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プロフィール
- ジャーニーとは
- 概要
- デビュー以前
- 第1期
- スティーヴ・ペリーの加入後
- 決定打
- ひとつの区切り
- 不死鳥の復活
- 復活の代償
- 再始動後
- 新たなる旅路
- メンバー
- 現在のメンバー
- 関連サイト
ジャーニー(Journey)は、アメリカのロックバンド。1973年にサンフランシスコで結成され、メンバー交代や解散、再結成などを経て、音楽性を変えながら結成から30年以上経つ現在も活動を続けている。
デビュー以前
| 1972年の『キャラバンサライ』発表後のサンタナが音楽性の変革やカルロス・サンタナの宗教問題からメンバー離散を起こし、ギタリストのニール・ショーンを当時のサンタナのロード・マネージャーだったハービー・ハーバートがサポートしようと画策。 |
| 若手のグレッグ・エリコ(ドラム)、ピート・シアーズ(ベース)とのトリオ「ハッピー・バースデー」を結成するも、実質的活動がほぼないまま空中分解。 |
| その後「ゴールデン・ゲート・リズム・セッション」などと名乗り、サンフランシスコのクラブでセッション、ジャズ・ロック的なライブ活動をしていたところに、サンタナ時代の同僚であったグレッグ・ローリー(キーボード/ボーカル)が加わった頃からメンバーが固定化。 |
| ほかのメンバーは、ジョージ・ティックナー(ギター)、ロス・ヴァロリー(ベース)、プレイリー・プリンス(ドラム)である。 |
第1期
| まもなくドラマーがジェフ・ベック・グループやフランク・ザッパ&マザーズなどでキャリアを積んだエインズレー・ダンバーに替わり、1974年には当時のCBSコロムビア(現ソニー・ミュージック)との契約を結んだ。 |
| デビューにあたっては、コンサートのフリーパスを懸賞としたバンド名公募が地元のラジオ局によって行われたが、ここではまともなアイディアが得られず、結果的にはスタッフの提案によって「ジャーニー」をバンド名とした。 |
| ボックスセット「Time3」解説書より。 |
| なお、和田誠の著書「ジャーニー/永遠の旅」(ISBN4-401-61161-6)によると、コンサートへのフリーパスについては架空の当選者を設けて事を取り繕った模様。 |
| 翌1975年にデビュー作『宇宙への旅立ち』を発表。 |
| セカンド・アルバム『未来への招待状』のリリース前にティックナーが脱退し、このアルバムと次作『果てしなき挑戦』ではショーン、ローリー、ヴァロリー、そしてダンバーの四人編成となる。 |
| この当時のジャーニーは「インストゥルメンタル曲主体のプログレッシヴ系ロックバンド」という位置付けにあったが、商業的には振るわず、補強のためロバート・フライシュマンがバンド初の専任ボーカリストとして1977年6月から加入。 |
| ニュー・アルバムのための曲作りに参加しつつツアーに臨むも約三ヶ月後のツアー中に解雇され、ほどなく二代目専任ヴォーカリストとしてスティーヴ・ペリーが加入。 |
| フライシュマンの解雇とペリーの加入は、当時のマネージャーであったハービー・ハーバート(かつてサンタナにロードクルーとして参加していた彼が「ショーンを中心としたバンドを作ろう」と思い立ったことがジャーニー結成のそもそもの発端であった)の戦略的判断によるものであったと言われている。 |
| スティーヴ・ペリーの加入により、バンドの方向性はそれまでにない劇的な変化を遂げることとなる。 |
スティーヴ・ペリーの加入後
| スティーヴ・ペリーはジャーニーに加入する直前まではエイリアン・プロジェクトというバンドに参加していたが、メジャー・デビューのための契約を間近に控えた1977年の夏にベーシストを交通事故で失い、エイリアン・プロジェクトとしてのメジャー・デビューの話は白紙となった(ペリー曰く「バンドは急いで彼の代わりを捜したんだけど、僕にとっては彼無しではもう以前と同じようなバンド活動は続けられなくなってしまった」)。 |
| エイリアン・プロジェクトとしての活動が停止した後、ペリーは故郷に戻ってしばらく農場で働いていたが、実はその間にエイリアン・プロジェクトのデモ・テープが業界関係者を通じてハービー・ハーバートのもとに届いていた。 |
| それを聴いたハーバートは、その可能性を高く評価しペリーをジャーニーへ加入させた(加入当初のペリーはハーバートの計らいからか、「ツアースタッフの親戚」という触れ込みでツアースタッフも兼務していたとされる)。 |
| 1978年、4作目のアルバム『インフィニティ』では前作までのプログレッシヴ系ロックバンドとしての作風も維持しつつ、それと伸びの良いヴォーカル・パートを生かした躍動感ある楽曲との和合が特色となり、その後のバンドの方向性を明確に示す。 |
| このアルバムは全米21位のヒットとなり、初のシングル・ヒット曲を獲得(「ホィール・イン・ザ・スカイ」)すると共にプラチナ・ディスクを初めて獲得した。 |
| しかしダンバーはそれ以上のポップ化を図るバンド/マネジメントとそりが合わなくなり、脱退してジェファーソン・スターシップに移籍、新たなドラマーとしてスティーヴ・スミスが参加。 |
| ジャズの流れを汲む彼の演奏はハードロック的でポップな作風へとシフトしつつあったバンドの志向と合致し、1979年作の『エヴォリューション』アルバムでは全米チャート20位、続く1980年作の『ディパーチャー』では8位と更に勢いを増し、その中で歴代の代表曲となる「ラヴィン・タッチン・スクィーズィン」や「お気に召すまま」などのシングル・ヒットも記録。 |
| バンドはそれまで通りライヴ・ツアー主体の活動を続けつつ、より広範な聴衆と人気を獲得してゆくこととなる。 |
| また、前述『ディパーチャー』アルバムと同年に高田賢三が監督を務めた映画「夢、夢のあと」のオリジナルサウンドトラックも手がけた。 |
| その後、結成メンバーの一人であったグレッグ・ローリーが心労などの理由から脱退し、オリジナルメンバーはショーンとヴァロリーの二人だけとなる。 |
| ローリーは後任のキーボーディストとして当時ジャーニーの前座を務めていたベイビーズのジョナサン・ケインを推薦した。 |
| ケイン自身はこの時すでにベイビーズの主要メンバーであった自らの責任とジャーニーでの可能性との狭間で苦悩したが、最終的にジャーニーを選んだ。 |
| シンセサイザー世代であるケインはメロディックな曲を書くソングライターとしての素質も持っており、ジャーニーの楽曲に幅広いレパートリーを与えた。 |
| また演奏面でもブルージーで官能的なグレッグとは全く異なる爽快なサウンドをジャーニーの楽曲に加味した。 |
| ギターも演奏できたケインはショーンの手ほどきでギタリストとしても才能を現し、ライヴにおいては時としてショーンをサポートする「もうひとりのギタリスト」として演奏するなど斬新な印象をバンドの作風に盛り込んだ。 |
| 「Time3」の解説書によると、グレッグ・ローリーはジョナサン・ケインを後任に推薦した理由として、彼がギターを弾けること、そしてニール・ショーンがギターも弾けるキーボーディストを欲しがっていたことを挙げている。 |
決定打
| ニール・ショーン(ギター)、スティーヴ・ペリー(ボーカル)、ロス・ヴァロリー(ベース)、スティーヴ・スミス(ドラム)、ジョナサン・ケイン(キーボード)の5人体制となった。 |
| ヒット作となるアルバムがリリースされたのもこの時期である。 |
| 1981年に発表されたアルバム『エスケイプ』は、全米1位を獲得。 |
| ライブ・ステージの音響担当からレコーディング・エンジニアに昇格したケヴィン・エルソン(このアルバムの前作である『ライブ・エナジー(原題:Caputured)』ではプロデュースを担当)とコンビを組んだ後に名プロデューサーと讚されるようになるマイク・ストーン(クイーンのプロデュースで一躍名を馳せたロイ・トーマス・ベイカーの愛弟子で、自らもクイーンの多くのアルバムでレコーディング・エンジニアを担当していた)、この二人の「生で演奏している音の雰囲気を殺さず音盤にする」力量が、レコード(当時)にはなかなか収め切れなかったライブ・バンドだったジャーニーの魅力を遺漏無く封じ込めることに成功したのも、彼らの出世を大きく後押ししたことは特記しておく必要があると思われる。 |
| 尚、後にマイク・ストーンは、ジャーニーとの仕事で培ったレコーディングのノウハウをより洗練させエイジアの成功に大きく貢献した。 |
| 金銭的に余裕が出来たからか、ニール・ショーンがヤン・ハマーとのものを皮切りに独自のプロジェクトを立ち上げる。 |
| 因みに、バンドの作品中日本で最も有名なバラードの一つである「オープン・アームズ」もこのアルバムに収録されているが、この曲はジョナサンがベイビーズ時代に書き起こしたものの、当時のバンドのボーカリストであるジョン・ウェイトの反対に遭い陽の目を見ることのなかったものだ。 |
| シングルでジャーニー最高位の全米2位、そしてのちにマライア・キャリーの手になるカヴァーのリバイバル・ヒットと、記録的な一曲になった。 |
ひとつの区切り
| 続く1983年の『フロンティアーズ』も全米9週連続2位のメガヒットに輝く。 |
| 『フロンティアーズ』は『エスケイプ』の幻想的な作風からバラードのヒット曲路線を継承しつつも、よりハードロック志向の強い曲も収録し、バンドの強い個性が出ている一枚だ。 |
| ちなみに当時の1位は前後37週にわたって居座ったマイケル・ジャクソンの『スリラー』である。 |
| この後、スティーヴ・ペリーは自身初のソロアルバムを発表し、さらにUSAフォー・アフリカにソロ・ミュージシャンとして参加。 |
| そしてニール・ショーンもまたソロ・プロジェクトの一環としてヤン・ハマーとの合作によるアルバムを発表。 |
| メンバー同士の不仲説が囁かれる中、再びジャーニーとしての活動に戻って次のアルバム『RaisedOnRadio〜時を駆けて』の制作が始まった時、ロス・ヴァロリーは参加せず、スティーヴ・スミスも一部の楽曲のみの参加であった。 |
| スミスは『エスケイプ』発表当時から自身のフュージョン・プロジェクト"VitalInformation"を開始しており、ジャーニーでの成功によって金銭面の心配が無くなったのも手伝い、いわく「本腰を入れて取り組みたかった」というジャズに没頭すべくジャーニーを脱退したと言われている(この当時子供が出来たためツアーに出たくなくなったのも脱退の理由だとスミスが後年語っている)。 |
| そして1986年にリリースされたニュー・アルバム『RaisedOnRadio〜時を駆けて』ではスティーヴ・ペリー、ニール・ショーン、そしてジョナサン・ケインの三人だけが正式メンバーとしてクレジットされており、アルバム制作およびライヴ・ツアーにおいてはオーディション等を経て起用された臨時メンバー(詳細は後述「サポート・メンバー」の項を参照)が参加していた。 |
| このアルバムは過去最多となる5曲のヒット・シングルを生んだ。 |
| 後年のライヴでも代表曲のひとつとして演奏されることが多い『トゥ・ユアセルフ(Begoodtoyourself)』はこのアルバムが初出である。 |
| その他、ラジオによって育まれたというメンバーそれぞれの音楽心をアルバムのテーマとしていたことから、従来にない試みとしてサックスを導入した楽曲(2曲目の『ポジティヴ・タッチ』サキソフォンの演奏はダン・ハルによるもの。 |
| なども含まれていた。 |
| 『RaisedOnRadio』アルバムは最終的には全米チャートの4位まで浮上するが、この年のライヴ・ツアーはスティーヴ・ペリーが心労を理由にリタイアを申し出たことにより約4ヶ月で終了し、バンドとしての活動もまた休止状態に陥ってしまう。 |
復活の代償
| 『トライアル・バイ・ファイアー』は全米アルバムチャートで3位に達するヒット作となったが、スティーヴ・ペリーが体調の不備を理由にツアーに出ることを渋ったことから再結成メンバーによるツアーは行われなかった。 |
| 1998年にはライヴ盤『グレイテスト・ヒッツ・ライヴ』を出すも、同時にスティーヴ・ペリーの正式脱退が伝えられた(経緯については後述「過去在籍したメンバー」の項を参照)。 |
| その後、再びジャズ・ミュージックに専念したいという理由によってスティーヴ・スミスもまたバンドを離れることとなり、ジャーニーは新メンバーとしてスティーヴ・オージェリー(ボーカル)とディーン・カストロノヴォ(ドラム)を加え再スタートを切る。 |
再始動後
| 新たなるメンバーを擁したジャーニーは2000年秋にアルバム『アライヴァル』を発表。 |
| 1980年代初頭におけるいわゆる「黄金時代」を彷彿させる幾多の楽曲が収められたこのアルバムは当初日本で先行リリースされ、次いで本国アメリカでも翌2001年春に発売されたが、ビルボード・アルバムチャートでは56位と伸び悩んだ。 |
| 売り上げが伸びなかった原因の一つとしてファイル共有ソフトによる楽曲流出がある。 |
| 2002年春、ジャーニーはデビュー以来その関係を保っていたソニー・ミュージックとの契約を解消し、80年代風ロックアーティスト専門のインディーズ・レーベルであるイタリアの【フロンティアーズ・レコード】に移籍してオンライン・マーケットでの作品流通を開始した(これに伴い、日本におけるジャーニーのアルバムの発売元はキングレコードとなっている)。 |
| 同年8月、移行後初のアルバム『レッド13』を発表。 |
| 2004年、日本映画『海猿』の主題歌として「オープン・アームズ」が採用されたことを受け、ソニー・ミュージックは既出のアルバム「GreatestHits」をリニューアル再発した。 |
| そして同年秋、ジャーニーは3年ぶりに日本でのライヴ・ツアーを行った。 |
| この年の来日ツアーにおいて、ジャーニーは往年のヒット曲のみならず長年ライヴ向けにプレイし続けてきたナンバーもステージ・セットに多数取り入れ、かつメンバー全員がそれぞれリード・ボーカルを受け持ちつつ演奏を繰り広げるという、従来の慣習にとらわれないライヴ・パフォーマンスを披露した。 |
| 2005年1月にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームへの殿堂入りを果たした。 |
| その際に開かれたイベントには歴代メンバーのほとんどが出席した。 |
| 同年8月、前作『レッド13』から5年ぶりにニュー・アルバム『ジェネレーションズ』を発表。 |
| このアルバムには2004年の日本公演さながらにメンバー全員がそれぞれリード・ヴォーカルを担当する「持ち曲」が設けられていた。 |
| 特定のフロントマンに依存せずメンバー全員で楽曲そのものをアピールしてゆくという、これまでバンドが培ってきた特性と人気を継承しつつも「往年の人気バンド」という位置に留まるまいとする姿勢が見受けられる。 |
| しかしながら、セールス的にも全米170位と振るわなかった。 |
| 一方、日本では「ADLIBアウォード」や「山野楽器ミュージックアワード」など各賞の洋楽ロック部門を受賞した。 |
| 2006年のツアー中に、喉の感染症を治療するためにスティーヴ・オウジェリーがバンドを離れることとなり、代理のリード・ボーカリストとしてジェフ・スコット・ソートが参加。 |
| 同年末、ジェフは脱退したオウジェリーに代わって正式メンバーへ昇格したことが発表されるも、翌2007年6月に脱退。 |
新たなる旅路
| 2007年12月5日、ジャーニーはフィリピン人シンガーのアーネル・ピネダ(ArnelPineda)をリード・ボーカリストに迎えたことを公式webページで発表し、このラインナップですぐさまアルバム『Revelation』のレコーディングを行った。 |
| プロデュースとエンジニアリング、ミキシングを再結成後2枚のアルバム(『TrialByFire』と『Arrival』)を手がけたケヴィン・シャーリーが再び担当したこの新アルバムは、新曲10曲に加えて前作『Generations』に収録されていた「フェイス・イン・ザ・ハートランド」をピネダを迎えて再演したテイクを含むディスク1と、スティーヴ・ペリー在籍時代のヒット曲・人気曲11曲の現メンバーによる再録で構成されたディスク2との2枚組となった。 |
| (US盤にはさらに最新ライヴDVD一枚が付属する3枚組構成)2008年6月3日にネット予約先行、同4日に米ウォルマート店舗、同9日に欧州および全米で発売された。 |
| セールス的には発売一週間で世界計10万4000枚(バンド発表)を売り上げる久々のヒットとなり、BillboardTop200でも初登場5位、同TopInternetAlbum2位、同TopIndependentAlbum1位Billboard誌の分類基準となる米国での配給元はNomotaという独立(インディペンデンデント)レーベルである。 |
| バンドはハート、チープ・トリックとともに全米各都市を精力的にツアーを終え |
メンバー
| 1973年結成当時のメンバーには横にUを、アルバム『エスケイプ』発表当時のメンバーにはEをつけた。 |
現在のメンバー
| ニール・ショーン(''NealJosephSchon''):(U、E)(1973-)G(ギター)、バッキングボーカル、(リード・ボーカル)。 |
| 1954年2月27日オクラホマシティ近郊のティンカー空軍基地生まれ。 |
| ジミ・ヘンドリックスやクリームの楽曲との出会いから、5歳で楽器を弾き始める。 |
| 彼自身の談によると、最も影響を受けたアーティストはやはり少年時代に知ったジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、そしてジェフ・ベックである。 |
| 10代でサンタナのメンバーに抜擢、バンドが分裂するまでの一年間ギターをプレーした。 |
| ソロやセッションでの活動は多岐に渡り、ヴァン・ヘイレン加入以前のサミー・ヘイガーらと"H.S.A.S.(ヘイガー、ショーン、アローソン、シュリーブ)"というプロジェクトを組む(1984年)、バッド・イングリッシュ(BadEnglish;1987年)、ハードライン(Hardline;1992年)の結成、ジェフ・スコット・ソート(Vo.)、マルコ・メンドーサ(B)、ディーン・カストロノヴォ(Ds.)(のちヴァージル・ドナティ)とのソウル・サーカス(SOULSIRKUS;2005年)の結成、著名アーティストが多数参加したレス・ポールのアルバム(2005年)への参加など、全年代を通じて音楽活動に余念がない。 |
| 様々なジャンルの人気曲をギターによるインストゥルメンタル曲としてカヴァーした『Voice』アルバム(2001年)はグラミー賞にノミネートされた。 |
| また、元ナイト・レンジャーのジャック・ブレイズのソロ・アルバムに元スティクスのトミー・ショウらと参加している。 |
| この2人とは近年公私を越えて仲が良く(ショウとブレイズの2人は90年代にもダム・ヤンキースやショウ・ブレイズとして活躍)、2005年のジャーニーのアルバム『ジェネレーションズ』では逆にブレイズが曲作りに参加してアルバム中最も80年代ロック的なハイテンションの楽曲となった。 |
| ジョナサン・ケイン(''JonathanLeonardCain''):(E)(1980-)key(キーボード)、Vo(ボーカル)、バッキング・ボーカル。 |
| 1950年2月26日、イリノイ州シカゴ生まれ。 |
| ニール・ショーンとジョナサン・ケインらが1987年に結成した"バッド・イングリッシュ"と、その後ショーンが結成した"ハードライン"の両バンドに参加しており、バンドの主要メンバーとは加入前から既知の間柄であった(一説には、バッド・イングリッシュ在籍当時からショーンに対してジャーニーへの参加を熱望する旨を述べていたと言われている)。 |
| また、彼のボーカリストとしての才能はドラムの技能と同様に印象的で(声質もスティーヴ・ペリーと非常に似ている)、過去のヒット曲の一部を自らリード・ボーカルとしてドラムを叩きながらライヴで披露している他、アルバム「ジェネレーションズ」でも二つの新曲で歌っている(3曲目の「ベター・ライフ」、そしてラスト・トラックの「ネヴァー・トゥー・レイト」)。 |
| アーネル・ピネダ(''ArnelPineda''):(2007-)Vo(ボーカル)、1967年9月4日生まれ。 |
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イリノイ州シカゴ生まれ。8歳からアコーディ... |
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