| 1963年、シカゴでチャックとジョンのパノッツォ(パノッソというカナ表記も存在する1982年の来日ツアーの公演パンフレットより)兄弟が中心となってバンド活動を開始する。 |
| その後デニス・デ・ヤングが加入してバンド名が「ザ・トレイドウンズ」となる。 |
| 当初は1ローカル・バンドに過ぎなかったが、1968年にジョン・クルリュウスキーがギタリストとして加入し、バンド名を「トレイドウンズ4」としてプロバンドをめざし始める。 |
| 1970年にジェイムス・ヤングが加入、その半年後に製作したデモテープがRCA傘下のウッデンニッケル・レコード(WoodenNickelRecords)の代表を務めるビル・トラウト(BillTraut)に認められ、契約してバンド名をスティクスに変更した。 |
| 1972年9月(米国)、アルバム『スティクス』でデビュー。 |
| 13分以上ある曲を収め、大衆受けはしなかったものの、評価は高かった。 |
| 1973年7月に2ndアルバム『レイディ(STYXII)』をリリース。 |
| 1stではオリジナル曲が少なかった彼らだが、このアルバムで方向性を決定付けた。 |
| さらに1974年2月に3rdアルバム『サーペント・イズ・ライジング』を発表。 |
| ここからかなりポップ性を意識し始め、曲も大曲志向から短いものへと変貌していく。 |
| 1975年、2年前に発売された2ndアルバムに収録されていた「憧れのレイディ」が2月から序々にチャートを上昇、8月には全米6位まで浮上し(2週維持)。 |
| さらにこれによってアルバムもセールスが延びてゴールドディスクを獲得。 |
| このヒットにより同年秋大手A&Mに移籍した。 |
| これに関連して移籍第一弾のアルバム『分岐点』の制作後、全米ツアー前に音楽性の違いからクルリュスキが脱退、代って元MSFUNKのトミー・ショウ(Vo./g.)が加入した。 |
| ポップスセンスに秀でたトミー・ショウが加入した事でスティクスの作品はより一般的な人気を獲得し、1977年発表のアルバム『グランド・イリュージョン〜大いなる幻影』が全米トップ10入り、シングルでは「カム・セイル・アウェイ」が全米8位となる。 |
| 1979年リリースの『コーナーストーン』からはついに全米No.1シングルの「ベイブ」が生まれ1979年12月8日/12月15日付けの2週連続。 |
| 、アルバムも全米2位の大ヒットとなり、スティクスは人気バンドとしての成功を獲得するに至った。 |
| さらに1981年リリースの『パラダイス・シアター』からは「ザ・ベスト・オブ・タイムズ」が全米3位、「時は流れて」が全米9位となり、アルバムは初の全米1位を記録した1981年4月4日/同11日/5月9日付けの3回。 |
| 1982年1月には『パラダイス・シアター』を主作品とした初来日ツアーが催行され、6日・福岡サンパレスホール/8日・名古屋市公会堂/9日・京都会館第一ホール/11日・大阪フェスティバルホール/12日・横浜文化体育館/13日・日本武道館大ホールの合計6コンサートが催された。 |
| さらに1983年には『ミスター・ロボット』がリリースされ、日本語の歌詞が含まれた表題曲が収録されて話題となるなど、日本でもその人気が浸透していった。 |
| その後、デニスとトミーとの間に亀裂が生じ、各々がソロ活動に尽力することとなった。 |
| 80年代後半には既にSTYXの存在は薄れていった。 |
| 90年にはトミーがダム・ヤンキースに参加。 |
| テッド・ニュージェント(g.),ナイトレンジャーのジャック・ブレイズ(b.)がこれに参加し、2人のリードギター、3人のリードヴォーカルという一風変わった構成を持ったバンドだった。 |
| 彼らも「ハイイナフ」(全米3位)でヒットを出している。 |
| デニスは同年にトミーを除いた別メンバートミーの代わりに元ハマー(ヤン・ハマーのバンド)のグレン・バートニック(GlenBurtnik,g,vo)で再結成し、同年暮れにはアルバム『エッジ・オブ・センチュリー』をリリース。 |
| シングル「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」1990年が全米3位を獲得するなど相変わらずヒットを飛ばすが、メンバー・チェンジなどを繰り返し、不安定な状態での活動が続いた。 |
| トミーの方はダム・ヤンキーズで2枚のアルバムを出した後、テッド・ニュージェント脱退を受けてそのままブレイズとショウ&ブレイズというバンド名で活動し、1枚のみだがアルバムも残している。 |
| そして1996年、今度はトミーも含んだ全盛期のメンバーが揃ってのスティクス再結成が話題を呼んだ。 |
| しかし、このメンバーでツアーに出ようとした矢先、ドラムのジョンが急逝(アルコール中毒だったらしい)。 |
| ジョンの追悼ライヴになってしまったこのツアーでは、急遽ドラムにトッド・ズッカーマン(ToddSucherman)を迎え、新曲も数曲披露された。 |
| この模様はアルバム用としてもライヴ・レコーディングされ、翌97年『リターン・トゥ・パラダイス』と題してリリースもしている。 |
| そのままのメンバーでスタジオ・レコーディングも行われ1999年にアルバム『ブレイヴ・ニュー・ワールド』としてリリースされた。 |
| この直後デニスの脱退が伝えられたが、バンド自体はキーボード&ヴォーカルにローレンス・ゴーワン(LawrenceGowan)を迎えて存続させた。 |
| 2000年には、このデニス抜きのメンバーで2度目の来日公演も行われている。 |
| ところが、自分の脱退理由は健康上のものであり、自分無しでのバンド続行は無効であるとするデニスは、バンドに対し訴訟を起こしていたらしい。 |
| グループとしては2003年に、このメンバーに元の再結成メンバーであったグレン・バートニックをベース・ギター&ヴォーカルにスイッチさせて迎え入れ、スティクスとしてのアルバム『サイクロラマ』を正式リリースしている。 |
| 尚、2004年時点では、ベースが元ベイビーズ→バッド・イングリッシュのリッキー・フィリップス(RickyPhillips)に替わっている。 |
| 2011年、イエスの前座として北米をツアー。 |