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プロフィール
- ガブリエル・フォーレとは
- 生涯と作品
- 音楽史的な位置
- フォーレの音楽の変遷
- アール・ヌーヴォーとの関連
- フォーレは「サロン音楽」の作曲家か
- 教育者としてのフォーレ
- フォーレの女性関係
- 主要作品
- 管弦楽曲
- 室内楽曲
- ピアノ曲
- 関連サイト
ガブリエル・ユルバン・フォーレ(,1845年5月12日-1924年11月4日)はフランスの作曲家である。甘美で官能的な旋律と宗教的な崇高さを合わせ持つ作風で、『レクイエム』はとくに名高い。なお、Fauréのフランス語の実際の発音に近い表記はフォレである
生涯と作品
| フランス南部、ミディ=ピレネー地域圏のアリエージュ県、パミエで教師だった父の元に五男一女の末っ子として生まれた。 |
| 一家にそれまで音楽家になったものはいなかったが、幼い頃から教会のリード・オルガンに触れるうちに天性の楽才を見出される。 |
| フォーレはパリの宗教音楽学校だったニーデルメイエール古典宗教音楽学校にて音楽の勉強をし、教師であったルイ・ニーデルメイエールの死後、1861年に教師としてやってきたカミーユ・サン=サーンスにピアノと作曲を師事した。 |
| 1865年に卒業したのち、旅行先のレンヌにて教会オルガニストの職を得た。 |
| 1870年、フランスに戻ったときには当時勃発していた普仏戦争において、歩兵部隊に従軍志願している。 |
| のち、パリのマドレーヌ教会でオルガニストとなり、1896年にはマドレーヌ教会の主席ピアニストに任じられ、またフランス国立音楽・演劇学校の教授にもなっている。 |
| 1871年にはサン=サーンス、フランクらとともにフランス国民音楽協会の設立に参加している。 |
| 父親の死後に作曲された『レクイエム』は彼の代表作の一つである。 |
| 他の管弦楽や声楽を含んだ大規模作品として、歌劇『ペネロープ』、『プロメテ』、『マスクとベルガマスク』、『ペレアスとメリザンド』などがある。 |
| フォーレはむしろ小規模編成の楽曲を好み、室内楽作品に名作が多い。 |
| それぞれ2曲ずつのピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタと、各1曲のピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲がある。 |
| また『バラード作品19』、『主題と変奏 作品73』、『舟歌』、『夜想曲』、『即興曲』、『ヴァルス・カプリス』、『前奏曲作品109』など生涯にわたって多くのピアノ曲を作った。 |
| 歌曲でも『夢のあとに』(''Aprèsunrêve'')、『イスファハーンの薔薇』(''Lesrosesd'Ispahan'')、『祈り』(''Enprière'')、ヴェルレーヌの詩に曲をつけた『月の光』(''Clairdelune'')、20篇のうち9篇を選んで作曲した『優しい歌』(''LaBonneChanson'')などかなりの数の歌曲を残している。 |
| 晩年には、難聴に加えて高い音がより低く、低い音がより高く聞こえるという症状に悩まされながら作曲を続けた。 |
| ピアノ五重奏曲第1番以降の作品は、そうした時期のもので、次第により簡潔で厳しい作風へと向かっていった。 |
| 肺炎のためパリで死去した。 |
| マドレーヌ教会で『レクイエム』の演奏される中、国葬が行われ、パリのパッシー墓地に葬られた。 |
音楽史的な位置
| フォーレは、リスト、ベルリオーズ、ブラームスらが成熟期の作品を生み出していたころに青年期を過ごし、古典的調性が崩壊し、多調、無調の作品が数多く書かれ、微分音、十二音技法などが試みられていた頃に晩年を迎えている。 |
| なかでも、調性崩壊の引き金を引いたワーグナーの影響力は絶大で、同時代の作曲家は多かれ少なかれ、ワーグナーにどう対処するかを迫られた。 |
| こうした流れのなかで、フォーレの音楽は、折衷的な様相を見せる。 |
| ワーグナーに対しては、ドビュッシーのようにその影響を拒否するのでなく、歌劇『ペネロープ』でライトモティーフを採用するなど一定の影響を受けつつも、その亜流とはならなかった。 |
| 形式面では、サン=サーンスの古典主義に引きこもることはしなかったが、その作品形態は当時の流行を追わず、古典主義的な楽曲形式を採用した。 |
| 調性においては、頻繁な転調のなかに、ときとして無調的な響きも挿入されるが、旋律や調性から離れることはなかった。 |
| 音階においては、旋法性やドビュッシーが打ち立てた全音音階を取り入れているが、これらに支配されたり、基づくことはなかった。 |
| このように、フォーレは音楽史上に残るような新たな様式を打ち立てたり、「革新」をもたらしたりしてはいない。 |
| また、フォーレの音楽は、劇的表現をめざすものではなかったので、大規模管弦楽を擁する大作は必然的に少ない。 |
| ただし、和声の領域では、フォーレはシャブリエとともに、ドビュッシー、ラヴェルへの橋渡しといえる存在であり、19世紀と20世紀をつなぐ役割を果たしている。 |
| 「論評」のためコメントアウトとくに、調性と旋法性の融合という点において、フォーレの和声には独自性が見られ、まさに時を越えた作曲家なのである。 |
フォーレの音楽の変遷
| フォーレの音楽は、便宜的に初期・中期・晩年の3期に分けられることが多い。 |
| 初期の代表作として、ヴァイオリン・ソナタ第1番(作品13)やピアノ四重奏曲第1番(作品15)があるが、この時期の作品は親しみやすく、とくにヴァイオリン・ソナタ第1番は、フォーレの全作品中おそらく最も演奏機会の多い曲である。 |
| 夜想曲では第1番から第5番、舟歌では第1番から第4番が相当する。 |
| 初期の作品には、明確な調性と拍節感のもとで、清新な旋律線が際だっている。 |
| 旋律を歌わせる際にはユニゾン、伴奏形には装飾的かつ流動的なアルペジオが多用される。 |
| ユニゾンとアルペジオは、フォーレの生涯にわたって特徴的に見られるが、この時期のそれは、もっぱら音色の効果や装飾性の域を脱するものではない。 |
| フォーレの中期あるいは第2期は、ピアノ四重奏曲第2番(作品45)、『レクイエム』(作品48)、『パヴァーヌ』(作品50)などが作曲された1880年代の後半から、ピアノ五重奏曲第1番(作品89)が完成した1900年代前半までと見られ、他に『主題と変奏』(作品73)、『ペレアスとメリザンド』(作品80)などがある。 |
| 夜想曲では第6番から第8番、舟歌では第5番から第7番が相当する。 |
| 初期の曲に見られる、輝かしく外面的な要素は、年を経るに従って次第に影を潜め、より息の長い、求心的で簡素化された語法へと変化していく。 |
| また、ひとつひとつの音を保ちながら、和声をより流動的に扱うことにより、拍節感は崩れ、内声部は半音階的であいまいな調性で進行するようになる。 |
| こうした微妙な内声の変化のうえに、調性的・旋法的で簡素な、にもかかわらず流麗なメロディをつけ歌わせるというのが、フォーレの音楽の特色となっている。 |
| 歌劇『ペネロープ』やヴァイオリン・ソナタ第2番(作品108)が作曲された1900年代後半からは、晩年と見られる。 |
| 夜想曲では第9番以降、舟歌では第8番以降。 |
| 耳の障害が始まり、扱う音域も狭くなり、半音階的な動きが支配的で、調性感はより希薄になっていく。 |
| しかし、この時期の一連の室内楽作品は、壮大な規模と深い精神性を湛えた傑作群である。 |
| ピアノ五重奏曲第2番(作品115)やピアノ三重奏曲(作品120)では、冒頭にピアノによるアルペジオが見られるが、もはや華やかさとは無縁の、単純化された音型であり、弦のユニゾンもまた、抽象的な高みへの追求あるいは収斂性として働いている。 |
| 最晩年に作曲された弦楽四重奏曲(作品121)は、唯一ピアノを含まない室内楽作品であるが、輪郭のはっきりとしたピアノの打音が退けられた結果、。 |
アール・ヌーヴォーとの関連
| フォーレ研究家として知られるジャン=ミシェル・ネクトゥーは、著書『ガブリエル・フォーレ』のなかで、同時代の文学者マルセル・プルーストがフォーレの音楽に魅了されていたとし、プルーストとフォーレをともにアール・ヌーヴォーに属する芸術家として位置づけた上で、「そのまがりくねり互いに絡み合った長いフレーズと常時現れる花にまつわる主題は、まさに1900年の芸術を象徴するものである。 |
| 」と述べている。 |
| 一般に、アール・ヌーヴォーは19世紀末から20世紀初頭の装飾美術・デザインに適用される様式概念であり、ネクトゥーの説はこれを文学、音楽に敷衍させたものといえる。 |
| この指摘は、アール・ヌーヴォーのもつ装飾性や、コントラストでなく曲線重視といった表現性を、フォーレの音楽性と通じるものとしてみている。 |
| この観点からは、フォーレの別の側面が見えてくることも事実である。 |
| 装飾的な音型がメロディーに同化している点で、初期の歌曲『夢のあとに』がまず挙げられる。 |
| さらに、「舟歌」をはじめとして、アルペジオへのフォーレの傾斜は、晩年まで見られる特徴である。 |
| ただし、「装飾音」であっても、その効果あるいは意図するところは、すでに述べたように、初期と晩年では相当に違っている。 |
フォーレは「サロン音楽」の作曲家か
| フォーレは、当時のサロンで受け入れられたため、ドビュッシーを初めとして、フォーレの作品を「サロン音楽」と矮小化して受けとめる風潮も現在まで存在する。 |
| とはいえ、それはその高貴さ、崇高さの表れとも考えられ、フォーレの音楽は、とくに中期から晩年にかけてのそれは、規模の小さな作品においても、ただ柔らかく上品で、洗練されているというだけで終わってはいない。 |
| ごく自然に流れる音の流れが、実は伝統的なあらゆる手法を駆使した、独自の緻密な構成によっている。 |
| 1906年に、フォーレは妻にあてた手紙でピアノ四重奏曲第2番のアダージョ楽章について触れ、「存在しないものへの願望は、おそらく音楽の領域に属するものなのだろう」と書いている。 |
| また、1908年には次男フィリップに「私にとって芸術、とりわけ音楽とは、可能な限り人間をいまある現実から引き上げてくれるものなのだ」と書き残している。 |
| このように、。 |
| フォーレは死の2日前、二人の息子に次のような言葉を残している。 |
| 「私がこの世を去ったら、私の作品が言わんとすることに耳を傾けてほしい。 |
| 結局、それがすべてだったのだ……」。 |
教育者としてのフォーレ
| フォーレは1896年にマスネの後任としてフランス国立音楽・演劇学校の作曲科教授となっており、その門弟にはモーリス・ラヴェル、ジャン・ロジェ=デュカス、ジョルジェ・エネスクらがいる。 |
| ラヴェルがローマ大賞を落選した、いわゆる「ラヴェル事件」により1905年にはテオドール・デュボワの後任として音楽院院長となり(1920年まで)、音楽院改革を行った結果《ロベスピエール》とあだ名されるようになったが、この時の改革のうち、入学前の生徒の教授との癒着を避けるため、音楽院の外部者に入学審査を行わせたことは、現在でも入学審査に必ず音楽院の外部者が加わっているという形で受け継がれている。 |
| このように彼は優れた音楽教育者としても知られている。 |
フォーレの女性関係
| 『レクイエム』で知られ、教会オルガニストであったことから敬虔なカトリック教徒というイメージが強いが、フォーレ自身、必ずしもそうでないことを認めている「私の『レクイエム』について言うならば、恐らく本能的に慣習から逃れようと試みたのであり、長い間画一的な葬儀のオルガン伴奏をつとめた結果がここに現れている。 |
| 私はうんざりして何かほかのことをしてみたかったのだ。 |
| 」(『ガブリエル・フォーレ1845‐1924』p.83)。 |
| 実際、若いころのフォーレは享楽的な傾向を持ち、1883年に彫刻家エマニュエル・フルミエの娘、マリーと結婚した後も、90年代前半はのちにドビュッシー夫人となったエンマ・バルダックと、後半はイギリスの楽譜出版社の夫人のアディーラ・マディソンと関係を持ち、そして1900年『プロメテ』初演時にアルフォンス・アッセルマン(ハーピスト・作曲家)の娘、マルグリット・アッセルマンと出逢い、そののち彼女を生涯旅行などに付き添わせるといった愛人たちとの交際を続けた。 |
管弦楽曲
| ;カリギュラOp.52(''Caligula'',1888年)。 |
| 舞台音楽の最初の作品。 |
| 大デュマの同名の悲劇再演のために小デュマから依頼を受け、わずか数ヶ月で書き上げた。 |
| 劇付随音楽としての初演は1888年11月8日。 |
| その後、演奏会用の版をフォーレ自身が作成し、翌年の4月6日に国民音楽協会の演奏会で初演された。 |
| ;ペレアスとメリザンドOp.80(''PelléasetMélisande'',1898年)。 |
| ;マスクとベルガマスクOp.112(''MasquesetBergamasques'',1919年)。 |
| 【1.序曲/2.パストラール/3.マドリガル/4.いちばん楽しい道/5.メヌエット/6.月の光/7.ガヴォット/8.パヴァーヌ】。 |
| ルネ・フォーショワの台本による。 |
| 初演は1919年4月10日モンテカルロ。 |
室内楽曲
| ;ピアノ五重奏曲第1番ニ短調Op.89(1903年-1906年)。 |
| 1906年3月、作曲者のピアノ、イザイの弦楽四重奏団の演奏で初演され、イザイに献呈された。 |
| 作曲者の手紙によると、イザイはこの曲の若々しさ、純粋に音楽的であることに狂喜したという。 |
| ;ピアノ五重奏曲第2番ハ短調Op.115(1919年-1921年)。 |
| ;弦楽四重奏曲ホ短調Op.121(1924年)。 |
| フォーレが円熟期を迎えた時期の作品で、名作『レクイエム』の直前に書かれている。 |
| 公開での初演は1923年6月、アルフレッド・コルトー、ジャック・ティボー、パブロ・カザルスにより行われた。 |
| 1917年11月10日、国民音楽協会の演奏会でリュシアン・カペーのヴァイオリン、アルフレッド・コルトーのピアノで初演された。 |
| 1921年にフォーレはナポレオン1世没後100年記念式典のための『葬送歌』を吹奏楽用に作曲、これをチェロ・ソナタ第2番の中間楽章に転用した。 |
ピアノ曲
| 愛らしいメロディからなる小品集で、子供の世界を描いている点でシューマンの『子供の情景』やドビュッシーの『子供の領分』を連想させる。 |
| 【1.変ホ短調Op.33-1/2.ロ長調Op.33-2/3.変イ長調Op.33-3/4.変ホ長調Op.36/5.変ロ長調Op.37/6.変ニ長調Op.63/7.嬰ハ短調Op.74/8.変ニ長調Op.84-8/9.ロ短調Op.97/10.ホ短調Op.99/11.嬰ヘ短調Op.104-1/12.ホ短調Op.107/13.ロ短調Op.119】。 |
| 【1.イ短調Op.26/2.ト長調Op.41/3.変ト長調Op.42/4.変イ長調Op.44/5.嬰ヘ短調Op.66/6.変ホ長調Op.70/7.ニ短調Op.90/8.変ニ長調Op.96/9.イ短調Op.101/10.イ短調Op.104-2/11.ト短調Op.105-1/12.変ホ長調Op.105-2/13.ハ長調Op.116】。 |
| メンデルスゾーンの『無言歌』やショパンにも作例はあるが、生涯にわたって13曲もの『舟歌』を作曲したのはフォーレ一人である。 |
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1861年
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教師としてやってきたカミーユ・サン=サーン... |
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1877年
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国民音楽協会の演奏会でマリー・タヨーのヴァ... |
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