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プロフィール
- ガイウス・マリウスとは
- 出自
- 生い立ち
- 初期の経歴
- ユグルタ戦争
- キンブリ・テウトニ戦争
- 政治的台頭と失脚
- ローマ内戦
- 亡命からの再挙兵
- 民衆派の落日
ガイウス・マリウス(、紀元前157年-紀元前86年1月13日)は、共和政ローマ末期の軍人、政治家。 ガイウス・ユリウス・カエサルの義理の叔父にあたる。平民出身の軍人として功を成し、ポプラレス(民衆派)の英雄として計7回の執政官選出を果たした。ローマにおいて元来、民衆の義務とされていた兵役(市民兵制)の改革を志願兵制度に切り替えるなど大胆な軍制改革を行い、ポエニ戦争で没落していた無産階級の住民を雇用する事で職業軍人としての兵士からなる軍を構成した。彼の民衆派の指導者としての地位、及び新生ローマ軍はローマを帝政へと導く遠因の1つとなる。
出自
| 紀元前157年、ラティウム地方の都市アルピヌム(現:アルピーノ)に同名の父ガイウスと母フルシニアとの間に生まれた。 |
| グラックス兄弟の中間でほぼ同年代である他、マルクス・トゥッリウス・キケロとは同郷者であった(キケロのマリウスへの評価は#同時代人の評価を参照)。 |
| この地域の住民はラテン系の都市が存在した事からラテン市民権が与えられていたが、ローマ市民権に格上げされたのは紀元前188年になってからという新興地域であった。 |
| マリウスは多くのローマ人が持っているような『個人名+氏族名+家族名』の3つでなく『個人名+氏族名』の2つしか持たなかったHildinger,Erik(2002)."Chapter5:TheJugurthineWar".SwordsAgainsttheSenate:TheRiseoftheRomanArmy.。 |
| ローマでは出身氏族の名が遠い祖先を示す名字として、個々人を識別する個人名が名前として機能した。 |
| その上で高い業績を過去に上げたものが、他の氏族の名乗りを用いる人々と自己と区別する為に家族名を用いた。 |
| 従って家族名を持たなかった人々は「無名の一族」(ノウス・ホモ)であったという事であり、ガイウス・マリウスはまさにそうした出身であった。 |
| 通説では貧農の家柄であったとされるが「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch、単に大功を挙げた血族がいなかっただけで、それなりの地位(騎士階級など)ではあったという説がある。 |
| 加えて出身氏族であるマリウス氏族についても無名に近く、数ある氏族の中でも権威の無い一門であった。 |
| マリウス氏族が歴史に良く知られた名族となるのは彼の登場によってである。 |
生い立ち
| マリウスが幼少の頃、7羽の雛が住む鷲の巣を見つけた事があり(鷲は3つ以上の卵を育てないと言われていた)、家人は珍しい事もあるものだと感心した。 |
| 鷲はローマ神話に登場する神聖な動物であり、この出来事は後にマリウスが7回の執政官選出を果たす吉兆であったと理解されたプルタルコス「マリウス」。 |
| また鷲は共和制末期から帝政期にかけて軍と元老院の象徴とされたが、これはマリウスの治世によって行われたもので、本人も鷲を特別視していた様子が伺える。 |
| マリウスは無骨な人物であったとされ、風貌についてはプルタークは「(今日残されている)彼の胸像が示すとおり、常に不機嫌そうな表情を浮べていた」と書き残している「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 彼は頑健な肉体を持つ男性的な青年であり、娯楽に満ちた都市生活よりも軍での従軍の方を好む気質であった「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 彼にとって当時のローマ人が教養としていたギリシャ文化など退廃した概念でしかなく、奴隷にそれを学ぶ事も全く馬鹿げた行動だと考えていた「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
初期の経歴
| ローマ軍がイベリア半島の完全征服を目指してケルティベリア戦争を引き起こすと、マリウスは兵士として志願した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| マリウスは一騎打ちで敵兵を討ち取る武勇を見せて、軍内で昇進を重ねている「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 遠征軍を率いる小スキピオからも寵愛を受け、20代で幕僚(トリブヌス・ミリトゥム)に指名されている。 |
| 小スキピオは晩餐会で「かつては貴方の叔父(大スキピオ)が、そして今は貴方が蛮族との戦いを勝利に導いた。 |
| しかし貴方も亡くなられた後は誰が導くのか」と将軍の1人が尋ねると、傍らに着席させていたマリウスの肩を叩いて「此処にいるだろう」と答えたという「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 小スキピオはマリウスの庇護者として物心両面で大きな影響を与えたといえる「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| マリウスは様々な戦いを転戦して軍歴を重ねた後、紀元前122年に官職選挙に立候補してクルスス・ホノルムの一つである財務官(クァエストル)となる。 |
| 政界で彼が協力を仰いだのは父の代からの庇護者(パトロヌス)であったカエキリウス氏族のメテッルス家であった「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 閥族派であるメテッルス家の支援で平民政治家の登竜門である護民官に当選、元老院議員の地位を得た。 |
| これは平民の庇護者である護民官を手駒にしようとする閥族派の意向が働いていたが、マリウスは護民官として富裕階級の投票権を制限する法案を可決させた「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| メテルス家や門閥派はこれに激しく反発して、マリウスと敵対したHazel,John(2002).Who'sWhointheRomanWOrld.。 |
| マリウスは自らの政治的姿勢が民衆派に立つものである事を示すと共に、民衆から勇敢な政治家との評価を獲得した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 人気を得たマリウスは五大官職の1つである造営官(アエディリス)の有力候補となったが、メテッルス家の猛反対によって官職を取り逃した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| マリウスは諦めずに今度は更にインペリウム保有職である法務官(プラエトル)選挙に出馬、当選を果たしてインペラトル(軍指揮官)となった。 |
| 反対派は選挙違反の容疑でマリウスを訴えたが、元老院とケンソルはこれを否定した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| マリウスはプラエトルとして無難に行動した後、翌年には前法務官権限(プロプラエトル)によりイベリア半島のルシタニア総督へ指名された「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 総督時代に軍を率いて領内の反乱兵討伐に功績を上げて、任期終了により帰国した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 帰国後、マリウスは執政官選挙に立候補すると見られていたが、何の公職にも就かず暫くの間は休養生活を送った。 |
| この間に長年独身を貫いていたマリウスは突然ユリウス氏族カエサル家の子女ユリアと結婚した。 |
| ユリウス氏族はパトリキの一族であったが、カエサル家自体はあまり有力ではなく没落した貴族であった。 |
| ユリアとの間には跡継ぎとなる小マリウスが儲けられた。 |
| また、ユリアの甥にガイウス・ユリウス・カエサルがいた。 |
ユグルタ戦争
| 紀元前109年よりヌミディア王ユグルタによるユグルタ戦争が発生、この年の執政官でメテッルス家の当主クィントゥス・カエキリウス・メテッルスの副官(レガトゥス)としてマリウスも参戦した。 |
| 翌年のムトゥルの戦いでローマはユグルタ軍を破るが、戦争が長期化し始めた事で兵士の間ではメテッルスへの反感が募っていった。 |
| 一兵士からの叩き上げであるマリウスは前線の兵士達から支持を集めていたので、何人かの帰還兵は「メテッルスよりマリウスが司令官に相応しい」と書き残している「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| マリウスとメテッルスは元々遺恨のある間柄であったが、兵士達の態度はそれを焚き付けた。 |
| 執政官出馬を考えていたマリウスに、元パトロヌスであるメテッルスが20歳の同名の息子メテッルスとの立候補を支援の条件に出したと伝えられている「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch執政官の立候補年齢から言えば、数十年近く待つように命じたのと同じになる。 |
| 一方でマリウスもメテッルスの友人がユグルタに欺かれて拠点の1つを奪われる失態を犯すと、他の将軍達と共にこの人物の処刑を求めている。 |
| メテッルスは友人の処刑を認めざるを得なくなり、他の将軍達は同時にメテッルスを慰める発言をしたが、マリウスはむしろメテッルスを嘲笑する発言をしたといわれている「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 紀元前108年末、マリウスは遂に軍職を辞して単身ローマに戻り、ユグルタ戦争の早期終結の公約を掲げて執政官に立候補した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 新人であるマリウスの選挙は苦戦が予想されたが、護民官と民会は熱烈にマリウスを歓迎して、彼を新たな執政官に選出した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| ユグルタはローマ軍の貴族や軍高官に賄賂を使った買収工作を繰り返しており、軍上層部や元老院が著しく腐敗した状況にある事が明るみに出ていた。 |
| 民衆は、従来の権力構造の外からの人材を求めていたのである。 |
| かくして泥沼化の責任を取る形でメテッルスは更迭され、マリウスが新たな遠征軍司令官となった。 |
| 部下により司令官を更迭されるという前代未聞の恥辱にメテッルスは涙を流したと言われている。 |
| 引継ぎに訪れたマリウスとの会見も屈辱に耐えられないという理由から拒絶して、元老院からの「ヌミディクス(ヌミディアの征服者)」という称号と共に足早に任地を去ったという「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| しかもメテッルスは去り際に同僚執政官のロンギヌスに指揮権を譲り、そのロンギヌスはもう1つの脅威であった北方の蛮族に備えて出兵してしまった。 |
| マリウスは既存の制度では十分に戦争が遂行できないと判断して、大胆な軍制改革を元老院で可決させた(詳細はマリウスの軍制改革、#後世への影響を参照)。 |
| マリウスの軍制改革の結果生まれた新生ローマ軍はユグルタ戦争に勝利する。 |
| これはもちろん軍事的な勝利をともなったが、決定的であったのは外交戦であり、それを担当したのはマリウスの副官を務めたルキウス・コルネリウス・スッラであった「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| スッラはマリウスの軍事的勝利を背景にユグルタを支援し続けたマウレタニア王国の懐柔に成功し、ユグルタを姦計を以って捕らえさせ、戦争は終結した。 |
| 凱旋式を行うマリウスに対して、自身の功績が無視されたと感じたスッラはマリウスへの嫉妬と野心を抱かせ、勝利の功労者は自分であると主張した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| しかしより重大であった次の戦いでマリウスは自らの軍事的才覚を更に示し、ユグルタ戦争の勝敗は過去の事となった「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
キンブリ・テウトニ戦争
| 紀元前105年末、民会はまだアフリカにいるマリウスを紀元前104年担当の執政官に選出する。 |
| この異例の決定は、先に述べた北方の蛮族であるキンブリ族とテウトネス族が各所でローマ軍を破って南下している為であった。 |
| 当初、クィントゥス・セルウィリウス・カエピオが蛮族に対処したが、名門貴族に属するカエピオは平民出身の同僚率いる軍と協調せずに戦いを挑み、完膚なきまでに打ち破られて一説には80,000人ものローマ兵が犠牲となった(アウラシオの戦い)。 |
| この一件は単なる軍事的敗北だけでなく、共和制末期の元老院の驕りや腐敗が頂点に達した事例でもあり、ローマ市民の元老院への不信と民衆派の台頭に大きな切っ掛けを与えたhuckburgh,EvelynShirley."ChapterXXXVII-TheFirstPeriodofCivilWars,100-84".AHistoryofRometotheBattleofActium.Macmillanandco.pp.577?581.。 |
| 勢いを得た蛮族は総勢で30万を越す兵士とその家族を引き連れ、他の蛮族と小競り合いながらローマ領内へ迫りつつあった「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 権力の集中を恐れる共和制ローマで執政官の連続当選は禁じられていたが、民衆は独裁者よりも蛮族を更に恐れた「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 紀元前104年1月、この年はゲルマニア人は目立った南下を示さず、ひとまずマリウスはユグルタ戦争の凱旋式を挙行した。 |
| 凱旋式が終わった後、ユグルタは王の装束を剥ぎ取られて裸にされた上、耳飾を耳朶ごと引き千切られて牢獄に放り込まれ、6日後に発狂死した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| マリウスは元老院での政務より軍の訓練に情熱を傾け、特に全軍団兵が鎧・兜・剣・槍・工具・食料袋などを全て一式に纏めて担ぎ、行軍するという戦術を徹底的に叩き込んだ。 |
| 歩兵の迅速な行動を可能としたこの戦術は「マリウスのロバ」と呼ばれ、重労働から高い忠誠心と体力を必要としたことから、ローマ兵達は冗談交じりに勤勉な兵士を指す際にこの言葉を用いたという「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 紀元前103年にマリウスは護民官に自派のルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスを選出させている「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 紀元前102年、再び蛮族が南下を開始したとの報を受け、マリウスは全軍を率いて属州ガリア・キサルピナへ行軍した。 |
| アルプス山脈と地中海に挟まれた現在のプロヴァンス地方の到着したマリウスはローヌ川沿いに陣営地を建設して敵軍を待ち構えた「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 現れた軍勢はキンブリ族と同盟を結ぶテュートン族とアンブロネス族で、マリウスは復讐を逸る兵士達を抑えながら後方に軍を下げて機会を用心深く待った。 |
| 温泉地であるアクアエ・セクスティアエに到達した所で痺れを切らしたアンブロネス族が単独で陣地に攻めかかってくると、まずこれを撃退して戦力を削った「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| そしてアンブロネス族への勝利の後に伏兵を配置して、テュートン族が遅れて続くとこれを包囲殲滅して、テュートン人の王テウトボドを捕縛した(アクアエ・セクスティアエの戦い)「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 圧勝の後、元老院の使者が5度目の執政官が決定したとの公文書を届け、マリウスは兵士達の歓声に包まれながら戦場で月桂樹の冠を受けたという「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| だが同時期にマリウスの同僚執政官クィントゥス・ルタティウス・カトゥルスはキンブリ族を抑える手筈に失敗して敗走していた。 |
| キンブリ人の王ボイオリクスはテュートン族らを破ったマリウスに敬意を払い、護衛兵のみを連れてマリウスの陣営地を訪れると、両軍の決戦場を定めようと提案した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| キンブリ族が中央陣地に攻めかかった所を、マリウスが自ら率いるローマ騎兵(投矢と剣で武装していた)がキンブリ騎兵を撃退、そのまま側面から挟撃してキンブリ族を殲滅した(ウェルケッラエの戦い)「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 2度に亘る圧勝でキンブリ族・テュートン族・アンブロネス族は歴史上から存在を消し、2つの部族の王はマリウスに捕らえられた「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 民衆はマリウスをロムルス、カミルスに次ぐ「第三の建国者」と呼び、有力者や貴族はこぞってマリウスを讃える戦勝像や記念施設を建設し、多くの贅沢品をマリウスに捧げたとプルタークは伝えている「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
政治的台頭と失脚
| マリウスは副将であったカトゥルスを讃えることを忘れなかったが、民衆は前の戦いで失態を犯していたカトゥルスを殆ど無視し、反対にその前のアクアエ・セクスティアエで勝利を得ていたマリウスの功績だと評した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 紀元前101年、凱旋式を終えたマリウスは最早慣例となっていた毎年の執政官就任について、これを続ける意向を示した「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| 元老院は財源不足を理由に反対の空気が大きかったが、この時マリウスは独裁的な権限を有していたので逆らえず、元軍団兵士に占領地などの領地を分配する制度を認めさせた「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
| だがサトゥルニヌスは次第にマリウスの権威を盾にして横暴な振る舞いを見せ、ついには護民官選挙の対立候補を暗殺するなどの暴挙を起こしたことで元老院最終勧告を言い渡されてしまった「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
ローマ内戦
| 戦乱の中、ポントス王ミトリダテス6世は同盟市戦争が長期化すると見込んで紀元前88年に兵を起こし、ギリシャ諸都市にローマへの反乱を促した(第一次ミトリダテス戦争)。 |
| 争いはマリウスの新たな腹心であった護民官プブリウス・スルピキウス・ルフスの猛烈なスッラへの反対運動によって想像以上にもつれ込んだが、最終的にスッラは念願の執政官となり、元老院によってミトリダテス6世討伐を命令された「TheParallelLives-TheLifeofMarius」Plutarch。 |
亡命からの再挙兵
| マルクス・アントニウス・オラトル(マルクス・アントニウスの祖父)やルキウス・ユリウス・カエサルらコンスル経験者を含む元老院議員だけで50人、騎士階級の者に至っては1,000人を超えたと言われ、夥しい数の首がフォルムの前に晒された。 |
民衆派の落日
| マリウスはスッラの軍勢と相対すべく準備を始めたが、執政官就任式の直後に病状(腹膜炎であったとされる)が思わしくなくなり、死期を悟ったマリウスは一族や側近達を集めた晩餐会で後継者などを指名して、自らは病床に伏した。 |
| ローマ入城後独裁官に就任したスッラによって民衆派は粛清されたが、スッラの死後に台頭したマルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスと手を組んだ民衆派のカエサルが第一回三頭政治を結成、民衆派の復活に繋がった。 |
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