| 年が明けた2006年1月5日、ジュニアカップも勝ち、デビュー2連勝を飾った。 |
| 3歳時は第15回アーリントンカップで1番人気に支持されたものの6着と敗れた。 |
| 続くNHKマイルカップでは3着に入った。 |
| それ以後は出走する度に1番人気に推されることが多いが、気性難からくる掛かり癖のために、勝ち星になかなか恵まれずという状況が続いた。 |
| 2008年、5歳になってから漸く本格化したのか、3月30日の高松宮記念に於いて、岩田康誠と初コンビを組んで2着に入り、再び岩田とのコンビで臨んだ7月6日の第15回函館スプリントステークスで、第4コーナーを回って先頭に立つとそのままゴールを駆け抜け、デビュー17戦目にして初の重賞ウイナーとなった。 |
| 続くキーンランドカップでは、1番人気に支持されたものの、3着だった。 |
| そして迎えた大一番、スプリンターズステークスでは2着だった。 |
| 2009年はオーシャンステークスから始動。 |
| 1番人気に推されたが、最後の直線で伸び切れず10着と大敗した。 |
| その後、3月29日の高松宮記念では10着に敗れた。 |
| 休養を挟み、10月4日のスプリンターズステークスでは好位でレースを進めたが直線で失速して12着と惨敗した。 |
| 続く10月31日のスワンステークスでは4・5番手でレースを進め、直線で先行して粘るアーリーロブストとの競り合いを制し、重賞2勝目を挙げた。 |
| その後、12月20日の第4回阪神カップにミルコ・デムーロ騎乗で出走、スタートで出遅れたものの、直線で真ん中から一気に抜け出し、2着のプレミアムボックスとサンカルロ(同着)に1馬身差をつけて重賞3勝目を挙げた。 |
| left|thumb|200px|2010年阪神C優勝時。 |
| 2010年も前年同様オーシャンステークスから始動。 |
| 道中は中団内を追走し、直線では内で馬群をさばくのに手間取るものの、前が開いてからは一完歩ごとに差を詰め、残り100mで先頭に立ち勝利、重賞3連勝を果たした。 |
| そして3月28日の第40回高松宮記念、3枠6番という好枠から先行集団をマークしながらレースを進め、直線で先行したヘッドライナーを捉えて先頭に立つと、外から急襲したビービーガルダンをハナ差抑えて1着となり初のGI制覇を果たした。 |
| 南半球産の日本調教馬が日本のGI級競走に優勝するのはグレード制導入後は初めて。 |
| それ以前に遡っても1956年天皇賞(秋)のミツドフアーム以来44年振りである。 |
| 秋はセントウルステークスからの予定だったが、疝痛のため出走を取り消した。 |
| 本番のスプリンターズステークスでは中団から追い込んで3位入線するも、ダッシャーゴーゴーの降着により2着に繰り上がった。 |
| マイルチャンピオンシップでは3番人気に支持され、道中中団を追走も直線でまったく伸びず13着と大敗した。 |
| 12月18日の阪神カップでは好位4番手から抜け出すと、直線では逃げたレッドスパーダとの叩き合いとなり最後はクビ差で制し連覇を達成した。 |
| なお、この年のG1競走1勝、2着1回を含む短距離重賞3勝の成績が認められ、JRA賞最優秀短距離馬に選出されている。 |
| 2011年も前年同様オーシャンステークスから始動。 |
| 掛かり気味に後方2番手で追走し、直線で外から猛然と追い込んだが2着。 |
| 次の高松宮記念では3番人気に推された。 |
| レースでは積極果敢に先団を形成、直線で軽々と抜け出し追い込んできたサンカルロに1馬身1/4の差をつけ完勝。 |
| 同レース史上初の連覇、騎乗したウンベルト・リスポリは来日初G1勝利を飾った。 |
| レース後は海外挑戦など次戦以降の模索もされていたが |
| 引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となる |
| 引退理由としては、そもそも今春に種牡馬入りのプランがあり、連覇で本決まりになったことが挙げられており |