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プロフィール
- ジャン=リュック・ゴダールとは
- 1930年代 - 1950年代
- 1960年代
- 1970年代
- 1980年代
- 1990年代
- 2000年代
- 前期:ヌーヴェルヴァーグの時代
- 中期:商業映画との絶縁・政治の時代
- 後期1:『映画史』以前
- 後期2:『映画史』の時代
- 後期3:『映画史』以降
- 関連サイト
ジャン=リュック・ゴダール(Jean-LucGodard,1930年12月3日-)は、フランス・スイスの映画監督、編集技師、映画プロデューサー、映画批評家、撮影監督、俳優である。パリに生まれる。ソルボンヌ大学中退。ヌーヴェルヴァーグの旗手。
1980年代
| 1982年、『パッション』を脚本・監督。 |
| 「ソニマージュ」社は「JLGフィルム」社らと本作を共同製作したのちに活動停止。 |
| 1983年、『カルメンという名の女』により第40回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得。 |
| 1987年、『右側に気をつけろ』によりルイ・デリュック賞を受賞。 |
| 1989年、『ゴダールの映画史』の第1章と第2章とを発表。 |
1990年代
| 1990年、「JLGフィルム」社が『映画史』以外の活動を停止するにともない、ミエヴィルとの新会社「ペリフェリア」を設立。 |
| 1998年、『映画史』の最終章である第4章を発表。 |
2000年代
| 2002年、日本の高松宮殿下記念世界文化賞受賞。 |
| 2006年、パリのポンピドゥー・センターで初の個展が開かれる。 |
| 同会場での上映のための映画『偽造旅券』(''Vrai-fauxpasseport'')を製作・脚本・監督。 |
前期:ヌーヴェルヴァーグの時代
| ;1954年-1967年『コンクリート作業』-『ウイークエンド』。 |
| シネフィルとして数多くの映画に接していた若かりし日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が主宰する映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に批評文を投稿するようになっていた。 |
| 数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同志』)やフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の岳父もいないゴダールは、プロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールと出会うことで、長編処女作『勝手にしやがれ』でやっとデビューできた。 |
| ジャン=ポール・ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き様という話題性のあるテーマもさることながら、即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴を踏襲しつつも、物語のスムーズな語りをも疎外するほどの大胆な編集術(ジャンプカット)とそこから醸し出される独自性とが非常に評価されたのだった。 |
| ジーン・セバーグが演じた主演女優には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたアンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶によりこのことは実現しなかった。 |
| しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景としてカリーナとの関係は親密なものとなり、1961年に結婚。 |
| 長編第2作である『小さな兵隊』以降、1967年の『ウイークエンド』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度という比較的多作なペースで作品を制作し続けるが、多分にスキャンダラスな物語設定や扇情的な数々の発言により、大ヒットとは言えないまでもコンスタントなヒットを続け、ゴダールは名実ともにヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。 |
| 前期のゴダール作品は、ヌーヴェルヴァーグの基本3要素(即興演出、同時録音、ロケ撮影中心)とはっきりとしない物語の運び以外には、一見すると共通項の少ない多彩な作品群となっている。 |
| 題材もアルジェリア戦争(『小さな兵隊』)、団地売春の実態(『彼女について私が知っている二、三の事柄』、1966年)、SF仕立てのハードボイルド(『アルファヴィル』、1965年)と広範囲に及んでおり、ほぼ一貫して男女の恋愛劇を描き続けたトリュフォーと比べるとその多彩さは明らかである。 |
| またカメラワークやフレーミングといった映画の技術的/話法的な要素についても、1作ごとに場合によっては同じ作品の中でも異なったトーンが用いられており、この多彩さこそが前期ゴダールの特長であると言えよう。 |
| しかし、別な観点から見るならこれらの作品は、「分断と再構築」という2つの機軸によって構成されているという点においてはある種の統一感で貫かれており、事実、表面的な作風が異なる中期や後期に至るまで「分断と再構築」こそがゴダール作品の基底を成している。 |
| 『軽蔑』(1963年)のように映画の制作自体を作品としたものから、『気狂いピエロ』(1965年)における主演のジャン=ポール・ベルモンドがスクリーンを見ている観客自身に語りかけるような話法に至るまで、様々な「映画内映画」の要素が盛り込まれ、こうしたメタ映画的な構成の目新しさもゴダール人気を煽る一因となっておりほどである。 |
| ジャン=ポール・ベルモンドの爆死をクライマックスとする『気狂いピエロ』の大ヒット以降、パリ五月革命に向かって騒然とし始めた世相を背景に、ゴダールの作品は政治的な色合いを強めていく。 |
| 『小さな兵隊』がアルジェリア戦争を揶揄してのものであったことからもわかる通り、ゴダールは初期のころから政治に対する志向が強く、政治的なテーマや題材をあまり取り上げることがなかった他のヌーヴェルヴァーグの作家たちとはこの点においては一線を画していた。 |
中期:商業映画との絶縁・政治の時代
| 「われわれもまた、ささやかな陣営において、ハリウッド、チネチタ、モスフィルム、パインウッド等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 |
| パリ五月革命の予言もしくは先取りであるなどと言われる、マオイズムをテーマとして取り上げた『中国女』(1967年)において既に政治的な表現の傾向が顕著になっていたが、ゴダールを本当の「政治の時代」へと踏み入らせる直接のきっかけとなったのは1968年の第21回カンヌ国際映画祭における「カンヌ国際映画祭粉砕事件」だった。 |
| プライベートにおいても女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。 |
| この後『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージ発信の媒体としての作品制作を行うようになる。 |
| また商業映画への決別と同じタイミングで、自身が商業的な価値を持たせてしまった「ジャン=リュック・ゴダール」の署名を捨てて、「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って活動を行う(1968年-1972年)。 |
| ソビエトの映画作家ジガ・ヴェルトフの名を戴いたこのグループは、ゴダールとマオイストの政治活動家であったジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画製作集団であり、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動に加わった。 |
| 反商業映画イコール政治映画という図式で語られがちであるが、この時期のゴダールの政治的な映画といってもそれは旧来の政治的プロパガンダの映画とはまるで違い、映画的思考というものの変革を信じ、目指した彼にとって極めて純粋な映画運動であった。 |
| 前期においても文字や書物からの引用は行われていたが中期においてはそれが更に顕著なものになり、膨大な映像の断片と文字、引用(スローガン、台詞、ナレーション)とが目まぐるしく洪水のようにあふれ、詰込まれた作風が特徴とされる。 |
| ローリング・ストーンズが出演し、アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『ワン・プラス・ワン』(1968年)においても、様々な場面や場所で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと、試行錯誤しているストーンズのリハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況を、メッセージとしてではなく映画作品として具体的に体現(再現)する実験を試みている。 |
後期1:『映画史』以前
| 『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画への復帰を果たしてから以降今日に至るまでが後期に相当するが、後期においてもおおよそ1980年代に相当する「『映画史』以前」と1980年代末から1998年『映画史』の完成に至るまでの「『映画史』の時代」、さらにこれ以降今日に至るまでの「『映画史』以降」に区分けすることができる。 |
| もちろんわざと汚い画面、あるいは粗雑なカメラワークやフレーミングを行った訳ではないだろうが、審美性だけで鑑賞される作品は、ゴダールの映画に対する基本的な姿勢とは相反するものであり、審美性、つまり構図やら画面における構成要素の配置の美しさやらに留まらない、映画としての美しさと価値とを様々な観点から追求し続けていたと言えよう。 |
| これはローザンヌ市の市制500年を記念して市からの依頼に基づいて制作された作品で、映画を制作すること自体を、記念映画を制作することに関するゴダールの内省をフィルム化した内省録風の作品で、何かについて語った映画ではなく、語ることそのものあるいは「について」と言うこと自体を対象としたメタ構造を持つ作品だった。 |
後期2:『映画史』の時代
| ゴダールの1990年代は『映画史』の制作に力を注ぎ続けていたと言えるだろうが、『新ドイツ零年』(1991年)や『JLG/自画像』(1995年)もほぼ同傾向の作品と見なすことが可能であり、まさに「『映画史』の時代」であった。 |
| しかし、同時に『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)、『フォーエヴァー・モーツアルト』(1996年)のように1980年代と似たような構成、すなわち「分断と再構築」とを基調としながらも物語やある種のテーマ性を持った作品も作り続けている。 |
後期3:『映画史』以降
| 2004年にフランス本国で公開された最新作『アワーミュージック』以降、ゴダールがどのような方向に向かうかは現時点(2004年1月)においては明言することはできないが、「分断と再構築」を手法の基本とし「映画には何が可能か」と言うメタ映画の追求を最終的なテーマとした作品を作り続けていくだろう。 |
| 1990年代以降顕著になった無数の短篇群、オムニバスへの参加により、ゴダールが監督として、あるいは俳優として参加した映画作品は、140を超える''Jean-LucGodard:Documents'',éditeur:CentreGeorgesPompidou,Paris,2006.。 |
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1930年
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ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godar... |
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1948年
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両親の離婚によりパリへ戻り、リセ・ロメール... |
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