| 1975年、アピスはマイク・ブルームフィールド、レイ・ケネディー、リック・グレッチ、バリー・ゴールドバーグらとKGBを結成し、アルバム『KGB』を発表。 |
| AOR系の軽やかなドラミングを演じていた。 |
| しかしながら、マイク・ブルームフィールドの薬物中毒などから、オリジナルメンバーは程なく離散し、翌年セカンドアルバム『モーション』を発表し解散する。 |
| このころアピスはリッチー・ブラックモア率いるレインボーからのオファーがあったとされるが、加入には至らなかった。 |
| 1977年、ロッド・スチュワートのバンドに加入する。 |
| 後にアピスは「ヴォーカルに被らないドラミングをここで覚えた」と語っている。 |
| 1978年には憧れのバディ・リッチとロサンゼルスでセッションを行い、その後急速に親交を深める。 |
| アピスのドラムクリニックにバディ・リッチが訪問した様子を写した写真がアピスの教則本「RealisticRockDrumMethod」に掲載されている。 |
| 1979年と1981年にはロッド・スチュワート・バンドのメンバーとして来日し、強烈なドラムソロを披露している。 |
| ロッド・スチュワートのアルバム『スーパースターはブロンドがお好き』に収録された大ヒット曲「アイム・セクシー」はアピスとスチュワートの共作であるが、ブラジルでサッカー観戦していたスチュワートが、そこで耳にした応援歌(ジョルジ・ベンのタジ・マハール)をこの曲のサビに流用したらしく、盗作の疑惑が起こり、裁判闘争にまで発展、結局敗訴してしまう。 |
| スチュワートはアピスがサビの部分も作曲したことにして疑惑に関するトラブルを押しつけ、同シングルの売上は丸々ユニセフに寄付することにして逃げてしまった。 |
| このゴタゴタに嫌気が差したアピスは1981年にバンドを脱退する。 |
| 1981年、ドラマーとしての自身初のソロアルバム『ロッカーズ』を発表する。 |
| レコーディングメンバーはほとんどがロッド・スチュワートバンドのメンバーで、ロッカーズと称していた。 |
| そしてこのアルバムでは、弟のヴィニー・アピスとのドラム競演がレコーディングされており、「ドラム・シティ・ロッカー」という曲で聞くことが出来る。 |
| このころレインボーの6期、7期でドラマーを勤めていたボブ・ロンディネリは、アピスの一番弟子を名乗っている。 |
| 1982年3月、来日を果たす。 |
| メンバーは、リック・デリンジャー、トム・ピーターソン、エリック・カルメン、デュアン・ヒッチングス。 |
| このライブの頃から、ドラムソロにスモークを炊いて、見えなくなっている間にテープ音とすり替え、客席のドアから登場するというパフォーマンスを行うようになる。 |
| 1983年、トミー・アルドリッヂが夫人の出産のため産休となったオジー・オズボーン・バンドからオファーが舞い込み、バーク・アット・ザ・ムーン・ツアー他に同行する。 |
| オジーの前座で来ていたモトリー・クルーのステージを見て「これからのドラミングにはビジュアルも取り入れなくては」と考え、ドラムセットの上の両側にラージタムを吊るすなど派手なセットを設置した上、メイクも派手な物に変更している。 |
| このころからアピスはスリンガーランドのセットを愛用している。 |
| 1984年、ユニセフのコンサートをきっかけにヴァニラ・ファッジが再結成し、アルバム『ミステリー』を発表する。 |
| このアルバムのクレジットには「J.トード(J.Toad)」(レコード会社の資料では「J.B.Toad:RecordinginLondon,England」)と記されており、ジェフ・ベックが偽名で参加していると言われている。 |
| 1985年、アピスはビジュアルに拘ったバンド結成を熱心に推進し、ミック・スエイダ、マーク・フリーを発掘、キング・コブラを結成し、ファーストアルバム『レディ・トゥ・ストライク』を発表する。 |
| 冒頭一曲目にスエイダのギターがフィーチャーされ、メロディアスで綺麗な音色が話題を呼んだ。 |
| 以降、キング・コブラの活動ではパールのセットを使用している。 |
| 時期を前後して、米音楽雑誌サーカス(CIRCUS)の月間コラムを執筆し、若手ドラマー評を展開していた。 |
| 1986年にキングコブラはセカンドアルバム『街角のスリル』を発表する。 |
| 映画『アイアン・イーグル』のテーマソング「アイアン・イーグル」をレコーディングし、プロモーションの為にメンバー全員の髪型まで軍隊風にカットするが、レコード会社のマネージメントのミスにより差し替えられてしまう。 |
| また、レコード会社との音楽の方向性の違いが表面化し、アピスは自らのレーベルを作り、キング・コブラをここに所属させる。 |
| 1987年4月、バディ・リッチの葬儀に参列しジャズドラムを披露した。 |
| 1988年、ホワイトスネイクを解雇されたジョン・サイクスがアルバムを制作していたが、制作期間が長引いたこと等でコージー・パウエルが抜けてしまい、アピスは後任として同アルバムブルー・マーダーのレコーディングに参加することになる。 |
| 同年5月、アトランティック・レコード40周年記念コンサートにヴァニラ・ファッジとして参加している。 |
| 翌1989年、グループ名もブルー・マーダーとし、ファーストアルバム『ブルー・マーダー』を発表する。 |
| ブルーマーダーの活動ではプレミアのセットを使用している。 |
| 1991年3月になってサイクスは、やっとセカンドアルバム『ナッシング・バット・トラブル』のレコーディングを開始する。 |
| しかし、再び制作期間が長引いたことで7月にトニー・フランクリンが脱退してしまう。 |
| 1992年4月にアピスはジェフ・ワトソンのソロアルバム『ローン・レンジャー』に参加し、9月には来日コンサートも行っている。 |
| 1993年にはジェフ・ワトソンのプロジェクトにジョー・リン・ターナーを迎え入れ、マザーズ・アーミーとしてアルバムを発表する。 |
| 1994年にレコーディングを終えていたセカンドアルバム『プラネット・アース』が発売にこぎつけたのも1997年となってしまった。 |
| 1995年、ギター・ゼウス・プロジェクトを開始する。 |
| このプロジェクトはアピスの活動30周年を記念したもので、ギタートラックだけを除いたマスターテープを参加ギタリストに送り、ギターテイクを入れたものを集めてアルバムにするというもの。 |
| 参加ギタリストはポール・ギルバート(MR.BIG)、。 |
| C.C.デヴィル(ポイズン)、。 |
| ジョン・ノーラム(ヨーロッパ)、。 |
| 1997年には田村直美、北島健二、トニー・フランクリンと共に、PEARLを結成、アルバム『Pearl』を発表する。 |
| LOVELOVEオールスターズでの競演で知り合ったシャ乱Qのはたけとも交流を深め、ギター・ゼウス・ジャパンにもつながっていく。 |
| 1999年2月には再結成ブームに乗り、ヴァニラ・ファッジを再結成し、各地でライブ活動を行った。 |
| 同年、ギター・ゼウスのマスターテープに日本のギタリストの音を加え、日本版ギター・ゼウス・ジャパンを発表する。 |
| 参加したギタリストは、ルーク篁、高崎晃、山本恭司、北島健二、Char、RayZi、はたけ、福田洋也、Anchang、松尾宗仁、野村義男、島紀史、kATSU&KAZなど。 |
| 2001年、キング・コブラを復活させアルバム『ハリウッド・トラシュ』を発表する。 |
| 2004年にはパット・トラバースと組み、同年にはアルバム『ItTakesaLotofBalls』を、翌2005年も『LiveattheHouseofBlues』、『Bazooka』とアルバムを発表している。 |
| 2006年にはカクタスをラスティ・ディ以外のオリジナルメンバーで再結成し、アルバム『V』を発表する。 |