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プロフィール
- ジャック・デリダとは
- 1930年から1967年まで
- 1968年以後、哲学教育運動
- 1980年代以降
- 構造と生成(現象学と構造主義)
- 脱構築(ディコンストラクション)
- グラマトロジー
- 1970年代以降
- 論争・批判
- 影響
- 日本における影響
- 関連サイト
ジャック・デリダ(JacquesDerrida,1930年7月15日-2004年10月8日)は、アルジェリア出身のフランスのユダヤ系哲学者。一般にポスト構造主義の代表的哲学者と位置づけられている。エクリチュール(書かれたもの、書法、書く行為)の特質、差異に着目し、脱構築(ディコンストラクション)、散種、差延等の概念などで知られる。フッサール研究から出発し、ニーチェやハイデッガーを批判的に発展させた。哲学のみではなく、文学、建築、演劇など多方面に影響を与えた。また ヨーロッパだけでなくアメリカ、日本など広範囲に影響を与えた。代表的な著作に『グラマトロジーについて』『声と現象』『 ...
1930年から1967年まで
| 1930年7月15日、当時フランス領アルジェリアのアルジェにあるElBiarで、ピエ・ノワールと呼ばれるユダヤ系フランス人家庭に生まれた。 |
| 父はジェオルジェット・エメ・デリダ、母はスルタナ・エステル・サファGeoffreyBennington,''JacquesDerrida'',UniversityofChicagoPress,1999。 |
| 家族の祖先はセファルディムであり、1870年にフランス国市民権を取得した。 |
| 五人兄弟の三男で両親はハリウッドの映画俳優にちなんでジャッキーと名付ける。 |
| のちパリに出て、「正しい読み」としての「ジャック」に本人が変更した. |
| リセではサッカーを好み、将来の夢はサッカー選手だったという。 |
| 精神的な危機のなか、ルソーやアルベール・カミュ、ニーチェやアンドレ・ジッドなどを読む。 |
| パリに出てリセ・ルイ・ル・グランに学ぶが、なじめなかったという高橋哲哉『デリダ』講談社。 |
| 二度の受験に失敗したのち、1951年、エコール・ノルマル・シュペリオール(高等師範学校)に入学する。 |
| エコール・ノルマルではルイ・アルチュセールやミシェル・フーコーの講義に出席し、のち友人となった。 |
| このころにハイデガー、キルケゴールなどを読書後、フッサールの現象学を研究することを決意し、ベルギーのルーヴェンにある「フッサール文庫Husserl-ArchivesLeuven」に行く。 |
| 1954年のアグレガシオン(教授資格論文)はフッサールについてのものだった。 |
| のち1990年に『フッサール現象学における発生の問題』として出版。 |
| 教授資格論文の指導教官はジャン・イポリットとモーリス・ド・ガンディヤックMauricedeGandillac,1906-2006。 |
| 哲学者でベンヤミン、ヘーゲル「精神哲学」のフランス語訳をした。 |
| ネオプラトニズムの研究も行った。 |
| エリザベート・ルディネスコの『ジャック・ラカン伝』(藤野邦夫訳、河出書房新社)に記載あり。 |
| カンギレムはカバイユ伝を1996年に刊行しているにも影響を受けた。 |
| アグレガシオンには落第するが1956年に合格する。 |
| ハーヴァード大学に留学し、1957年には精神分析を研究していたマルグリット・オークチュリエのちマルグリット・デリダ。 |
| メラニー・クラインやウラジミール・プロップの翻訳なども刊行している。 |
| とボストンで結婚。 |
| 同年より1959年までのアルジェリア独立戦争中には軍事学校で兵士たちにフランス語や英語を教えていた。 |
| ジャック・ラカンの熱心な生徒だった作家フィリップ・ソレルスの主宰する「テル・ケル」グループと親交をむすぶ。 |
| 1960年から1964年にかけてソルボンヌ大学で哲学講師。 |
| 1962年にはフッサールの『幾何学の起源』に長大な序文をつけ翻訳出版し、ジャン・カバイユ賞(エピステモロジー賞)受賞。 |
| 1963年に長男ピエールが生まれる。 |
| アルチュセールとイポリットの推薦で1964年から高等師範学校の哲学史講師。 |
| のち同校哲学教授となり、1984年までつとめる。 |
| 1966年にはジョンズ・ホプキンス大学で教鞭をとり、当時米国で開催された会議での発表 |
| 同会議でポール・ド・マンやジャック・ラカンと知り合う。 |
| 1967年には次男ジャンが生まれる。 |
| 同年、『グラマトロジーについて』『声と現象』『エクリチュールと差異』を続々と発表し、以降、哲学界に影響を与え続けた。 |
1968年以後、哲学教育運動
| 1968年以後、デリダは1970年代から80年代にかけて哲学教育運動を展開する。 |
| 1968年の五月革命以降、当局は時間数を削減したり、必須制を自由選択制にしたり、教員数を削減するなど哲学教育を抑圧(弾圧)し、産業社会の要求にそう実用的な教育政策方針をとった。 |
| これに対してデリダら教員と学生あわせて30名ほどで1974年4月、この問題に対処するための「哲学教育研究グループ」(GroupedeRecherchessurl’EnseignementPHilosophique・GREPH)を結成した高橋哲哉『デリダ』(講談社、1998年)33-36頁。 |
| 以降、文部省改革案への反対表明など、さまざまな批判運動を展開する。 |
| このなかでデリダは、哲学教育を削減するのではなく、むしろ時間数を増やし、学習開始年齢を引き下げよという提言を行なった。 |
| デリダはインタビューのなかで「17歳か18歳以前に哲学を学ぶことは不可能であり、危険であると、プラトン以来信じられてきましたが、これには一体、どんな政治的ないし性的理由があるのでしょう?」と問いかけ、「フランスで第六学級・第七学級と呼ばれている児童、10歳や11歳の子供たちに哲学を教えてみましたが、非常に成功しました。 |
| 若い少年少女たちは哲学に興味をもつだけでなく、哲学を必要とし、それを楽しんでいました。 |
| 難解なテクストと思えるものにも十分取り組んでいました」と自身の実験を報告しているデリダ・インタビュー「戯れする貴重な自由」現代思想1986年。 |
| 1978年12月、仏語および英語圏アフリカ哲学者連合国際コロキウムで「哲学教育の危機」を講演。 |
| 1979年6月、ソルボンヌで公開討論会「哲学の三部会」が開かれ、委員の中には、デリダ、ドゥルーズ、リクール、ジャンケレヴィッチ、シャトレ、ナンシー、ラクー=ラバルトらがいた。 |
| 1981年に成立したミッテラン政権はこの運動を支持し、1983年、「国際哲学コレージュ」(CollègeInternationaldePhilosophie)が創設された。 |
| デリダは初代院長に就任、フランソワ・シャトレらとともに運営を行う。 |
| 翌年、J-F.リオタールが院長に就任。 |
| こうしたデリダの教育運動はのち『哲学への権利について/法から哲学へ』(1990年)にまとめられた。 |
1980年代以降
| 1983年には映画監督KenMcMullenの映画「ゴーストダンス」でテキスト提供や出演もおこなう。 |
| 1984年から2004年に没するまで、パリの社会科学高等研究院(EcoledesHautesEtudesenSciencesSociales:EHESS)で研究ディレクターを務めた。 |
| 1986年、カリフォルニア大学アーバイン校(UCI)人文学教授。 |
| なおデリダ死後、生前UCIに非公式に遺稿を譲与する約束をしていたとして、大学と遺族との間に法的折衝があった. |
| ほかアメリカではイエール大学、ニューヨーク大学、ストーニー・ブルック大学、新社会科学研究院(TheNewSchoolforSocialResearch)などでも教鞭をとった。 |
| アメリカ学士院(AmericanAcademyofArtsandSciences)会員。 |
| ケンブリッジ大学、コロンビア大学、新社会科学研究院、エセックス大学、ルーヴェン大学、ウィリアムズ学院、シレジア大学から名誉博士号授与。 |
| ケンブリッジ大学名誉博士号授与の際には大変な議論が起こり、クワインらが反対したことは有名である高橋哲哉『デリダ』講談社、JohnRawlings(1999) |
| 2002年映画『デリダ』出演。 |
| 2003年膵癌に罹り、2004年にパリにて没す. |
構造と生成(現象学と構造主義)
| デリダは現象学と構造主義から強い影響を受けつつ、両者を批判するなかで思想を構築していった。 |
| 現象学から発生的観点を継承し、はじまり・起源の問題を批判的に論じた。 |
| フッサールの「意識への直接的な現れ」を基準とする現象学的方法についてデリダはのちに「現前性の形而上学」の一事例として批判的に参照するようになる。 |
| 1962年、フッサールの論文への序説『「幾何学の起源」序説』について後年のインタビューでデリダは、この著作のプロブレマティックにはすでに「差異・差延」のアイデアがあり、意識、現前、科学、歴史、科学の歴史、起源の消失または遅延などについて論じており、『声と現象』と連携したものであるといっている''Positions''(1972),p.5.。 |
| なおデリダは『声と現象』を自分の著作のなかではもっとも好きだといっている''Positions''(Eng.1981,pp.4-5)。 |
| 論文「発生、構造、現象学」(1959)では「構造は生成を持つべきではないのか?そして起源、すなわち発生点は、生成するためにすでにあらかじめ構造化されているのだろうか?」と問うている「発生、構造、現象学」『エクリチュールと差異』所収。 |
| デリダはあらゆる構造的ないしサンクロニック(共時的)な現象は歴史を持ち、そして構造はといえば、その発生ないし生成の側面も考えないと理解することはできないとする「発生、構造、現象学」『エクリチュールと差異』所収。 |
脱構築(ディコンストラクション)
| なお「脱構築」という訳語は英文学者の由良君美が考案した四方田犬彦『先生とわたし』新潮社、2007年。 |
グラマトロジー
| 『グラマトロジーについて』ではジャン・ジャック・ルソーの言語起源論を、およびクロード・レヴィ=ストロースの「戦闘的ルソー主義」デリダ『グラマトロジーについて』(邦訳、足立和浩訳、現代思潮社、1971年)、そして「人間科学」という概念を緻密に批判した。 |
| グラマトロジー (Grammatologie)とは「文字、アルファベット、音節区分、読解およびエクリチュールについての論説」(リットレ辞典)であり、アメリカの古代史・アッシリア学者イグナス・ゲルブ(IgnaceJayGelb)の「AStudyofwriting,thefoundationofgrammatology(1952)が初出であるというデリダ『グラマトロジーについて』(邦訳、足立和浩訳、現代思潮社、1971年,p20)。 |
| しかゲルプのこの本は「一元的起源と多元的起源にかんする仮説を提出しているにもかかわらず、エクリチュールの古典的歴史のモデルに対応している」というデリダ『グラマトロジーについて』(邦訳、足立和浩訳、現代思潮社、1971年,p20)。 |
| プラトンの「パイドロス」や「メノン」からヴィーコ、ジョン・ウィルキンス、ロック、ウォーバートン、ライプニッツ、キルヒャー、デカルト、ソシュール、フッサール、レヴィ=ストロースにいたるまで連綿と続くある思考形式のパターンすなわち、エクリチュール(書き言葉・書字・書記)を代補(サプルマン。 |
| 英語でサプリメント)とし、パロール(話し言葉)を真なるものとする音声ロゴス主義・音韻論主義(Phonologism)を批判し、西洋形而上学が一貫して現前性を真理の基準としてきた(現前の形而上学)ことを指摘する。 |
| こうした一連の哲学史の脱構築の手法の先例にはハイデガーの哲学史研究があり、ハイデガーは『ニーチェ』において、ニーチェを西洋形而上学の最後の哲学者とみなしている。 |
| なおデリダは同じような言い方をハイデガーにもふりあてているデリダ『グラマトロジーについて』(邦訳、足立和浩訳、現代思潮社、1971年)。 |
| 当時、フランスをはじめとして構造主義は知的流行として一大流行していたが、デリダのこれらの批判的な仕事を巡る議論によって、のちに「ポスト構造主義」または「ポストモダン」という潮流の首領としてデリダはみなされるようになる。 |
1970年代以降
| 1927年の時点では「精神(ガイスト)」はハイデガーにとって哲学的な概念のひとつにすぎなかったのに、1933年のナチスへの加担以降「ドイツ的精神」を思考するようになるどころか、それを体現するかのような身振りをはじめるが、デリダはそうしたハイデガーにおける思想の変遷を辿りながら、人間と動物の分割、技術、哲学の本質としての問いの特権性の三つの要素に重点を置いて分析した。 |
| デリダは1990年代に「政治的転回(転向)」をしたとも評され、ベンヤミン論を含む「法の力」(1990)、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」をひとつの症例として批判的に考察した部分を含む「マルクスの亡霊たち」(1994)、カール・シュミットを詳細に論じた「友愛のポリティックス」(1994)などを発表していく。 |
| 政治問題を語ると同時に倫理学的な作業も行い、とりわけ聖書におけるアブラハムとイサクの犠牲の問題を『死を与える』『歓待について』などで論じる。 |
論争・批判
| デリダは以下の思想家、哲学者と論争し、または批判を受けた。 |
| ガダマーは解釈においては、著者の意図を正しく理解しようとする「よき意思」が必要であるとしたのにたいして、デリダは、ガダマーのいう「善き意志」は、意志を絶対的・最終的な審級とする意志の形而上学ではないかと批判し、「あらかじめ暴力を行使すること」とした。 |
| フーコーは「狂気の歴史」第二章の冒頭において、デカルトのコギトが狂気や異常さ、錯乱、不条理などを哲学の領域の圏外へと排除された旨の記述をしているが、このフーコーのデカルトの言及についてデリダは、まず、「デカルトの意図に関してそこに提出されている解釈は正当化されるか?という、いわば偏見の問題」を提起し、この偏見について、「ひとはシーニュ(兆候・記号)を理解しているだろうか?デカルトがいい、またいおうとしたことを理解しているだろうか」としながら、兆候を理解するには、たとえば精神分析家は患者のことばをしゃべらなくてはならないとするデリダはフロイトの『夢判断』第三章二節を注で参照している。 |
| 次にデリダは、「フーコーの企図はあまりに豊かであり、ひとつの方法とか、語の伝統的な意味でのひとつの哲学によってさえ先立たれるにはあまりに多方面にわたる兆候を示している」野村英夫訳、パイデイア1972春号、竹内書店として「デカルト的な型のコギトがコギトの最初にして最後の形ではない」という。 |
| フーコーはこうしたデリダに批判に対して「私の身体、この紙、この炉『狂気の歴史』1972年の増補版に収録」を執筆し、また「デリダへの回答野村英夫訳、パイデイア1972春号、竹内書店(1971)」を日本の雑誌「パイデイア」に寄稿した。 |
| ケンブリッジ大学での名誉博士号授与の選考委員会ではクワイン、デヴィッド・アームストロング、ルネ・トムら18人の教授から反対表明が出され、デリダの仕事は明晰さと厳密さの基準を満たしていない、まるでダダイストのようなトリッキーでギミックに満ちたものであり、この哲学は虚偽かトリヴィアルなものにすぎない、真理や理性の価値への挑戦であり、授与に値しないとしたBarrySmithetal.,"OpenletteragainstDerridareceivinganhonorarydoctoratefromCambridgeUniversity,"''TheTimes'' |
| ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは、ケンブリッジ大学のデリダへの名誉博士号授与に対して、「理性、真理、学問の諸価値への理解しがたい攻撃にすぎない」高橋哲哉『デリダ』という反対声明に署名している。 |
| デイヴィッド・ロッジの小説『素敵な仕事』(邦訳大和書房、1991、原著NiceWork1988)』(1988)で脱構築を信奉する学者が登場人物として出てくるまた、同様の揶揄としては、筒井康隆の『文学部唯野教授』があるが、こちらは脱構築へのアイロニカルな揶揄というより、批評理論を使いこなす主人公であり語り手を、ヒューモレスクに描いたものである。 |
影響
| デリダの脱構築の思想は哲学だけにとどまらず、文学理論、政治哲学、法哲学、建築等に影響を与えている。 |
日本における影響
| 1990年代は、ポストモダン建築・脱構築主義建築の代表的作家である、磯崎新、ピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスが主宰した、建築と多領域の対話の場としての国際会議Anyconference |
| 1995年には、カリフォルニア大学アーヴァイン校で、「エクリチュールとナショナリズム」『ヒューモアとしての唯物論』収録という論文を「人文科学の言説に関する国際会議」で発表。 |
| 2004年11月には、京都大学でのデリダの追悼シンポジウム(自主ゼミ主催に参加し他に鵜飼哲・浅田彰がシンポジウム出席者/京都大学現代思想自主ゼミ主催:2005年2月『新潮』に「Re-memberingJacquesDerrida」として採録、その中で「トランスクリティークとはディコンストラクションの否定ではなくその徹底化であると考えてもらってもいい」と述べた。 |
| ほか、日本におけるデリダ研究者・翻訳者としては、高橋哲哉、鵜飼哲、増田一夫、港道隆らがいる。 |
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