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つながりの強いひと
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鈴木邦彦
作品提供
東京都出身の作曲家、編曲家。妻は元歌手の小野階子(-しなこ)。 |
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なかにし礼(なかにしれい、男性、1938年9月2日-)は日本の小説家、作詞家。本名は中西禮三(なかにしれいぞう)。 |
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ギタリスト、ボーカリスト。本名は潘廣源。神奈川県横浜市山下町出身。華人。 |
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GODIEGO(ゴダイゴ)は1976年に結成され、人気を集めたバンド。日本のプログレッシブロックバンドの草分け的存在。 |
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プロフィール
- ザ・ゴールデン・カップスとは
- メンバー
- デビュー以前
- デビュー以降
- 解散後
- 特徴
- シングル
- アルバム
ザ・ゴールデン・カップス(TheGoldenCups)は1966年12月、神奈川県横浜市で デイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズ。
メンバー
| 結成当初のメンバーは以下のとおり。 |
| 脱退後、解散後の目立った活動は()内に。 |
| デイヴ平尾(1944年11月17日-2008年11月10日)。 |
| 本名:平尾時宗。 |
| エディ藩(1947年6月22日-)。 |
| 本名:潘廣源(人名事典では潘の字で記載)。 |
| ルイズルイス加部(1948年11月5日-)。 |
| 本名:加部正義。 |
| ベース(エディ藩が脱退後はギター、後年、チャーに熱望されジョニー吉長と3人でジョニー、ルイス&チャー(後にピンククラウドと改名)を結成。 |
| ケネス伊東(1946年1月1日-1997年3月2日)。 |
| 本名:ケネス・イトウ(KennethIto)。 |
| アメリカ合衆国・ハワイ州オアフ島出身の日系アメリカ人二世。 |
| ギター、ベース、ヴォーカル。 |
| マモル・マヌー(1949年6月3日-)。 |
| 本名:三枝守。 |
| ドラムス、ヴォーカルだったが、再結成後はヴォーカルに専念することが多い。 |
| その後、以下のメンバーが途中時期に在籍した。 |
| ミッキー吉野(1951年12月13日-)。 |
| 本名:吉野光義。 |
| キーボード(後にゴダイゴのリーダーとして両バンドを兼務)。 |
| 林恵文(1951年5月11日-)。 |
| ベース、藩が脱退後に加部と交代。 |
| アイ高野(1951年1月12日-2006年4月1日)。 |
| 本名:高野元成。 |
| ドラムス(カップス以前は「ザ・カーナビーツ」、以後は竹田和夫率いる「クリエイション」のヴォーカルとして、それぞれヒットあり)。 |
| 柳ジョージ(1948年1月30日-)。 |
| 本名:柳譲治。 |
| ベース、ヴォーカル(ソロでヒットを出し成功)。 |
| ジョン山崎(1950年7月29日-)。 |
| 詳細は不明だが、彼だけは公式サイトからプロフィールが削除されている。 |
| 現在ホノルルで牧師として活動中( |
デビュー以前
| 1965年頃、既に横浜ではいくつものアマチュアバンドが結成されており、ダンスパーティーやイベントなどに活動の場を求めていた。 |
| 平尾もそうしたアマチュアのひとりで、「スフィンクス」というバンドでヴォーカルを担当していた。 |
| 「スフィンクス」と藩がギターを担当していた「ファナティックス」はともにアマチュアながら、当時の横浜を代表するバンドであり、東京から音楽関係者が足を運んで演奏を聴きに来たり、「ファナティックス」は芸能プロからのスカウトを受けていた。 |
| 1966年7月3日、平尾は単独でアメリカ旅行に出発する。 |
| 昼間はレコード店巡り、夜はライブを見に行くという毎日だったようである。 |
| ほぼ同時期に藩も彼の父親に「旅行から帰ったら音楽を止めてコックになる」という約束で渡米していた。 |
| 実際に藩は音楽シーンの見聞を広めることと、新しい楽器を買うためにアメリカへ行ったが、たまたま行っていたサンフランシスコのゼムのライブ会場で平尾と偶然に再会する。 |
| 1966年11月、平尾が帰国。 |
| 高校時代の友人とバー「ゴールデン・カップ」を訪れた際、オーナーの上西四郎から「この店の専属バンドを探している」といわれる。 |
| こうして、スフィンクスはゴールデン・カップのステージに立ったのだが、当時最先端の音楽を生で触れてきたばかりの平尾には、バックの演奏が物足りなく感じた。 |
| そこで平尾は「人前に立つなら腕利きのメンバーを集めよう」と考え、アメリカで再会した藩を誘い、藩は伊東を誘った。 |
| 当初はベースに伊東、ドラムスにジョニー野村を据える予定だったが、野村は既にプロモーターを志して国際基督教大学に進学していた(その後、野村はゴダイゴのマネージャーとなる)ため、平尾の渡米中にスフィンクスのヴォーカルを担当していたマモルがドラムスを担当し、マモルが同じ高校の先輩であった加部を誘った。 |
| 1966年12月3日、上記5人のメンバーで「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」としての活動をスタートさせる。 |
| 1966年12月10日、ゴールデン・カップに来店していた「ナポレオン党」(カミナリ族、現在でいう暴走族のはしり)を取材していたTBSの撮影スタッフの目にとまり、『ヤング720』でテレビ初出演をする。 |
デビュー以降
| 1967年6月15日、テレビ出演をきっかけとして口コミで評判が広がり、妹から話を聞いていた歌手の黛ジュンが、東芝音楽工業(東芝レコード、現:EMIミュージック・ジャパン)の関係者をゴールデン・カップに連れてきたことを足掛かりに、シングル『いとしのジザベル』でレコードデビュー、デビューに際し、グループ・アンド・アイでは分かりにくいためTBS『ヤング720』の担当ディレクターである高樋洋子によって「ゴールデン・カップス」へと改名された、熱狂GS図鑑 黒沢進著 徳間書店 1986年1月刊 19頁。 |
| 因みに同シングルは公称18万枚のヒットを記録。 |
| なお、ザ・スパイダースのリーダー、田邊昭知も熱心にスカウトに来たが、黛ジュンとの話が先だったため、田邊昭知のスカウトは断った。 |
| また、彼らを混血グループという触れ込みで売り出しを図ったのは、当時の東芝音楽工業の意向だとされている。 |
| 1967年7月21日、東京のジャズ喫茶(ラ・セーヌ)に初出演。 |
| 1967年8月26日、第31回日劇ウエスタンカーニバルに初出場。 |
| 1968年3月10日、1stアルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』を発売。 |
| 1968年4月1日、3rdシングル『長い髪の少女』が発売。 |
| オリコン14位、35万枚のセールスを記録し、一躍人気グループの仲間入りをする。 |
| 1968年7月8日、ビザの関係で伊東が一時活動休止(軍属であった父親が退職を決意したため)。 |
| 1968年9月1日、4thシングル『愛する君に』が発売され、オリコン13位となる。 |
| 1968年10月21日、伊東が復帰。 |
| 1969年4月25日、藩と伊東がエディ藩グループ結成のため脱退。 |
| 1969年12月28日、加入前の山崎とルームというバンドを結成するため、加部と林が脱退し、マモルも作曲家の鈴木邦彦に熱望され、ソロ歌手になるため脱退する。 |
| 1970年1月1日、エディ藩グループと合併し、藩と伊東が復帰、マモルの後任には、同年9月に解散したザ・カーナビーツのドラマー兼ヴォーカルであり、エディ藩グループのドラムスであった高野が加入(高野には、マモルが使っていたパールのドラムセットが譲られた)。 |
| 1970年8月31日、父親がカウアイ島で経営していたサーフボード店の後を継ぐため、伊東が完全に去る。 |
| 1970年9月1日、柳が加入。 |
| 1971年1月、吉野が脱退。 |
| 1971年7月3日、山崎が加入。 |
| 1972年1月1日、ゴールデン・カップスとして最後の仕事となる沖縄のディスコティックでの演奏最終日、最後の曲となる『長い髪の少女』を演奏中、会場内で火災が発生し、柳のベース以外は機材をすべて焼失。 |
| 1972年1月2日、解散。 |
解散後
| 1972年10月5日、平尾が初のソロシングル『僕達の夜明け/一人』を発売。 |
| 1973年12月頃、同年春ころから断続的に活動を続けてきた「ママリンゴ」というバンド(メンバーは平尾、加部、柳)が、「デイブ平尾とゴールデン・カップス」名義で活動を開始。 |
| 1975年頃、平尾が俳優業を本格化させたため、、「デイブ平尾とゴールデン・カップス」を解散。 |
| 1981年12月5日、横浜シェルガーデンで行われたライブ『ゴールデン・カップス・ワンナイト・セッション』で当日のみの再結成(メンバーは、平尾、藩、加部、吉野、高野)。 |
| 1982年、平尾が六本木にライブ・バー「ゴールデン・カップ」をオープン。 |
| 1989年4月5日、大阪城ホールでのライブ『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーは平尾、マモル、吉野、高野)。 |
| 1989年6月10日、横浜アリーナでのライブ『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーは平尾、藩、マモル、加部、吉野、高野)。 |
| 1997年3月2日、伊東が死去。 |
| 2002年12月、本格的な再結成と映画『ワンモアタイム』の製作が決定。 |
| 2003年5月4日、5月6日、横浜・clubMatrixにて映画撮影用ライブ『THEGOLDENCUPSMAXIMUMR&BLIVE2003』を行う。 |
| メンバーは平尾、藩、加部、マモル、吉野の5人に、サポートメンバー3名(ドラムス:樋口晶之、ベース:スティーブ・フォックス、ギター:中村裕介)。 |
| 2003年8月9日、NHK『思い出のメロディー』に出演。 |
| 2004年7月24日、横浜赤レンガ倉庫にて、映画完成ライブイヴェント『ONEMORETIMELIVESESSION2004』を行う。 |
| 2004年7月25日、横浜赤レンガ倉庫にて、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』先行完成披露上映会を行う。 |
| 2004年10月10日、渋谷公会堂にて『THEGOLDENCUPSMAXIMUMR&BLIVE2004』を行う。 |
| 2004年11月20日、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』が一般公開される。 |
| 2006年4月1日、急性心不全で高野が死去。 |
| 2008年11月10日、食道がん療養中に心不全で平尾が死去。 |
| 2009年1月26日、神奈川県横浜市のライヴハウス「タイクーン」にて、『THEGOLDENCUPSPRESENTS追悼デイヴ平尾トリビュートパーティー』が行われ、メンバーはもちろん、旧知のCHIBOや陳信輝、CHARやジョニー吉長、金子マリ、石間秀機、篠原信彦などに加え、沢田研二、岸部一徳も参加して、平尾と伊東を偲んだ。 |
| 2009年11月10日、横浜BLITZにて『THEGOLDENCUPS横浜公演2009』を行う。 |
特徴
| 結成から解散に至るまで、オリジナルのヒット曲はあったが、ステージ上ではこれらの曲を演奏することを好まず、もっぱら当時のアメリカやイギリスで流行していたロックやリズム・アンド・ブルースのカバーを行っていた。 |
シングル
| #いとしのジザベル/陽はまた昇る(1967年6月15日)。 |
| #銀色のグラス/ドゥー・ユー・ノー・アイ・ラヴ・ユー(1967年11月15日)。 |
| #長い髪の少女/ジス・バッド・ガール(1968年4月1日)。 |
| #愛する君に/クールな恋(1968年9月1日)。 |
| #過ぎ去りし恋/午前3時のハプニング(1968年12月5日)。 |
| #本牧ブルース/4グラムの砂(1969年2月1日)。 |
| #ルシール/君は僕に首ったけ~悲しき叫び(1969年5月1日)。 |
| #蝶は飛ばない/もう一度人生を(1969年7月10日)。 |
| #にがい涙/悪魔にだまされた(1970年5月5日)。 |
| #人生は気まぐれ/たったいちどの青春(1971年11月5日)。 |
アルバム
| #長い髪の少女/ゴールデン・カップスのすべて(1969年11月10日)。 |
| ロックンロール・ジャム'70(1970年4月5日・4バンドによるライブアルバム)。 |
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