| 1960年代に吹き荒れたビートルズ旋風/ブリティッシュ・インヴェイジョン、その影響下で続々と誕生したアメリカンバンド第一世代を代表するグループ。 |
| 反体制や薬物体験を歌った歌詞などにより、60年代カウンターカルチャーの申し子とされる。 |
| また、ドラッグカルチャーやライトショウを駆使したステージに象徴されるサイケデリアの時代にバンドは最初のピークを迎えたというイメージからか、日本では単に「サイケデリック・ロック」の代表格として語られる事も多いのだが、実際にはその時期は短く、もっと幅広い音楽的要素を持っていると言える。 |
| バンド創設者のひとり、マーティ・バリンは1962年にポップス/R&Rシンガーとしてシングル・デビューし、その後サンフランシスコに移ってフォーク・グループで活動していたが、自分のバンド結成を目論む。 |
| 一方、根っからのフォーキーであるポール・カントナーはフォーク・シンガーとしてサンフランシスコのコーヒーハウスなどで活動していた。 |
| この2人が出会ってメンバーを集め、1965年にジェファーソン・エアプレインの母体が出来上がりライブ・デビュー。 |
| やがて、サンフランシスコ初のメジャー契約バンドとして1966年にはRCAからシングル/アルバム・デビューを果たし、一躍注目を集める。 |
| 当初はバリンのボーカルを中心にしたストレートなフォーク・ロックのバンドではあったが、そのベースにはフォーク/R&R/R&B/ブルースが混ざり合い、男性/女性3人のボーカルに個性的でハイレベルなギター/ベース・サウンドが絡むスタイルはすでに確立されていた。 |
| 1967年の『SurrealisticPillow』制作前にはグレイス・スリックが加入してバンドに一大飛躍をもたらす。 |
| そのカリスマ性を体現するかのような強力な歌声で、アルバムから「WhiteRabbit」「SomebodyToLove」の大ヒットが生まれた。 |
| また各メンバーも強烈に主張し始め、バリン作のメランコリックな曲、すでにホット・ツナを予感させるヨーマ・カウコネンの曲、3人のボーカルが絡み合うスリリングな曲など、その後長らくバンドを彩る多様なスタイルがすべて現れている。 |
| そして、モンタレー・ポップ・フェスティバルの好演によりエアプレインの名前は全米に広まった。 |
| 高い演奏力とオリジナリティ溢れる創作力を持つメンバーが集まったことにより、これ以降、実験的な試みをスタジオ作品やライブで繰り広げ、サウンドは目まぐるしく変化し、音楽的クオリティも高まって行く。 |
| 当初はバリンがリーダーだったが、3rdアルバムを制作する頃からは、独創性を発揮し始めたカントナーのリーダーシップや他メンバーの主張も台頭し、バンド内の力関係も変化し始める。 |
| 傍目には危ういとさえ感じられるこの個性のぶつかり合いこそが、バンドを時代の頂点に押し上げる原動力になった。 |
| ちなみに、バリンはポップ・ソングやR&R/R&B、カントナーはフォーク・ミュージック、ギターのカウコネンはトラディショナルなブルースの追求者、ベースのジャック・キャサディはR&B、ブルーズ、R&R、ジャズと幅広く好み、ドラムスのスペンサー・ドライデンはジャズ出身という多様性を持っていた。 |
| 当時の一大ムーブメントになった大掛かりなフェスティバルにもくまなく参加し、1968~1969年にかけて人気はピークに達する。 |
| ひたすら新しい音楽表現を追求したサイケデリアの時代が過ぎ、1969年のウッドストックに出演する頃にはベトナム戦争が泥沼化、バンドは反体制メッセージの代弁者としての存在感が増して行く。 |
| その中心は、政治的メッセージを発するカントナーとカリスマ性が頂点に達したスリックに移っていた。 |
| また、演奏スタイルも1970年代に入る頃にはストレートでよりヘヴィなものに変化して行った。 |
| 一方、ビジネスとして巨大化し余りにも過酷になった活動の中で、よりパーソナルな音楽活動を望むカウコネンとキャサディは1969年ごろからブルーズ・デュオHotTunaの原型をスタート。 |
| 西海岸のミュージシャンとPlanetEarthRockandRollOrchestraと呼ぶセッションを活発に行なっていたカントナーは、1970年に自己のプロジェクトユニット、PaulKantnerJeffersonStarship名義でのアルバムを発表した。 |
| ここでスターシップという次のコンセプトが生まれた。 |
| 理屈の通らない権力者などは相手にせず理想を追求する人達で宇宙に脱出しようというストーリーは、1969年発表の曲「WoodenShips」が原点さらに、オルタモントでの事件やジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンの死を契機に、バリンは音楽活動自体を見直したいと考えるようになり、自分が作ったバンドから1971年に脱退。 |
| RCAとの契約期間が終了したバンドは、このような状況においても1971年に自分達のインディペンデント・レーベル「GRUNT(グラント)」を設立し、同年、エアプレインとしてミリオンセラーのスタジオ作『Bark(バーク)』を制作。 |
| 他のアーティストとも契約して作品をリリースするなど、チャレンジは続けた。 |
| しかしこの時期、L.A.勢力の台頭など音楽シーンの新旧交代も影響してエアプレインとしての活動は停滞。 |
| カントナーはスリックのソロを含むプロジェクト作品を1973年までに更に3枚制作してスターシップのコンセプトを発展、HotTunaもアルバム制作を続けるなど、各々のソロ活動が本格的になり、外に向かって行った。 |
| 1972年に最後のツアーが行なわれた後、翌1973年にはそのライブ盤がリリースされた。 |
| しかし、HotTuna組の2人は完全にバンドを離れてしまい、ジェファーソン・エアプレインは正式に解散した。 |