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プロフィール
- ジョン・ケージとは
- 誕生-少年時代
- 1930年代-40年代
- 1950年代-60年代
- 1970年代以降
- 晩年
- 人物
- 音楽についての考え
- キノコ研究
- 思想
- 受容と影響
- 音楽
- パフォーマンス
- 書籍、テキスト
- 関連サイト
ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア(JohnMiltonCageJr.、1912年9月5日-1992年8月12日)は、アメリカ合衆国出身の音楽家。作曲家、詩人、思想家、キノコ研究家。実験音楽家として、前衛芸術全体に影響を与えている。独特の音楽論や表現によって、音楽の定義をひろげた。「 沈黙」をも含めたさまざまな素材を作品や演奏に用いており、代表的な作品に『4分33秒』がある。
誕生-少年時代
| カリフォルニア州のロサンゼルスに生まれる。 |
| 父のジョン・ミルトン・ケージ・シニアは発明家で、母方の叔母と叔父には音楽家がいる。 |
| 父は1912年に潜水艦を建造して当時の世界記録を更新したが、ガソリン・エンジンだったため兵器には採用されなかった。 |
| ケージは家族の転居によって多くの学校に通い、サンタモニカでピアノを習いはじめる。 |
| ロサンゼルスのハイスクールを優秀な成績で卒業し、クレアモントのポモナ・カレッジに入学するが、学業に興味を失い渡欧の計画を立てる。 |
1930年代-40年代
| 1930年にパリで建築家エルノ・ゴールドフィンガーに建築を学んだのち、マジョルカではじめて作曲を行なうが、当時の作品は現存していない。 |
| 31年にアメリカに戻り、ピアニストのリチャード・ビューリックに頼み込んで音楽を学ぶ。 |
| のちにヘンリー・カウエルの紹介でアルノルト・シェーンベルクに師事し、1934年から1937年にかけて南カリフォルニア大学のシェーンベルクのクラスで学んだ。 |
| 1933年から、現存する最初の作品を創る。 |
| 1937年の文章「音楽の未来 クレイド」(『サイレンス』所収)では、電気楽器の可能性、ノイズの重視、実験的音楽センターなどのアイディアを述べている。 |
| 初期の作品はシェーンベルクの音楽を継承するかのような、音列処理やリズム処理のある作品が多数を占める。 |
| 1930年代の『クラリネットのためのソナタ』やピアノのための『メタモルフォーシス』、いまや打楽器のレパートリーである打楽器合奏の為の第1から第3までの『コンストラクション』がこれにあたる。 |
| 後者ではウォーター・ゴングなどの新しい奏法の発想が芽を出し始めている。 |
| 1940年に、グランドピアノの弦に異物(ゴム・木片・ボルトなど)を挟んで音色を打楽器的なものに変化させたプリペアド・ピアノを考案し、『バッカナル』で初めてこの楽器を用いる。 |
| このころからアイディアが最優先する発明作品が増え、居間にある全ての物体を叩いて音楽を作る『居間の音楽』、ピアノの蓋を閉めて声楽を伴奏する『18回目の春を迎えた陽気な未亡人』などを作曲した。 |
| 1942年にマックス・エルンストの招きでニューヨークに出て画家たちと親交を持ち、1944年、のちに生涯のパートナーとなるマース・カニンガムとの最初のジョイント・リサイタルを行なう。 |
| 45年からの2年間、コロンビア大学で鈴木大拙に禅を2年間学び、東洋思想への関心も深める。 |
| 1948年にはノースカロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジで教鞭をとり、同じく教師であったバックミンスター・フラーや、生徒のロバート・ラウシェンバーグと交友を持つ。 |
| この時期の代表作である『プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード』(1946年-1948年)はピエール・ブーレーズから称賛され、彼との手紙のやり取りが始まる(後に偶然性の音楽のあり方を巡って決裂)。 |
1950年代-60年代
| 1951年、ハーバード大学で無響室を体験する。 |
| ケージは無響室に入ったときに体内からの音を聴き、沈黙をつくろうとしてもできないこと、自分が死ぬまで音は鳴り、死後も鳴りつづけるだろうと考えた。 |
| この体験は作風に大きな影響を与える『サイレンス』 25頁、36頁。 |
| 1954年に、ストーニー・ポイントで菌類学の勉強をはじめる。 |
| 1950年代初頭には中国の易などを用いて、作曲過程に偶然性が関わる「チャンス・オペレーション」を始め、貨幣を投げて音を決めた『易の音楽』(1951年)などを作曲。 |
| 演奏や聴取の過程に偶然性が関与する不確定性の音楽へと進む。 |
| やがて、それまでの西洋音楽の価値観をくつがえす偶然性の音楽を創始し、演奏者が通常の意味での演奏行為を行わない『4分33秒』(1952)などを生み出した。 |
| ケージの作品で最も有名なもののひとつである『4分33秒』は、曲の演奏時間である4分33秒の間、演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通すものであるが、それはコンサート会場が一種の権力となっている現状に対しての異議申し立てであると同時に、同じことがデュシャンの泉にもいえる。 |
| コンサート会場や美術館にて展示や演奏されれば何であれ作品になってしまうのか、といった問いかけである。 |
| 結果的にも『それでも作品になりうる』という理解をも生んでしまったともいえる-->観客自身が発する音、ホールの内外から聞こえる音などに聴衆の意識を向けさせる意図があったが、単なるふざけた振る舞いとみなす者、逆に画期的な音楽と評する者のあいだに論争を巻き起こした。 |
| この時期には、芸術運動のフルクサスとも関わりをもっている。 |
| 同じころには、任意の42枚のレコードをテープに録音した『心像風景第5番』も現われた。 |
| この他、ラジオを楽器に見立てて構成した『ラジオ・ミュージック』(1958年)、声楽の可能性を大幅に拡張し、ルチアーノ・ベリオの『セクエンツァIII』やディーター・シュネーベルの合唱曲『AMN』に影響を与えた『アリア』、独創的な図形楽譜の集合体である『ピアノとオーケストラのためのコンサート』などがある。 |
| 1960年代には、プラスチック板を自由に組み合わせて楽譜を作り演奏する不確定性音楽の『カートリッジ・ミュージック』(1960年)、『0分00秒』』(1962年)、チェンバロを録音して変調し更に生のチェンバロと合わせる『HPSCD』(1969年)などを発表し、著書『サイレンス』を出版した。 |
| 1963年、ニューヨークにてエリック・サティの『ヴェクサシオン』を上演する。 |
| 世界ではじめてサティの指示どおりに840回の反復を行ない、演奏は18時間にわたった。 |
| また、サティの『ソクラテス』から派生したピアノ曲『チープ・イミテーション』(1969年)を作曲している。 |
| この作品は『ソクラテス』のリズムだけを残し、音高をチャンス・オペレーションに基づいて新たに作曲したものである。 |
1970年代以降
| この頃には日本やヨーロッパからの委嘱が増える。 |
| 『エチュード・オーストラルズ』(1975年)は南天球の星座図を元に作曲されており、リズム・調性を無視し残響で表現をした。 |
| ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に基づくラジオ劇『ロアラトリオ』は、ケージの集大成的な作品であり、『フィネガンズ・ウェイク』に登場する場所で偶然に録音された音や小説の中で言及されている音、アイルランドの伝統音楽、小説から構成されたメソティクスを朗読するケージの声が重ねられてゆく。 |
| 80年代のオペラ作品『ユーロペラ』I〜Vは、過去のオペラのアリアがチャンス・オペレーションの手法でコラージュされる。 |
| その他、日本との思想的・精神的かかわりが強調された『Haikai・IとII』や『RENGA』、様々な奏者によって演奏される『龍安寺』、史上最長の演奏時間で知られ、ドイツのハルバーシュタットで機械による演奏が続いているオルガン曲『Organ2/ASLSP』(1987)などがあるが、『ASLSP』は「ASSLOWASPOSSIBLE(できるだけ遅く)」の意味であり、ブキャルディの廃教会にて、2000年から2639年にかけて演奏される予定になっているが、全く聴かない方法もある。 |
| 詳細はWikipedia英語版AsSlowAsPossibleや、 |
晩年
| 晩年は、ナンバー・ピースと呼ばれる題目が数字だけの作品が増える。 |
| ナンバー・ピースに属する作品は、タイトルの数字が楽器または演奏者の数(パート譜の数)を示し、その右肩の小数字が、その数のために書かれた何番目の作品なのかを示している。 |
| ピアノのための『One』などの独奏曲から、『Seven』や『Eight』などのアンサンブル曲、『101』や『103』、『108』などの巨大編成のオーケストラ曲まで、様々な作品が書かれた。 |
| 中には、1人のカメラマンのための『One11』一種の映像作品。 |
| この作品は『103』との「同時演奏」が可能。 |
| つまり、『103』は映像作品『One11』の一種のライヴ・サウンドトラックであるのような特殊な作品、笙のために書かれた作品もある。 |
| 名曲大事典(音楽の友社)、ペータース出版カタログ、ジョン・ケージの数々の著作物、初演時のプログラムとFM放送録音、コンサート・本人のレクチャー・映画上映の出席など。 |
| 1989年には日本の稲盛財団により京都賞を授けられている。 |
| 晩年には、チャンス・オペレーションを用いた展覧会「ローリーホーリーオーバーサーカス」を構想していたが、1992年8月12日、脳溢血のためにニューヨークで死去した。 |
| この展覧会は死後の1993年に実現し、日本では94年から95年にかけて水戸芸術館で開催された。 |
人物
| 音楽の師であるシェーンベルクに弟子入りするとき「一生を音楽に捧げる気があるか」と問われた。 |
| ケージは「はい」と答え、シェーンベルクのもとで2年間音楽を学んだ。 |
| その後、シェーンベルクはケージに「音楽を書くためには、和声の感覚をもたなければならない」と言った。 |
| それを聞いたケージは自分が和声の感覚を全くもっていないことをシェーンベルクに告白した。 |
| すると、シェーンベルクは「それは君にとって音楽を続けることの障害になるだろう。 |
| ちょうど通り抜けることのできない壁につきあたるようなものだ」と伝えると、ケージは「それなら、私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」と答えた『サイレンス』408頁、409頁。 |
| 生活は貧しく、師のシェーンベルクが50歳過ぎでもアメリカで奨学金を追い求めて苦労したように、幼稚園児の送り迎えのアルバイトをしていたと言われる。 |
| 50歳を過ぎた頃にはケージは既に著名な存在であったが、自分のネームバリューをわかっていてもそのような仕事をやりたがる気質だった。 |
| どこへ行くにもボロボロの普段着で出かけ、電話帳にも実名を載せたために普通のファンの電話もマネージャーを介さず全て自分で取った。 |
| このことが仇となり、晩年にはただの老人と誤認されて強盗に襲われた経験を持つ。 |
| いつもニコニコと笑っており「ケージ・スマイル」(一柳慧の日本語訳は「啓示微笑」)と親しまれたが、自分の信念を曲げる人間とは絶対に相容れなかった。 |
| -->1970年のフランスでの討論の際は、無感動な表情をとり続けていると指摘されたこともある。 |
| 当日のケージは、感情から自由になることを説いていた『ジョン・ケージ小鳥たちのために』 34頁。 |
| 京都賞受賞時に「絶対に正装はしない!シャツとジーンズで出る」と言い張り、関係者との間でトラブルになった。 |
| このとき、「日本の伝統衣装、たとえば羽織袴なら」というスタッフのアドヴァイスに好意を抱き、羽織袴着用での受賞となった。 |
| 羽織袴も正装の一つであるのになぜ洋風の正装を嫌がったのかは、アメリカの作曲家協会に所属する階層に対する敵意があったからとされている。 |
音楽についての考え
| 彼は演奏者が作曲者になり、聴衆が演奏者になり、作曲家が聴衆になり、音によって互いに浸透すると考えた『ジョン・ケージ小鳥たちのために』 119頁。 |
| レコードを用いた作品を発表したが、自作をレコードに録音することには積極的でなく、レコードを「景色を台無しにしてしまう絵葉書」と呼んだ『ジョン・ケージ小鳥たちのために』 27頁。 |
キノコ研究
| ケージはキノコの研究家として、1962年にはニューヨーク菌類学会の創立に関わった。 |
| ケージはキノコから創作や思想の着想を得ており、みずからの音楽論とキノコの関係について語り、キノコの生態が出す音について想像し、エリック・サティの音楽をキノコにたとえた。 |
| ケージは、キノコを麻薬として使おうと思ったことはないかと質問されたとき、麻薬には興味がなく、一度も思ったことがないと答えた『ジョン・ケージ小鳥たちのために』 191頁。 |
| また、キノコの性が多様であることから、人間の雌雄の概念は、本来は複雑な状態を単純化したものではないかと考え、性の多様化を提唱した『ジョン・ケージ小鳥たちのために』 186頁、190頁、237頁。 |
| 1958年のイタリア滞在の際は、テレビのクイズ番組「いちかばちか」(LasciaoRaddoppia?)に出演。 |
| 三宅榛名は、ニューヨークのケージの家へ行ったときに真っ黒なキノコのシチューをふるまわれている『「ジョン・ケージのローリーホーリーオーバーサーカス」記録集』 29頁。 |
受容と影響
| ドイツの南西ドイツ放送のFMラジオでは、ドナウエッシンゲン現代音楽祭のディレクターのアーミン・ケラーが、ウィーンやパリに在住の著名な作曲家たちにインタビューを行ない、テーマ別に編集して放送した。 |
| シュトックハウゼンやラッヘンマン、ブーレーズらが懐疑的な態度を見せたのに対し、戦後世代の筆頭にあたるマティアス・シュパーリンガー(1944年生まれ)らは彼を作曲家と認めており、戦後世代は前衛や保守に関係なく彼の作品を音楽として享受しているという結果が出た。 |
| 『4分33秒』や『0分00秒』は現在でもヨーロッパで演奏され、放送権料や演奏権料などを含む著作権料が、ドイツ著作権協会のGEMAなどに支払われている-->。 |
| 日本には、唯一の日本人の弟子に一柳慧がいるが、近年は伝統的な形式の交響曲を書くなどして、ケージの作風からは隔たりがある。 |
| エリック・サティの研究で知られる秋山邦晴は、1952年以来ケージと交流を続け、ドイツでのケージ70歳記念番組では『叙雲啓示頌』を作曲した。 |
音楽
| ''SonataForClarinet''『クラリネットの為のソナタ』(1933年)。 |
| ''Construction(inMetal)''『コンストラクション・イン・メタル』(1937年)。 |
| ''LivingRoomMusic''『居間の音楽』(1940年)。 |
| ''TheCityWearsaSlouchHat''『町はソフト帽をかぶっている』(1941年)-詩人ケネス・パッチェンとの共作。 |
| ''MusicofChanges''『易の音楽』(1951年)。 |
| ''4'33"''『4分33秒』(1952年)。 |
| ''Variations|''『ヴァリエーションズ』(1958年-1978年)。 |
| ''FreemanEtudes''『フリーマン・エチュード』(1977年-1990年)。 |
書籍、テキスト
| ''Silence''(1961) 邦訳『サイレンス』 柿沼敏江訳、水声社、1996年。 |
| ''JohnCage,Pourlesoiseaux''(1976) 邦訳『ジョン・ケージ小鳥たちのために』 ダニエル・シャルルとの共著、青山マミ訳、青土社、1982年。 |
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