| ミルの業績の中でもとりわけ彼の名が刻まれているのは政治哲学での貢献であろう。 |
| ミルの著わした『自由論』(1859年)は自由とは何かと問いかけるものに力強い議論を与える。 |
| ミルは、自由とは個人の発展に必要不可欠なものという前提から議論を進める。 |
| ミルによれば、私たちの精神的、道徳的な機能・能力は筋肉のようなもので、使わなければ衰えてしまう。 |
| しかし、もしも政府や世論によっていつも「これはできる。 |
| 」と言われていたら、人々は自らの心や心の中に持っている判断する力を行使できない。 |
| よって、本当に人間らしくあるためには、個人は彼、彼女自身が自由に考え、話せる状態(=自由)が必要なのである。 |
| ここで、ミルの功利主義はその提唱者であるベンサムとはたもとを分かつ。 |
| 簡単に述べると、ミルの功利主義は、快楽について、ベンサムが唱えた量的なものよりも質的な差異をみとめ精神的な快楽に重きを置いた。 |
| それは次のミルの有名な言葉で表されている。 |
| {{quotation|「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 |
| 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 |
| そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 |
| 」|『功利主義』第二章}}。 |
| ミルの『自由論』は個人にとって自由とは何か、また社会(国家)が個人に対して行使する権力の道徳的に正当な限界について述べている。 |
| 『自由論』の中でも取り分け有名なものに、彼の提案した「危害の原理」がある。 |
| 「危害の原理」とは、人々は彼らの望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、好きなだけ従事できるように自由であるべきだという原理である。 |
| この思想の支持者はしばしばリバタリアンと呼ばれる。 |
| リバタリアンという言葉が定義するものは広いが、通常は危害を加えない行為は合法化されるべきだという考え(=「危害の原理」)を含む。 |
| 現代において、この「危害の原理」を基盤に幾人かのリバタリアンが合法化されることを支持するものとしては売春や現在非合法の薬物も含めた薬物使用がある。 |
| ヴィルヘルム・フォン・フンボルト「国家活動の限界を決定するための試論」はミルの「自由論」にも大きな影響を与えた。 |
| ミルは『自由論』において、政府がどの程度まで国民の自由を制限できるか、国民はどの程度の客観的証拠による注意によって、自らの自由な注意によってどの程度まで政府に干渉されずに、自由な意思決定をなすべきなのか考察を行なった。 |
| 例として毒薬の薬品の注意書きは政府によって命令されるべきか、自らの自由な意思によって注意すべきかを挙げて考察している。 |
| もし自らの意思によって注意すべきであるならば、政府は注意書きをつけるように強制すべきではないが、それが不可能ならば政府は注意書きを強制すべきであると論じ、国民の能力の問題をも取り上げることとなった。 |
| 酒や、タバコの注意書きや、それと類似に経済学的に意味がある酒税や、タバコ税の意味についても同じことがいえる。 |
| もし注意すべきではないということになれば警察国家となるであろうし、一方リバタリアンのように経済的なことのみに注意すべきであるということも可能であろうし、またスウェーデンのような福祉国家を主張することも可能であるということになる。 |
| ミルは自由論の中でコントの実証主義哲学を次のように解釈している。 |
| 古代における哲学者の間でも最も頑迷なしつけ主義者の政治的理想としての厳格主義を熟慮した結果、それを克服することによって(道徳によるよりも、むしろ法的な適用によって)個人に対しての社会の専制を確立する目的を持った社会システムを、コントは特に「実証主義政治システム」の中で展開したのである。 |
| このヴィルヘルム・フォン・フンボルトとコントの考え方がミルの自由論の根底にあったのである。 |
| アイザイア・バーリンは、これをさらに押し進めた。 |
| バーリンが用いた積極的自由、消極的自由という概念に従えば、ミルの『自由論』の議論の多くは消極的自由についてとなる。 |
| バーリンが提唱する消極的自由とは、障害、妨害、強制(抑圧)の欠如を意味する。 |
| また一方の積極的自由とは、行為できる(可能性的なものも含めた)能力、自由であるための必要条件-物質的資源、(ある人における)啓蒙の度合い、参政の機会など-の存在を指す。 |
| ミルは参政権(=積極的自由)について述べているが、あくまで「だいたい」消極的自由についてと言うことであり、『自由論』全てが消極的自由の議論ではない。 |
| ミルは後年自らを社会主義者と呼んだ。 |
| 彼が実際に社会主義者かどうかは今でも議論があるが、自由放任主義を支持していたので、通常はそのように見なされない。 |
| 実際のミルが自由を解釈して、後のチャーティスト運動が考えた自由、つまり他人を思いやる自由と考えたとすれば彼が社会主義者であったことが理解できる。 |
| ミルは、他者に危害を加えない行為をするために、個人の自由な行ないを邪魔する法などの障害を取り除くのは政府の役目であると説いている。 |
| ミルは実際の自由の行使-例えば貧しい市民が生産的な仕事を得ること-を許す必要条件については議論を展開せず、それにはその後のチャーティスト運動に待たなくてはならなかった。 |
| その後、『自由放任の終焉』を書いた経済政策のケインズなどに代表される20世紀の思想家の登場を待たなければならなかった。 |
| しかしニューディール政策を含め自由主義の運動には常にミルの自由論が大きく影響を与えたことは否めないといいうる。 |