| チャップマンによるアイデアの多くは、その後もF1を始めとするトップレベルのモータースポーツにおいて受け継がれている。 |
| #特異な構造のストラット式サスペンションの後輪への導入。 |
| #エンジンを構造体の一部とする設計。 |
| #動力を用いないグランドエフェクトの導入。 |
| #ウィングカーの延長としてのツインシャーシの導入。 |
| 彼はハーフシャフトをロワアームの一部として利用するストラット式サスペンションを後輪のサスペンションデバイスとして初めて利用した。 |
| これに続く彼の技術革新は、モノコック式の車体を導入したことである。 |
| これは、彼が航空技術を自動車分野に導入した最初の大きな成果である。 |
| この結果、車体はより軽くしかも強固になり、衝突事故の際により、より高いドライバー保護を実現した。 |
| モノコック車体を導入した最初期の車は1922年のランチアのラムダや1934年のシトロエンのトラクシオン・アバンであったが、ロータスは1958年のロータス・エリートからこの技術を採用した。 |
| エリートの改良されたモノコック車体はグラスファイバー製で、複合材料を用いた最初の自動車の1つでもあった。 |
| 1962年、彼はレーシングカーの分野において、ミッドシップF1カーであるロータス25によって技術革新をもたらした。 |
| モノコックシャシーは、それまで何十年にもわたってF1の標準デザインであったスペースフレームシャシーを急速に駆逐した。 |
| その後シャシーの素材はアルミニウムからカーボンファイバーへと変わったが、これらのシャシー構造は現代でも最上位のレーシングカテゴリーでは標準となっている。 |
| エンジンとトランスミッションをシャシー全体の応力要素として用いたのもチャップマンが最初であり、これもまた現代のレーシングカーでは広く採用されている。 |
| ジム・ホールのシャパラルに触発され、チャップマンは航空力学をF1カーのデザインに導入した。 |
| 彼は車体の前後に翼(ウイング)を取り付けることで、ダウンフォースの概念を広く普及させた。 |
| 最初は「きれいな空気」(車自体によって乱されていないという意味で)を受けられるよう、車体の3フィートほど上にウイングを取り付けた。 |
| しかし細い支柱はしばしば壊れてしまい、国際自動車連盟(FIA)はウイングを車体に直接取り付けるよう義務付けた。 |
| チャップマンはラジエータを車の先頭からどかせることで、車体前面を小さくし空気抵抗を減少させる方法を初めて採用した。 |
| これらの概念もやはり現代の高性能レーシングカーでは基本仕様と言える。 |
| チャップマンはレース界におけるビジネス面での革新者でもあった。 |
| 彼はF1では初めて、車を(車以外の製品を売るための)広告塔へと変えた。 |
| 最初はタバコブランドの一つであるゴールドリーフを掲げ、やがて最も有名なジョン・プレーヤー・スペシャルをまとった。 |
| チャップマンはトニー・ラッドやピーター・ライトとともに、地面効果(グラウンド・エフェクト・カー)をロータス78でF1に導入した。 |
| 最初は低圧部分を隔離するための動く「スカート」を取り付けていた。 |
| チャップマンが次に開発したのは、ウイングを廃して高速時の空気抵抗を減少させ、全てのダウンフォースを地面効果のみから獲得するマシンだった。 |
| しかし、スカートはコーナリング時に破損することがあり、その場合にダウンフォースが失われて車体が不安定になることから、可動式スカートは最終的に禁止された。 |
| FIAはフラットボトム(ベンチュリ形状を排除するための平坦な車体下面)を義務付けたり、車体下面の最低地上高を大きく取るなど、地面効果を減少させる手段を講じた(もちろん、デザイナーたちは風洞実験を通じて失われたダウンフォースを回復すべく努力した)。 |
| 彼の最後の技術革新の1つに、二重シャシーを持つF1カー、「ロータス88」が挙げられる。 |
| この時代における地面効果を最大限に得るためには、空気と接する面は精確に配置される必要があり、このためシャシーはほとんど跳ねないものとなった。 |
| しかし、これはドライバーを酷使するものであった。 |
| この問題を解決するため、チャップマンは2つのシャシーを持つマシンを作ったのだ。 |
| ドライバーが着座するシャシーは柔かく跳ね、スカートを装備するもう一方のシャシーはほとんど跳ねない、という構造だった。 |
| 2レースにおいてこのマシンは検査を無事通過したが、不運にも他のチームから抗議を受けたことで、結局出走が認められなかった。 |
| このような状況で開発は継続されず、結局このアイデアがうまくいくかどうかは分からずじまいとなった。 |
| こうした諸々の出来事は彼のF1に対する興味を失わせたが、チャップマンはそれでも仕事を続けた。 |
| チャップマンが死んだまさにその日にも、チーム・ロータスはF1で最初のアクティブサスペンションをテストしていた。 |