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プロフィール
- スティーブ・ジョブズとは
- 略歴
- 幼少期
- 青年期
- アタリとのかかわり
- Apple I
- アップルコンピュータ設立
- LisaとMacintosh
- アップルコンピュータ解任とNeXT社設立
- ピクサー
- 結婚
- アップルコンピュータ復帰
- 病気とCEO退任
スティーブン・ポール・ジョブズ(StevenPaulJobs、1955年2月24日-)は、アメリカ合衆国の実業家。 スティーブ・ウォズニアック、ロン・ウェイン、 マイク・マークラらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。また、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続ける人物である。ギブンネームをスティーブンまたはステファン、ファミリーネームを ジョブスとして表記されることもあるが、アップルジャパン公式サイトでは「 スティーブ・ジョブズ」と表記している。
略歴
| right|thumb|WWDC07でのスティーブ・ジョブズ。 |
| スティーブ・ウォズニアックと共に、ワンボードマイコン「AppleI」を開発・販売し、アップル社設立後には、パーソナルコンピュータ「AppleII」を発表。 |
| 株式公開後には2億ドルもの巨額を手中にし、20代でフォーブスの長者番付に載り、世間の注目を集める。 |
| ゼロックス社パロアルト研究所を見学した際、Altoで動作していた暫定Dynabook環境のグラフィカルユーザインターフェースにインスピレーションを受け、パーソナルコンピュータ「Lisa」を開発。 |
| 続いて、ジェフ・ラスキンらのMacintoshプロジェクトの主導権を握り、新たなコンピュータ像を創造する。 |
| 発表された「Macintosh」は、当時存在したあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたものであり、再び時の人となる。 |
| しかし、本人の立ち居振舞いのために社内を混乱させたとされ、アップルの役員達から社内でのすべての職を剥奪される。 |
| アップル退職後、ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を買収して、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立。 |
| また、自ら創立したNeXTComputerで、ワークステーション「NeXTcube」と先進的オペレーティングシステム(OS)NEXTSTEPを開発した。 |
| 1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却することで復帰、1997年には、暫定CEOとなる。 |
| その後、ライバルとされていたマイクロソフトとの資本連携に踏み切り、Macintosh互換機へのライセンスを停止、社内のリストラを進めてアップル社の業績を回復させた。 |
| 2000年、正式にCEOに就任。 |
| 2001年から2003年にかけてMacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMacOSXへと切り替える。 |
| その後はiPod・iPhone・iPadといった一連の製品群を軸に、アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させた。 |
| 暫定CEOに就任して以来、基本給与として、年1ドルしか受け取っていないことで有名であり |
| 2006年に、ピクサーをディズニーが買収したことにより、ディズニーの個人筆頭株主となり、同社の役員に就任しているが、ディズニーからの役員報酬は辞退している。 |
幼少期
| 1955年、シリア人の政治学者、アブダルファン・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンの間に生まれる。 |
| 誕生以前から、養子に出すことに決められていたため、ポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に引き取られることになった。 |
| ジョアン・シンプソンは、ジョブズ夫婦が大学卒でないことを知り、養子縁組を躊躇したが、ジョブズ夫婦が彼を大学に進学させることを約束して、縁組が成立した。 |
| ジョブズが、実の母と再会するのは、彼が30歳を過ぎた頃である。 |
| 作家のモナ・シンプソンは、彼にとって実の妹に当たる。 |
青年期
| 1968年、ジョブズが13歳のとき、あこがれのヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかける。 |
| ビル・ヒューレットはバロアルトに住んでいることを知っており、電話帳で調べてみたところ、バロアルトで、ビル・ヒューレットの名前で掲載されているものはひとつしかなかった。 |
| ジョブズは、周波数カウンタの部品を欲しいとお願いすると、部品をくれるばかりか、夏休みにアルバイトをしないかと持ちかけられた。 |
| もらった仕事は、ヒューレット・パッカードの支社で、周波数カウンタをつくっているところだったという |
| 1971年、高校生になったジョブズは、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いていた時に、スティーブ・ウォズニアック(ウォズ)と出会う。 |
| 容姿も性格も正反対の2人であったが、すぐに意気投合した。 |
| ある時、ウォズの母親からもらった「エスクァイア」誌1971年10月号に掲載されていたブルー・ボックスと呼ばれる装置を使って、無料で長距離電話をかけるというフリーキング(不正行為)の記事を読んだ2人は、スタンフォード大学の図書館に入り込み、AT&T(ベル社)の技術資料を見つけ出して、自分たちでオリジナルのブルー・ボックスを作り上げた。 |
| 2人は、この装置で長距離電話をかけまくったという。 |
| ウォズは、この装置を作ったことで満足したが、ジョブズは、当時ウォズの通っていたカリフォルニア大学バークレー校の寮で、1台100ドルから150ドルで売りさばいていた。 |
| 装置自体は1台40ドル程度で、大いにもうかったようだが、そのうち銃で脅されるような状態になり、身の危険すら感じたジョブズは、一切の販売を止めてしまう。 |
| その後、1972年オレゴン州のリード大学へ進学した。 |
| ジョブズは、大学に半年間通ったが、自分が大学院の教授より優れていることを知り、大学にいても意味が無いと言って中退してしまう。 |
| 1年間コーラの瓶を売って食費を稼ぎ、リード大学(:en:ReedCollege)のキャンパスを放浪して、哲学やカリグラフィー(西洋書道)の教室に通っていた。 |
アタリとのかかわり
| ジョブズは、1974年初め、アタリにテクニシャン(下級エンジニア)として採用され、40人目の社員として、技術部長であるアラン・アルコーンの下で働いた。 |
| 長髪で風呂に入らず、ビルケンシュトックサンダル(または裸足)でうろつく不潔な姿のため、社内で嫌われたが、アタリのトップであるノーラン・ブッシュネルは気に入って採用したという。 |
| ジョブズは、ドイツまでゲームの修理に行く傍ら、友人のダン・コトケと共に、インドに数か月間も放浪の旅をし、坊主姿でカリフォルニアに帰って来た。 |
| その後、ブッシュネルから直々に新製品「ブレイクアウト」(ブロックくずし)の回路の部品減らしを命じられ「減らした数だけ報酬が出る」と言われたが、ジョブズは自身ではできないことをすぐ認識した。 |
| ジョブズは、部外者のウォズニアックを毎晩こっそり社内に招き入れ、ゲームをしたり勝手に基板を改造していた彼に対してその片手間に作業を頼んだ。 |
| ウォズニアックは、4日間徹夜して部品を20~30個も減らしたが、余りに窮屈で難解な設計は、ウォズニアック自身にしか理解できなかったため、ジョブズは会社からやり直しを命じられる。 |
| その場で取りつくろおうとしたが当然できず、結局は、またしてもウォズニアックに泣きつくことになった。 |
| そしてウォズニアックは、多少部品は増えたものの、誰もがわかる程度に設計の変更を行った。 |
| ジョブズは、報酬の山分けをウォズニアックに提案、アタリから受け取った「700ドル」のうち350ドルを小切手でウォズに渡したが、実際には5000ドルを受け取っており、差額は、オレゴン州の共同農場につぎ込んでいた。 |
| 1984年頃、ウォズニアックはアルコーンに偶然出会った際、ジョブズによる報酬搾取の事実を知り、ジョブズとウォズニアックとの間にはしばらく確執があった。 |
| ともあれウォズニアックは、後述のAppleIやIIを設計する際「ブレイクアウト」の部品減らしが、大変役に立つ勉強だったと語っている。 |
| なお、アルコーンはアタリを退職後、アップルコンピュータにも勤めていた時期がある。 |
Apple I
| 1975年、Altair8800というコンピュータ・キットが発売され、人気を博していた。 |
| ウォズは、モステクノロジー社の6502ならより安く、しかも、簡易な回路のコンピュータを作ることができると考え、10月から半年間かけて設計。 |
| ホームブリュー・コンピュータ・クラブでデモを行い称賛された。 |
| ウォズは、ヒューレット・パッカード(HP)で働いていたことから、「自身の開発した物は上司に見せなければいけない」としてジョブズの反対を押し切り、HPに商品化を持ち掛ける。 |
| しかし、当時のHPは、個人でコンピュータを所有する意味が理解できなかったために、ウォズを軽くあしらってしまう。 |
| アタリのアルコーンもほぼ同様の反応で、2人は資金を集め自分達でこのコンピュータを売り出すことを決意する。 |
| ジョブズはワーゲンバスを、ウォズはHPのプログラミング電卓を250ドルで売り払い資金を集めた。 |
| そして、製造したコンピュータをアップル(正確にはAppleComputerI)と名付け、1976年6月AppleIは、666.66ドルの価格で販売が始められた。 |
| アップルのネーミングの由来には多くの諸説があるが、この件については、米アップル社の公式なコメントはされてないため「こういう意味である」という断定はできない。 |
| ただし、アップルの命名者がウォズではなく、ジョブズということだけは紛れもない事実であり本当の由来はジョブズしか知らない。 |
| ちなみに、ウォズが「アメリカン・ドリーム」(マイケル・モリッツ著)で語っているところによれば、社名選考でジョブズが「アップルというのはどうか?」と、突然言い出したとされる。 |
| それに対してウォズは「2人(ウォズ、ジョブズ)とも音楽好きであったのでビートルズのレコード会社として有名なアップルから思いついたのかもしれない」とのコメントを残している。 |
アップルコンピュータ設立
| ジョブズは、約8,000ドルの利益を手に、多忙で商談ができなかったブッシュネルの紹介で出会ったマイク・マークラに、起業の話を持ちかける。 |
| マークラは、インテルの中級社員だったが、目先の現金が欲しい同僚や友人からストックオプションの株をコツコツと買い集め、インテルの株式公開時には、巨額の富を手に入れていた。 |
| そして、紹介されたジョブズらの話に興味を持った彼は、1976年11月に、アップルに加わり、自身の個人資産の92,000ドルを投資し、1977年1月3日、3人はアップルコンピュータを法人化した。 |
| 1977年5月、ナショナル・セミコンダクターから引き抜いたマイク・スコットが、4番目の社員となる。 |
| ウォズは、アップルに注力するために、ヒューレット・パッカードを退社し、AppleIの再設計を開始した。 |
| 処理能力向上とディスプレー表示のカラー化、拡張スロット、内蔵キーボード、データ記録用カセットレコーダをもつAppleIIをほとんど独力で開発。 |
| 1977年6月5日、1,298ドルで発売されたAppleIIは爆発的人気を呼び、1980年には10万台、1984年には200万台を超える売り上げで、莫大な利益をアップルにもたらした。 |
| 1980年、アップルはIPO(株式公開)を果たし、750万株を持っていたジョブズは、2億ドルを超える資産を手にした。 |
LisaとMacintosh
| 1981年、IBMがIBMPCを発売し、パーソナルコンピュータ市場へ参入した。 |
| 1978年、AppleIIを打ち破る次世代パーソナルコンピュータとして、Lisa(リサ)・プロジェクトが立ち上げられた。 |
| 1979年、ゼロックスからの出資を受け入れる交換条件として、ジョブズの要請により当時ゼロックス管轄の研究所であったパロアルト研究所見学が行われた。 |
| その際、ビットマップディスプレイとマウスを前提とする「Alto」で、GUIを実現した「暫定Dynabook環境」(開発者のアラン・ケイらは、SmalltalkをOSとして動作するAltoをこう呼称した)のデモに大きな衝撃を受けたジョブズは、開発中のLisaに、これと同じ機能を持たせることを考え、自らプロジェクトを率いて行くこととなった。 |
| 1979年、アップルに入社したジェフ・ラスキンは、AppleIIが一般の人々には複雑すぎると考えていた1人だった。 |
| 彼は、カリフォルニア大学サンディエゴ校での教え子であったビル・アトキンソンを雇い、AppleIIのメンテナンス担当だったビュレル・スミスなど数人で、1979年、Macintoshプロジェクトを開始する。 |
| しかし、Lisaを上回るものにしようとするジョブズが、ソフト(オペレーティングシステム)に関しても口を出し始めたために、ラスキンと対立してしまう。 |
| ことごとく対立を繰り返した揚げ句、ラスキンは役員に対して「ジョブズの首を取るか、自分を新たな場に移すか」と直談判するが、最終的に役員サイドは、Macintoshプロジェクトにジョブズを押し込めておく方が、会社にとって悪影響が少ないと考え、ジョブズの考えを優先してしまう。 |
| 初代Macintoshの筐体デザインは、よくドイツのフロッグデザインと誤解されるが、実際は、ジェリー・マノック(米アップル社員)によってデザインされたものである。 |
アップルコンピュータ解任とNeXT社設立
| ジョブズは、スコットの後任として、マーケティングに優れた人物を連れてくる必要に迫られ、ペプシコーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーに白羽の矢を立て、引き抜き工作を行った。 |
| それを察知したジョブズは、スカリーの中国出張中にアップルからの追放を画策するが、アップル・フランスで功績を上げていたジャン=ルイ・ガセーの密告により、スカリーはジョブズが自分をアップルから追い出そうとしていることを知る。 |
| 当初、ジョブズは700万ドルをNeXTに投資し、1987年までには新しい製品が投入できるともくろんでいたが、実際に、NeXTの製品(NeXTcube)を発表できたのは1988年秋で、最終版の出荷は、1989年になってのことだった。 |
| ジョブズはそれでも「5年は先取りしている」と語ったが(結果的にはMacOSXの12年の先取り)、NeXTのロゴデザイン(ポール・ランドに依頼)に10万ドルを投じたり、OS(NEXTSTEP)の凝った仕様を開発するべく膨大な時間をかけたり、NeXTcubeの筐体デザインをフロッグデザインに依頼するなど、NeXTはあっという間に資金を食いつぶしていく。 |
| 1987年にはフォードで成功していたロス・ペローから2000万ドルの出資を、1989年には、キヤノンから1億ドルの出資を引き出した。 |
| 発表当初から、NeXTの評価は高かったが、ジョブズが強硬に主張した、フロッピードライブの代わりにキヤノン製の独自の光磁気ドライブ(5インチMOドライブ)を採用したことや、加工の難しいマグネシウム合金の筐体を使うことなどによって生産コストが高くつき、また、モトローラからのマイクロプロセッサ(MC68030)供給が遅れるなどにより、思うように販売が伸びなかった。 |
| そして、サン・マイクロシステムズなどのワークステーション並みに高価な価格だったこと、その他のハードウェアと直接的に接続することができないなどの理由で、1992年にIBM互換機で動作するNEXTSTEPのPCバージョンを発表する。 |
ピクサー
| NeXT社の仕事の一方で、ジョブズは、1986年2月7日に、ルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を1000万ドルで買収し、CEOの座に就いた。 |
| ピクサーの主要商品は、レンダーマンというシリコングラフィックスのIRIX上で動くレンダリングソフトであり、約10万本のセールスを記録し『ジュラシックパーク』のコンピュータグラフィックス制作でも使われた。 |
結婚
| 1991年、スタンフォード大学のMBAで学んでいた9歳下のローレン・パウエルと結婚し、3月8日にヨセミテ国立公園のホテルで挙式、同年の9月には息子のリードが生まれた。 |
アップルコンピュータ復帰
| エリソンは、Windowsを打倒すべく、シンクライアントのネットワークコンピューティングを提唱しており、ジョブズと共に、これをアップルによって実現しようと考えていた。 |
| アメリオとアップルCTOのエレン・ハンコックは、次世代MacOSの候補として、Be社のBeOS、サン・マイクロシステムズ社のSolaris(ソラリス)、マイクロソフト社のWindowsNT、そして、NEXTSTEPの四つを挙げていた。 |
| 元々アメリオは、ワークステーションやサーバで用いられ、堅実に動作するUNIXの中でも、特に、カーネギーメロン大学で開発されたMachに目を奪われていた。 |
| 8月に、ボストンで開催されたマックワールドエキスポでは、議決権のない株式譲渡と技術提携(特許裁判をしないための条件)という名目を条件に、マイクロソフトから1億5000万ドルの資金提供と、マック版のマイクロソフトオフィスとインターネットエクスプローラの提供を受けることを柱とした、業務提携を発表する。 |
| しかし、この提携が一定の役割を果たしたのは事実で、その後も、PDAのニュートン事業の清算など、いくつかのプロジェクトを中止、アップル社内のレイオフを進め、大規模なリストラを行った。 |
病気とCEO退任
| しかし、12月16日に、AppleがMacworldでの基調講演を行わないとの発表を行ったことで不安は再燃し、2009年1月6日に、あらためて「体重減少はホルモン異常のため」との書簡を発表し、重病説や辞任説を否定し「AppleのCEOとしての義務遂行が継続できなくなったら、最初に取締役会に話す」と宣言したが、1月14日に「6月末まで治療に専念」するためのCEO休職を発表した。 |
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1955年
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シリア人の政治学者、アブダルファン・ジャン... |
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1968年
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ジョブズが13歳のとき、あこがれのヒューレッ... |
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