| 幼少期に6年間バルセロナで過ごした後、サン・セバスティアンへと移った。 |
| サン・セバスティアンのビーチ、ラ・コンチャでミケル・アルテタらと遊ぶうちにテクニックを身に付けた |
| サン・セバスティアンのクラブであるアンティグオコで才能を見せ、レアル・ソシエダの下部組織へと入団。 |
| 1997年にレンタル先のエイバルでデビュー。 |
| 2部リーグでのプレーだったが多くの出場機会を与えられプレーメーカーとしての能力を磨くと、再びレンタルでエイバルに放出された2001-02シーズンを機にソシエダでもレギュラーの座を確保した。 |
| 2002-03シーズン開幕当初、2部降格候補の一角でしかなかったソシエダの中で、アロンソは期待の一若手に過ぎなかったが、レイノー・ドヌエ監督の下ラ・レアルは大躍進。 |
| アロンソは非常に正確なパスで攻撃を自由自在に操り、終わってみればシーズンを2位で終える成功を収めレアル・ソシエダがリーガ優勝を成し遂げた1981-82シーズン以来最高位。 |
| UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する原動力となった。 |
| そして、その年のドン・バロン・アワード・最優秀スペイン人選手に選ばれた。 |
| 翌の2003-04シーズンは、リーガ・エスパニョーラとチャンピオンズリーグに並行して出場するという「二足のわらじ」が足枷となり、リーガでは2002-03シーズンと比べると明らかに見劣りする12位という結果に終わったが、チャンピオンズリーグではチームをベスト16に引き上げる原動力になった。 |
| これを機にアロンソの名は本格的に世界に知れ渡って行く。 |
| 200px|thumb|left|リヴァプールで同僚のディルク・カイトと。 |
| その後、レアル・マドリードやリヴァプールなど、数々のクラブが彼を獲得しようと動いた。 |
| 本人は残留の意を表していたが、クラブ側の都合で放出されることが決定し、ラファエル・ベニテスが指揮を執ることとなったリヴァプールに1600万ユーロ(約21億6,000万円)で、移籍する決意をする。 |
| アロンソ本人は、過去バレンシアで2度のリーグ優勝や1度のUEFAカップ制覇を遂げたベニテス監督の下で指導を受けたかったという。 |
| リヴァプール移籍1年目の2004-05シーズン、ボルトン戦にてプレミアリーグデビューを果たすと、1-0で破れはしたもののアロンソはパスの技術をメディアから賞賛された |
| フラム戦では、2得点を奪われた状態で折り返した後半から途中出場すると、フリーキックからリヴァプールでの初ゴールを記録。 |
| その試合、リヴァプールは後半4得点を挙げて逆転勝利した |
| 元日のチェルシー戦でフランク・ランパードにタックルを受け、左足首を骨折した。 |
| 全治5カ月で戦線離脱を余儀なくされるが、驚異的な回復力を見せシーズン終盤に復帰。 |
| チャンピオンズリーグでは決勝に出場し、決勝のACミラン戦ではPKのこぼれ球を押し込む同点ゴールを挙げ、チームの逆転優勝に貢献した。 |
| 2006年1月7日に行われたFAカップ3回戦、ルートン・タウンFC戦では、自陣から60ヤード強のロングシュートを決めた |
| ウェストハムとのFAカップ決勝でもフリーキックからスティーヴン・ジェラードの同点ゴールをアシストし、タイトル獲得に貢献。 |
| また、2006年9月20日、ニューカッスル戦でも70ヤードのロングシュートを記録。 |
| このゴールはBBCから「常軌を逸した」と表現され |
| 2007-08シーズン初めは、怪我によるジェラードの不在のため、本来の位置よりも前のポジションでプレー。 |
| 6-0で勝利したダービー・カウンティFC戦では2ゴールを挙げた |
| ポーツマス戦で軽傷を負ってしまい、更にその後のトレーニングで悪化。 |
| 6週間の離脱を余儀なくされた |
| 2007年の終わりに怪我から復帰したが、その後の数ヶ月間はハビエル・マスチェラーノ、ルーカス・レイヴァらとの激しいポジション争いが続いた |
| 2008年1月12日、ミドルスブラとの試合でリヴァプール100試合出場を達成した。 |
| 2008年の夏の移籍市場では、中盤の補強を進めるユヴェントスが強い興味を示し |
| 2008-09シーズンは、夏の市場でチームが自身を放出をしようとしたことに対し、スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦ではその試合唯一の得点を挙げてチェルシーの過去4年間のホーム無敗記録を破るなど、うっぷんをはらすかのように中盤の核的な存在として大活躍し、マンチェスター・ユナイテッドとの熾烈な優勝争いを演じる原動力となった。 |
| 200px|thumb|right|UEFAチャンピオンズリーグ、ACミラン戦でのアロンソとクラレンス・セードルフ。 |
| 前年同様に2009年夏の移籍市場では移籍が騒がれ、特に銀河系軍団の再構築を目標としているレアル・マドリード会長のフロレンティーノ・ペレスや、前年の夏同様ユヴェントス、そして莫大な資金力をバックに持つマンチェスター・シティが強い興味を示した。 |
| これに対しベニテス監督は移籍の可能性を否定していたが、アロンソは移籍を直訴し |
| クラブにはすぐに馴染み、スペイン・マルカにてリーガ・エスパニョーラのベストイレブンに選ばれる、シャビ、ハビ・マルティネスらと共にスペインプロリーグ機構の選ぶLFPアワード、最優秀MFにノミネートされるなどの活躍を見せた |
| また、いくつかのスペインの報道機関やサポーターからは''LaBarbaRoja''(赤髭)というニックネームもつけられた |
| 副キャプテンであるグティがベシクタシュへ移籍したことにより、2010-11シーズンから背番号は22番から代表でも付けている14番に変更になった。 |
| ジョゼ・モウリーニョからは不在がチームに大きな影響を与える選手とされ |
| チャンピオンズリーググループリーグアヤックス戦で、4-0でリードした後半終了間際にアロンソとセルヒオ・ラモスが相次いで遅延行為で退場となった |
| 退場の直前にイェジー・ドゥデクがイケル・カシージャスに耳打ちをしていたシーンも流され、トーナメント前に累積警告を消化するため故意に反則を犯した疑いがあるとしてUEFAの調査が入ることとなった |
| そして、アロンソ自身には2万ユーロの罰金が科せられた |
| 2011年、2010FIFAワールドカップで優勝したことなどを評価され、地元からタンボール・デ・オロ(金の太鼓)を受賞した |
| W杯後のシーズンであったもののキャリア最多となる公式戦52試合に出場し、スペインでの自身初タイトルとなったコパ・デル・レイ優勝にも貢献した。 |