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プロフィール
- ジョン・レノンとは
- 概説
- ヒット曲
- 生い立ち
- ビートルズデビューまで
- ブライアン・エプスタインとの出会い
- 最初の結婚
- キリスト発言
- ジョンとヨーコ
- ソロ・キャリア
- 1970年代
- ポール・マッカートニーとの関係
- 日本との関わり
- 死
- 関連サイト
ジョン・ウィンストン・オノ・レノン(JohnWinstonOnoLennon,MBE、1940年10月9日-1980年12月8日)は、イギリスのミュージシャン。ロックバンド・ビートルズのメンバーで、ボーカル・ギターを主に担当した。出生名はジョン・ウィンストン・レノン(JohnWinstonLennon)であったが、 オノ・ヨーコと結婚後ジョン・ウィンストン・オノ・レノンと改名。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第5位。身長180cm。血液型はO型。
概説
| 1960年代に世界的人気を得たビートルズの中心的メンバーであり、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、大半の楽曲を製作した。 |
| 1970年のビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また妻で芸術家のオノ・ヨーコと共に平和運動家としても活動した。 |
| 1975年から約5年間音楽活動を休止した後、1980年12月8日23時頃(米国東部時間)にニューヨークの自宅アパート「ダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性により射殺された。 |
ヒット曲
| 『ギネス・ワールド・レコード』では、最も成功したソングライティングチームの一人として、「チャート1位の曲が米国で盟友のポール・マッカートニーが32曲、レノンが26曲(共作は23曲)、英国チャートでレノンが29曲、マッカートニーが28曲(共作が25曲)」と紹介されている。 |
| ビートルズ時代には、「抱きしめたい」や「シー・ラヴズ・ユー」、リードボーカルを採る「プリーズ・プリーズ・ミー」「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」「ヘルプ!」「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」「愛こそはすべて」「アクロス・ザ・ユニバース」「カム・トゥゲザー」、ソロ時代は「ラヴ」「イマジン」「スターティング・オーヴァー」などを発表した。 |
生い立ち
| 1940年10月9日(18時30分)、第二次世界大戦のナチス・ドイツによる空襲下に置かれたリバプールで誕生。 |
| 出生時、父・アルフレッドは商船の乗組員として航海中で不在、母・ジュリアも他の男性と同棲していたため、母の姉・メアリー(ミミ伯母さん)夫婦のもとで育てられた。 |
| 1946年、父・アルフレッドが帰国し、父に引き取られ数週間一緒に暮らすものの、母・ジュリアがジョンを連れ戻すが、母と暮らすことはできず、ふたたびミミ夫婦のもとで育った。 |
| 父もまた行方不明になった。 |
ビートルズデビューまで
| 1952年9月にグラマー・スクールのクオリー・バンク校に入学した。 |
| 1955年に父親代わりだったミミの夫・ジョージが死去。 |
| 1956年のある日、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴き、ロックンロールの洗礼を受ける。 |
| この頃ジュリアが近くに住んでいる事を知ったジョンは、ジュリアの家へ行き来するようになった。 |
| ジュリアはジョンにバンジョーのコードをいくつか教え、音楽へと関心を向けさせた。 |
| 1957年、処女作・「ハロー・リトル・ガール」を作曲(この曲は1962年にデッカのオーディションの際に歌われ、「アンソロジー1」で公式に発表された)。 |
| ;ポールとの出会い。 |
| 3月、クオリー・バンク校で、ビートルズの前身であるスキッフルバンド「クオリーメン」を結成した。 |
| 7月6日、ウールトンのセント・ピーターズ教会で行なったクオリーメンのコンサートで共通の友人(アイヴァン・ボーン)の紹介によりポール・マッカートニーと出会う。 |
| 数日後、ポールはクオリーメンのメンバーになった。 |
| エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、バディ・ホリーと言ったアメリカのロックンロールに夢中になった。 |
| ;ジョージ・ハリスンとの出会い。 |
| 1958年2月、ポールの紹介でジョージ・ハリスンのクオリーメンへの加入を認めた。 |
| 1958年7月15日、母・ジュリアは非番の警察官が運転する車にはねられ死去。 |
| 最初の妻シンシアの回顧本「ジョン・レノンに恋して」(2007年)によると、ジュリアに気づいた警官が、慌てて、ブレーキとアクセルを踏み違えたことで起こった事故である。 |
| 警官に下った判決は「無罪」である。 |
| この母・ジュリアの死は、ジョンのその後の人生に大きな影響を与え、またすでに(1956年14歳の時)母親を乳癌で亡くしていたポールとの友情を固める要因にもなった。 |
| 1958年9月、ジョンはクオリー・バンクを卒業後、同校校長の取り計らいでリヴァプール・カレッジ・オブ・アート(LiverpoolCollegeofArt)に入学する。 |
| そこで最初の妻となるシンシア・パウエルと出会った。 |
| 1959年1月、バンドのメンバーはジョン、ポール、ジョージ3人だけになる。 |
| この後しばらく、ドラマーはパートタイマーが続いた。 |
| ジョンはハンブルクの楽器店で1台目のリック325を購入した。 |
| 1960年1月、ジョンの説得により、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートでの友人、スチュアート・サトクリフがメンバーに加わりヘフナーNo.333ベースを演奏した。 |
| バンド名も「クオリーメン」から「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス」そして「ザ・シルバー・ビートルズ」と変わっていた。 |
| 8月「ザ・ビートルズ」になりピート・ベストが加入した。 |
| 1961年4月ハンブルクでスチュアートは画家に専念するため脱退。 |
| ジョンはすぐにポールを説得してベーシストにする。 |
| ポールはヘフナー500/1を演奏することになる。 |
| スチュとならんでベースを演奏している写真がある。 |
| また、ジョンはこの時、クラウス・フォアマンの加入の希望を断っている。 |
| なお、スチュアートは恋人アストリッドとハンブルクに残るがまもなく脳腫瘍で死去した。 |
| 6月ドイツで活動していたイギリス人歌手トニー・シェリダンのバックバンドとして「マイ・ボニー」をレコーディングした。 |
ブライアン・エプスタインとの出会い
| 1961年12月ジョン達は「マイ・ボニー」を買いに来た客からビートルズを知ったレコード店経営者ブライアン・エプスタインとマネージメント契約を結び、これからロンドンのレコード会社へのビートルズの売り込みが始まった。 |
| 1962年1月1日にデッカ・レコードのオーディションを受けるも不合格となった。 |
| 6月にパーロフォンとレコーディング契約を結ぶ。 |
| 8月にピートを解雇。 |
| 新たにリンゴ・スターが加入した。 |
| 10月5日「ザ・ビートルズ」としてレコードデビューを果たした。 |
最初の結婚
| 1962年8月23日、シンシア・パウエルが妊娠したのを切っ掛けに彼女と結婚した。 |
| シンシアとの間の長男・ジュリアン・レノンは1963年4月8日に誕生した。 |
| しかし、両親と生活したことのないジョンは、ジュリアンにどう接すればいいのか分からずに戸惑っていた「『どうしたらジュリアンが喜ぶか教えてくれないか?やり方が分からないんだ』とジョンに聞かれたことがある」とポールは語っている。 |
| ジュリアンも後に「ポールはかなり頻繁に遊んでくれたよ、父さんよりね。 |
| 僕らはいい友人だった。 |
| その頃の僕とポールがいっしょに遊んでいる写真は、父さんとの写真よりもはるかに多い」と語っている。 |
キリスト発言
| 1966年3月4日、ロンドン・イブニング・スタンダード紙のモーリーン・クリーヴとのインタビューでジョンは次のような発言を行なった。 |
| 「キリスト教は消えてなくなるよ。 |
| そんなことを議論する必要はない。 |
| 僕は正しいし、その正しさは証明される。 |
| 僕らは今やイエスよりも人気がある。 |
| イエスは正しかったさ。 |
| だけど弟子達がバカな凡人だった。 |
| 僕に言わせれば、奴らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだよ」。 |
| この発言はイギリスではほとんど無視され、大きな反響を呼ばなかったが、同年7月にアメリカのファンマガジン『デートブック』に再収録されると、バイブル・ベルト(キリスト教根本主義が信奉される南部や中西部)の保守的宗教団体によるアンチ・ビートルズ活動に結びついた。 |
| ラジオ局はビートルズの曲の放送を禁止し、彼らのレコードやグッズが燃やされた。 |
| スペイン及びバチカンはジョンの言葉を非難し、南アフリカ共和国はビートルズの音楽のラジオ放送を禁止した。 |
| 最終的に、1966年8月11日にジョンはシカゴで以下のように釈明会見を行い、バチカンも彼の謝罪を受け入れた。 |
| 「僕がもし、“テレビがイエスより人気がある”と言ったなら、何事もなかったかもしれない。 |
| 僕は神に反対しないし、反キリストでなければ反教会でもない。 |
ジョンとヨーコ
| 1966年にビートルズがライブ・ツアーを休止した後、ジョンは映画『HowIWonTheWar日本では1993年にビデオで初めて発表。 |
| 11月にはロンドンのインディカ・ギャラリーで彼は後に二人目の妻となるオノ・ヨーコに出会った。 |
| 美術学校時代に東洋文化を専攻していた友人がいたことから日本や東洋文化に興味を持っていたジョンは、禅や空の概念に強い好奇心を寄せており、これを色濃く反映させたヨーコのアートに強い興味を示した。 |
| 二人は同年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の録音期間より、ヨーコの個展にジョンが出資するなどして交際を始めた。 |
| 1969年3月にジョンとヨーコはジブラルタルで挙式し、新婚旅行で訪れたアムステルダムとモントリオールで「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスを行った。 |
| 彼らは多くのメディアから奇妙なカップルとして取り上げられる一方、反戦運動における重要人物としても見なされるようになった。 |
| ジョンの本格的なソロ活動前に二人は前衛的な『トゥー・ヴァージンズ』、『ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』、『ウェディング・アルバム』の3枚のアルバムを発表した。 |
| またジョンのソロ時代発表されたアルバムと対になって『ヨーコの心』(1970年)、『フライ』(1971年)、『無限大の宇宙』(1972年)、『空間の感触』(1973年)が発表され、それぞれにジョンが参加した。 |
| 二人の共同名義の音楽作品として、ほかに『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年)、『ダブル・ファンタジー』(1980年)、『ミルク・アンド・ハニー』(1984年)が発表された。 |
1970年代
| ビートルズ存続中の1970年2月にメンバーのジョージ・ハリスンも参加した「インスタント・カーマ」を発表、「レット・イット・ビー」とほぼ同時期に発表されチャートを上昇し米英でトップ5ヒットとなりゴールドディスクを獲得した。 |
| 1970年4月10日、ポールが脱退を発表しビートルズが事実上解散したのちジョンは深い精神的ショックに陥るが、この後アメリカのアーサー・ヤノフ博士が提唱した精神療法である原初療法を受けた。 |
| 約半年間のち、ビートルズのメンバーであったリンゴ・スター(ドラム)、クラウス・フォアマン(ベース)、ゲストにビリー・プレストンを迎え、アルバム『ジョンの魂』を制作し発表(米6位、英8位)。 |
| 6月発表の次作『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』は(ニューヨークのローカル・バンドのエレファンツ・メモリーがバックをつとめた)、刑務所での暴動、人種問題や性差問題、北アイルランド紛争、アメリカ合衆国のグリーンカードについて歌われているだけでなく、アルバム・ジャケットは裸踊りをするリチャード・ニクソンと毛沢東の合成写真が使われた。 |
| 1972年8月30日、ジョンはエレファンツ・メモリーと共に、精神発達遅滞児童を援助する2回の慈善コンサート「ワン・トウ・ワン」をニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行い、スティーヴィー・ワンダーとは「平和を我等に」を共演したほかビートルズ時代の「カム・トゥゲザー」を披露した。 |
| デヴィッド・ボウイとの親交も深まり、ボウイの『ヤング・アメリカン』(3月発表)でビートルズ時代の「アクロス・ザ・ユニバース」を共演、さらにボウイ、カルロス・アロマーと「フェイム」を共作し、コーラスに参加した。 |
ポール・マッカートニーとの関係
| ビートルズ解散直後しばらくは互いの楽曲中で中傷しあう『ラム』でのマッカートニーのレノンへの皮肉は『イマジン』における『ラム』のパロディー、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?」におけるマッカートニー作品が軽音楽のようだという歌詞、『ウィングス・ワイルド・ライフ』における「ディア・フレンド」がレノンを指すなど深い確執が存在したが、ビートルズのアラン・クレインとのマネージメント問題、アップルレコードの管理など一連の訴訟が解決に向かう中、1970年代も中頃になると、マッカートニーが自分のバンド「ウイングス」でアメリカ・ツアーを行なった際には時折レノンのもとを訪れるなど親交を取り戻すようになった。 |
日本との関わり
| アルバム『ジョンの魂』発表直後の1971年1月13日から21日に訪日した際、同作品への俳句の影響を示唆し、日本語で「しぶいアルバム」と表現しているシンコーミュッジック刊、1972年ビートルズの軌跡所収、水原健二インタビュー、1971(昭和46)年1月21日、372p。 |
| 日本人の知己としては、ビートルズとして訪日時に共にインタビューを受けた加山雄三(初対面で、いきなりジョンが加山の後ろから目隠しをして加山を驚かせた)、ニューヨークのジョン夫妻の下で過ごした時期のある横尾忠則、訪日時に食事を共にした内田裕也・樹木希林夫妻、シンコーミュージック(当時)の星加ルミ子らが挙げられる。 |
死
| 11月に発売されたニューアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット写真(篠山紀信撮影)では、整髪料をまったくつけないマッシュルームカットのヘアスタイルにトレードマークの眼鏡を外し、ビートルズ全盛期の頃のように若返った姿が話題を呼んだが、この日のジョンはさらに短く髪をカットし、グリースでリーゼント風に整え、眼鏡を外して撮影に臨んだ。 |
| マッカートニーは「ヒア・トゥデイ」を、ハリスンは「過ぎ去りし日々」(ポール、妻リンダ、デニー・レイン、ジョージ・マーティンがバックコーラスで、リンゴがドラムで参加)をレノンの追悼曲としてそれぞれ発表した。 |
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父・アルフレッドが帰国し、父に引き取られ数... |
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