| リレハンメルオリンピックでオクサナ・バイウルが演じた「白鳥」に感銘を受け、12歳からスケートを始めた『COLORS』p.33。 |
| コーチは当初からプリシラ・ヒル『COLORS2007』p.60。 |
| それ以前は乗馬をしており、ペンシルベニア州のチャンピオンになった事もある。 |
| スケートを始めてわずか1年間で3回転トウループと3回転サルコウを習得し、その3年後の2001年世界ジュニア選手権で早くも優勝。 |
| 翌2001-2002シーズンはISUグランプリシリーズに出場した。 |
| 2002-2003シーズンはロシア杯に出場を予定していたが、病気のため棄権。 |
| 2003年全米選手権はショートプログラム(SP)で2位に立っていたが、フリースケーティングの演技中にブレードをリンク側面のボードに引っかけて転倒。 |
| レフリーの許可を得て演技をやり直したが再び転倒し、その際に負傷したため棄権することとなった。 |
| このことは関係者からは激しい非難を浴びた。 |
| 地方予選からのスタートとなった翌2003-2004シーズン、2004年全米選手権で初優勝。 |
| 世界選手権でも5位に食い込む活躍を見せた。 |
| 続く2004-2005シーズンには国際大会に復帰、GPシリーズで2連勝を果たし、再度全米選手権を制した。 |
| 2005-2006シーズン、2006年の全米選手権で優勝して3連覇を果たし、出場資格を得た2006年トリノオリンピックでは、ショートプログラムで「白鳥」の曲に乗って完璧な演技を見せ、当時の自己ベストの80.00点を得点しエフゲニー・プルシェンコに次ぐ2位につけたが、総合では5位入賞となった。 |
| 続く世界選手権のフリースケーティングでは後半の転倒で以前から痛めていた背中を更に痛めてしまったが、立ち上がって最後まで滑りきり観客から温かい拍手を受けた。 |
| 2006-2007シーズン、春から夏にかけてチャンピオンズ・オン・アイスのツアーに長期参加していた為、プログラム作成をする時間がとれずツアー仲間で友人のマリナ・アニシナに振り付けを依頼し、従来の繊細で優雅な路線ではなく力強さを表現したプログラムを完成させた。 |
| しかし、オリンピック後の疲労が心身ともに溜まっていた為か精彩を欠く不振のシーズンとなる。 |
| その経験は、長く師事していたコーチから離れることや自分のスケートスタイルの再確認など、後のシーズンに影響を与えた。 |
| 2007-2008シーズン、ISUグランプリシリーズの初戦となった中国杯で優勝、次戦のロシア杯でも安定した演技で優勝を果たした。 |
| 2連勝で迎えたグランプリファイナルでは古傷の再発と足首の怪我により4位に留まった。 |
| 2008年の全米選手権ではショートプログラム1位、フリースケーティングでは4回転ジャンプも構成に入れての完成度の高い演技で2位、優勝したエヴァン・ライサチェックに次いで2位という結果になった。 |
| 世界選手権では3位となり、初めて世界選手権のメダルを手にした。 |
| なお全米選手権では総得点でウィアーとライサチェックが並ぶという珍事となり、フリースケーティングの得点の高い方が上位というルールが適用された。 |
| 2008-2009シーズンはスケートアメリカで2位。 |
| NHK杯でも、風邪でコンディションを崩しながら2位となった青嶋ひろの「このお客さんたちの前、絶対に最高の演技をしてみせたかった」『PASSION2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp.18-21。 |
| 2008/2009ISUグランプリファイナルでは3位。 |
| 全米選手権は5位に終わり、世界選手権の出場を逃した。 |
| 2009-2010シーズンはデヴィッド・ウィルソンに振り付けを依頼。 |
| ISUグランプリシリーズ初戦のロステレコム杯ではジャンプの不調が続き4位に終わったが、その後のNHK杯では安定した演技で2位につけた。 |
| ファイナルでは更に安定度を高め、ショートプログラム・フリースケーティングともにノーミスの演技でパーソナルベストを更新。 |
| 3位となり、2年連続で銅メダルを獲得した。 |
| 全米選手権でも3位となり、バンクーバーオリンピック代表に選出された。 |
| バンクーバーオリンピックは総合6位に終わった。 |
| FSではノーミスの演技を披露し、会場中からスタンディングオベーションを受けた。 |
| だが点数が思ったほど伸びなかったため、会場からブーイングが起こった。 |
| しかし、ジョニー自身は優しい表情で観客席に向かって「抑えて抑えて」とブーイングを静める仕草をした。 |
| エルヴィス・ストイコとサーシャ・コーエンは「ウィアーは(5位の)チャンより上であるべきだった」と語っている |
| 世界選手権は欠場した。 |
| 2010年7月時点で、2010-2011シーズンの競技には参加しない旨を公表した。 |
| 主な理由として「自分のスケーティングのイメージを再構築するための休養期間が必要」としている。 |