は湧いた。 |
| アブドゥル=ジャバーは第1戦で偏頭痛に苦しみながらも36得点をあげる活躍を見せてシリーズを先勝する。 |
| しかし、第2戦ではレイカーズのいくつかのミスを巧みにセルティックスに突かれ、第4戦では試合中の乱闘によって集中力を乱され、延長の末にレイカーズは敗退し、シリーズは2勝2敗に追いつかれる。 |
| (この試合、アブドゥル=ジャバーはファウル・アウトになり、延長戦の途中で退場させられている)。 |
| そして第5戦では寒冷なはずのボストン市が異常気象に襲われ、会場のボストン・ガーデン内が42度以上の猛暑になるという異常事態となる。 |
| この試合で暑さによってレイカーズの選手達は動きに精彩を欠き、この試合を落としてしまう。 |
| アブドゥル=ジャバーは特に暑さに弱く、試合後、「まるで泥の中を走っているような気分だった」と語った。 |
| レイカーズは第6戦に勝利したもの、再度会場をボストン・ガーデンに移して行われた最終戦に敗退。 |
| レイカーズの面々にはボストンのファンから罵声が浴びせられ、屈辱的な敗戦になった。 |
| 前年の雪辱を果たすべく、翌年(1985年)も西地区1位となり、プレイオフを勝ち抜いてレイカーズはNBAファイナルに進出し、ボストン・セルティックスと再戦する。 |
| ところがNBAファイナル第1戦、38歳のアブドゥル=ジャバーはセルティックスのセンター、ロバート・パリッシュに12得点、6リバウンドに抑えられ、レイカーズも148対118と大敗を喫してしまう(この試合は「メモリアルデーの虐殺」などといわれた)。 |
| しかし試合後にヘッドコーチのパット・ライリーに繰り返し自分が失敗するシーンのビデオを見せられたアブドゥル=ジャバーは第2戦で奮起、30得点、17リバウンド、8アシスト、3ブロックを記録し勝利。 |
| レイカーズは結局4勝2敗でボストン・セルティックスを下してチャンピオンとなり、アブドゥル=ジャバーは1971年以来、18年ぶりにファイナルMVPとなる。 |
| パット・ライリーはアブドゥル=ジャバーのプレーぶりを「そこに情熱をみた」と絶賛している。 |
| 1986-87シーズン、40歳となったアブドゥル=ジャバーは初めて平均得点が20を下回ってしまう(17.5得点)。 |
| 40歳近くまでジャバーはチームで最も得点の多い選手であり続けたが、このシーズンからチームの中心はマジック・ジョンソンに移るようになる。 |
| しかしレイカーズは1987年のNBAファイナルでボストン・セルティックスと80年代で3度目となる対戦をし、4勝2敗でセルティックスを下しチャンピオンとなる。 |
| このシリーズでもアブドゥル=ジャバーは優勝を決めた第6戦で終了間際に立て続けにシュートを決め、ロバート・パリッシュからファウルを受けながらもスカイフックを決め、パリッシュをファウル・アウトで退場に追い込んだ。 |
| この試合でジャバーは32得点をあげ、40歳にしてまだ実力は衰えていないことを証明した。 |
| 優勝達成後、ロッカールームでの祝勝会の最中、ヘッドコーチのパット・ライリーが突如、「来年も必ず優勝する」と前代未聞の連覇公約をする。 |
| ライリーの狙いはレイカーズの選手たちがセルティックスを倒したことだけに満足せず、連覇によって歴史に残るチームになるという目標を突きつけ、選手達の更なる奮起と向上を即すことにあった。 |
| しかし日常から精神の平穏を重視し、闘志は自分で作り上げていくスタイルであったアブドゥル=ジャバーにはオフシーズンの間も話題になり続ける連覇公約のプレッシャーはこの上なく不快なものであった。 |
| しかし、対戦チームの予想外の頑張りとレイカーズの選手達の疲労やケガ、連覇公約の重圧によって2回戦以降は全て最終戦までもつれるというそれまでのNBA史上もっとも長引いたプレイオフとなる。 |
| NBAファイナルでデトロイト・ピストンズに先に王手をかけられながらも第6戦・第7戦を僅差で制し、レイカーズは1969年以来19年ぶりとなるNBA連覇を果たす。 |
| 連覇達成に湧くロッカールームでの祝勝会で、パット・ライリーにテレビのレポーターが「今度は3連覇を宣言していただけないのですか?」と質問するとアブドゥル=ジャバーはすかさずタオルを背後からライリーの口に押し込み、それ以上何も言えないようにした。 |
| 3連覇が現実のものとして見えてきたが、昨年の復讐に燃えるデトロイト・ピストンズとの対戦はレイカーズに故障者が続出したこともあって0勝4敗という無惨なものであった。 |