| right|200px|thumb|ライブでのダンコ、ヘルム、リチャード(1971年5月、ハンブルク)。 |
| ファイル:BobDylanandTheBand-1974.jpg|right|200px|thumb|ボブ・ディランとの全米ツアーにて。 |
| 左よりダンコ、ロバートソン、ディラン、ヘルム(1974年5月、シカゴ)。 |
| right|200px|thumb|ラストコンサート「ラストワルツ」より(1976年11月25日、サンフランシスコ)。 |
| 1968年、ホークスはバンド名をザ・バンドとし、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でデビューする。 |
| 「ザ・ウェイト」は映画「イージー・ライダー」にも使われヒットした。 |
| ロックにカントリー、フォーク、R&Bといったルーツ・ミュージックの要素を色濃く反映させた音楽性は非常に高い評価を獲得し、当時の多くのミュージシャンたちに大きな影響を与えた。 |
| ディランに高く評価されたロバートソンのギター・テクニックと、ヘルムの土臭いヴォーカルとドラム、力強いダンコのベースに堅実なマニュエルのピアノ、そして重厚かつ技巧的なハドソンのキーボードなどが渾然となって、他に真似の出来ない独特のサウンドを作り上げたのであった。 |
| 1969年8月17日にはウッドストックコンサートに出演。 |
| 同じ8月末にはディランとともにワイト島フェスティバルに参加。 |
| このワイト島出演の際ザ・ビートルズのジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと親交を深めた。 |
| その後も『ザ・バンド』、『ステージ・フライト』とアルバムをリリースし、引き続き高い人気を博す。 |
| 1971年には野心作『カフーツ』でアラン・トゥーサンを招き、ホーンセクションを取り入れる。 |
| 1973年にはカバーアルバム『ムーンドッグ・マチネー』をリリース。 |
| エルヴィス・プレスリーのナンバー『ミステリー・トレイン』や映画音楽『第3の男』を演奏するなど話題を集める。 |
| 1974年にはディランと共にツアーを行い、興行的にはその年で一番といわれるほどの大成功を収めた。 |
| このときの様子はアルバム『偉大なる復活』(1974年)で聴くことができる。 |
| また、1972年に発表されたライブアルバム『ロック・オブ・エイジズ』は、スタジオ録音と変わらない演奏スタイルで話題を呼んだ。 |
| このあたりから、ロバートソンがバンドのイニシアチブを取るようになり、ヘルムとの関係が微妙になる。 |
| 以後も、リンゴ・スターやエリック・クラプトン、マディ・ウォーターズのアルバム制作に参加、1975年アルバム『南十字星』発表する。 |
| だが、バンド内ではツアー活動よりアルバム制作を重視すべきとの意見をもつロバートソンと、ツアー活動にこだわるメンバーとの対立が激しくなったり、マニュエルが疲労とストレスから酒とドラッグに溺れ体調を崩すなどの問題を抱える。 |
| こうして音楽活動が行き詰まる中、ロバートソンは1976年にライヴ活動の停止を発表する。 |
| ロバートソンは解散して新たなステップを目指していたが、ヘルムは解散・ライブ活動停止には反対であった。 |
| またロバートソン以外のメンバーも解散を望んでいなかった。 |
| そのような中、11月24日にサンフランシスコのウインターランドでラスト・コンサートを行なう。 |
| (実質的に解散コンサートとなる)コンサートには多数の大物ミュージシャンが参加した。 |
| ホーキンス、ディラン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、ヴァン・モリソン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ロン・ウッド、ポール・バターフィールド、ニール・ダイヤモンドら、そうそうたる顔ぶれである。 |
| この模様はマーティン・スコセッシの手により撮影され、映画「ラスト・ワルツ(TheLastWaltz)」として公開、3枚組サントラ盤もリリースされた。 |
| 1976年、キャピトルとの契約が残っていた関係上(「ラスト・ワルツ(TheLastWaltz)」のサントラをワーナーブラザーズから発表するため)アルバム『アイランド』をリリースするが、最早往年の出来映えは見られず不評に終わる。 |
| 結局これを最後にザ・バンドとしての活動に終止符が打たれる。 |