| マンチェスター・ユナイテッドでアシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスは、ロナウドがデビューした時から注目しており、ロナウドの獲得をいち早くアレックス・ファーガソン監督に進言していた。 |
| ロナウド獲得には当時リバプールも積極的に動いており、一時期リバプールへの移籍が本人のコメントからも予想されたが、プレミアリーグ03-04シーズン開幕3日前の8月10日に移籍金1,224万ポンド(当時の日本円にして約24億円)、5年契約でユナイテッドへの入団が決定。 |
| 更にデビッド・ベッカムがレアル・マドリードへ移籍したことで、空いた背番号7の着用が決まる。 |
| 移籍当初はリスボンでつけていた28番を望んでいたが、ファーガソン監督から7番の着用を言い渡された。 |
| プレミアリーグ03-04シーズン、オールド・トラッフォードにボルトンを迎えての開幕戦に控えとしてメンバー入りし、後半16分からの途中出場でプレミアデビュー。 |
| 以後、比較的先発で出場することが多くなるが、控えと先発を行き来するような状態で、ファーガソンが上手く振り分けて成長を促していたとされる金子義仁『2005~2006ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版社〈フットワーク出版株式会社〉、2004年、275-273頁を参考。 |
| また、2005年10月29日のミドルスブラ戦では、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目となるメモリアルゴールを決めた。 |
| ファイル:CristianoRonaldo.jpg|thumb|220px|left|2006-2007シーズンのC・ロナウド。 |
| 06-07シーズンは17ゴール14アシストと共に自己最多を記録し、チームの優勝に貢献。 |
| 自身も1977年のアンディ・グレイ以来30年ぶり史上2人目となるPFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞をダブル受賞した。 |
| ファンの投票による年間最優秀選手賞にも選ばれ、史上初の三冠達成を果たした。 |
| また、2006年11、12月にプレミアリーグ月間MVPを2ヶ月連続で受賞。 |
| ロビー・ファウラーとデニス・ベルカンプに続くプレミア史上10年ぶり3人目の快挙となった |
| バロンドールの投票ではカカに次ぐ2位となった。 |
| 07-08シーズンは開幕から驚異的なペースでゴールを量産し通算42得点を記録。 |
| リーグ31得点で得点王となり、チームのリーグ2連覇に欠かせない存在であった。 |
| PFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を2シーズン連続で受賞。 |
| プレミアリーグの上位チームに対して目立った成績を残していないと揶揄する声があるが、実際には31得点中5点を3位から5位までのチームから奪っている。 |
| 唯一2位チェルシーに対してのみ無得点だったが、後述するようにチャンピオンズリーグ決勝戦でチーム唯一のゴールを挙げている。 |
| また、2008年3月19日の対ボルトン戦では、初めてキャプテンマークを巻いて出場した。 |
| チャンピオンズリーグ・2007-08シーズンでも8得点を挙げて得点王を受賞。 |
| ユナイテッドの9シーズンぶり3回目のチャンピオンズリーグ優勝の立役者となる。 |
| 2008年5月21日に行われた決勝戦では、チェルシーから先制ゴールを奪うも、チェルシーもフランク・ランパードが同点ゴールを決めて反撃。 |
| 延長戦でも決着がつかずPK戦となり、ロナウドは3人目のキッカーを務めるもペトル・チェフにコースを読み切られて失敗。 |
| しかし、チェルシーも5人目のキッカーのジョン・テリーが雨でぬかるんだピッチに足を滑らせて痛恨のミスキックで失敗し、その後エトヴィン・ファン・デル・サールの好セーブによって、ユナイテッドの勝利が決定した。 |
| その瞬間、ロナウドはピッチに倒れこんで号泣し、ガリー・ネヴィル、ライアン・ギグス、ファーガソン監督らに助け起こされてようやく味方の歓喜の輪に加わった。 |
| これらの活躍により、この年のバロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞。 |
| 2008年夏、かねてよりロナウド獲得を目指していたレアル・マドリードが、移籍成立は時間の問題とメディアを通じてアピールしたことによりロナウドをめぐる移籍騒動が勃発。 |
| 正式なオファーを出さないまま一方的な発表を行った事に対してユナイテッド側が猛反発し、法的手段も辞さない構えを見せるなど話が大きくなる。 |
| ロナウド自身はこの騒動に関し公には沈黙を守っていたが、「子供の頃からの憧れのクラブであるレアル・マドリードへの移籍が実現するかもしれない」と気持ちが傾いていた事を残留宣言の中で認めている。 |
| 最終的にファーガソン監督と話しあった結果、ロナウドは残留を決意し、ユナイテッド公式ホームページに残留宣言が掲載された |
| その中で今回の移籍騒動については「(両クラブやその関係者にではなく)自分に責任がある」としている。 |
| 2008年11月15日のストーク・シティ戦ではフリーキックからクラブ100得点目を記録した。 |
| ちなみに同じ試合で再びフリーキックから101得点目も記録している |
| 2009年夏に退団希望を正式に表明。 |
| ユナイテッドも、フロレンティーノ・ペレス新会長のもと正式なオファーを出したレアル・マドリードとの移籍交渉を許可した。 |