| ソープは1907年にカーライルで陸上競技選手としてのキャリアをスタートさせたと伝えられている。 |
| 普段着のまま走り高跳びで5フィート9インチ(約175センチメートル)を飛んで見せた。 |
| 彼は試みたスポーツすべてで素質を示し、1912年には社交ダンスの大学選手権で優勝した。 |
| 当初彼は身長5フィート、体重は100ポンドに満たなかった。 |
| 2年後に身長6フィート、体重180ポンドまで身体を成長させた。 |
| ポップ・ワーナーはソープのような優れた陸上競技選手にフットボールのような肉体的な競技をさせることを躊躇っていた2.Jeansonne.p.60。 |
| しかしながら、ソープは、自身を学校チームのディフェンスと対戦させるようにワーナーに申し出た。 |
| ワーナーはソープが簡単にタックルを受けて、あきらめるだろうと考えた。 |
| ソープは縦横無尽に走り回り、一度ならず二度もディフェンスを振り切った。 |
| ソープはワーナーに歩み寄り、ボールを弾きながら「誰もジムにタックル出来なかった」と言った。 |
| 1907年当初アルバート・ペインが先発ハーフバックであり彼は控えだったがペインが負傷したため彼は出番を与えられるようになった。 |
| ペンシルベニア州立大学戦で出番を与えられた彼は2プレイ目で75ヤードのタッチダウンをあげさらに2タッチダウンをあげる活躍を見せた。 |
| 彼はランナーとしてだけでなくブロッカー、タックラー、キッカーとしても実力を発揮した。 |
| 1908年に彼はオールアメリカンのサードチームに選ばれた。 |
| この時代彼は陸上競技でも走高跳で6フィート5インチ、走幅跳で23フィート6インチ、砲丸投で47フィート9インチ、やり投で138ヤード、棒高跳びで10フィート8インチ、100ヤード走で10秒、120ヤードハードルで15秒、440ヤード走で51秒の成績を残した。 |
| 1911年、この年彼の体は6フィート1インチ、190ポンドまで成長していた。 |
| 開幕戦でわずか17分の間に3タッチダウン、2エクストラポイントをあげ、その後サイドラインに留められた。 |
| セントメリーズ大学戦でも3タッチダウンをあげた。 |
| 続く強豪のピッツバーグ大学戦では多くのものがピッツバーグ大学がカーライルを粉砕すると予想したが彼の活躍により17-0でカーライルが勝利した。 |
| 全米で注目されたハーバード大学(ランキング1位)との対戦でソープはランニングバック、ディフェンシブバック、プレースキッカー、パンターとして出場、4フィールドゴール(最後に50ヤードの決勝FGを決めている)1タッチダウンを成功させてチームの全得点をたたき出し、18-15で勝利を収めることに貢献した。 |
| 翌シーズン、彼の所属するカーライルのチームは全米大学選手権で優勝した。 |
| ディッキンソン大学との試合ではアメリカンフットボール史上最長となるタッチダウンを決めた。 |
| ゴールポストより後ろからパントを蹴ろうとしたソープ(当時のフィールドにはエンドゾーンが存在しなかった)へのセンターからのスナップが彼の頭上に向けられるほど高いものとなった。 |
| ボールを受けた彼は次々とタックルを交わし120ヤードを走りタッチダウンをあげた。 |
| 1912年シーズンだけで彼は25タッチダウン198得点を記録した。 |
| 陸軍士官学校チームに27-6で勝利した試合では、92ヤードタッチダウンランを見せたがペナルティで取り消し、5ヤード罰退した次のプレーで97ヤードのタッチダウンランを決めて見せた。 |
| このプレーを決めた後、彼はチームメートに対して「史上最長タッチダウンだ。 |
| 189ヤードのタッチダウンをあげたぞ!」とジョークを述べた。 |
| このシーズンにソープと対戦した後の大統領のドワイト・D・アイゼンハワーは1961年に次のように回想している。 |
| 古今東西、最高の才能を授けられた人間は何人かいる。 |
| 私が思いつくのはジム・ソープである。 |
| 彼は生涯練習せず、私が今までに見たいかなる他のフットボール選手よりも優れたプレーが出来た。 |
| 1911年-1912年シーズン、アメリカンフットボールのオールアメリカのファーストチームに選出された。 |
| アメリカンフットボールはソープのもっとも好きなスポーツで1.O'Hanlon-Lincoln.p.144、陸上競技には時々出場するのみであった。 |
| しかし陸上競技はソープが最高の名声を得るスポーツとなった。 |
| 1912年の春にオリンピックを目標にしたトレーニングを始めた。 |
| 当初は向けられる努力は幅跳、ハードル走、砲丸投に限られていたが、棒高跳、やり投、円盤投、ハンマー投のトレーニングも行った。 |
| ソープは五種競技と十種競技のアメリカ代表選考会に参加し、ニューヨークのセルティックパークで行われたオリンピック代表選考会で彼の万能な能力はすべての種目で好成績を残し、スウェーデン行きを決めた。 |
| 代表のチームメートには後に国際オリンピック委員会(IOC)会長となるアベリー・ブランデージもいた。 |