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つながりの強いひと
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菅野昭正
日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学名誉教授・日本芸術院会員。読売文学賞、伊藤整文学賞選考委員。 |
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アルチュール・ランボー
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー(JeanNicolasArthurRimbaud,1854年10月20日-1891年11月10日)は19世紀のフランスの詩人。ランボオとも。主な作品に... |
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ポール・ヴァレリー
作品提供
フランスの作家、詩人、小説家、評論家。多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。 |
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松岡正剛
日本の編集者、著述家、日本文化研究者。編集工学を提唱。京都府出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。現在、株式会社松岡正剛事務所代表取締... |
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鈴木信太郎
鈴木信太郎 略歴 →鈴木信太郎先生の作品に戻る 1895年 東京都八王子生まれ 1910年 白馬会溜地洋画研究所に入る 黒田清輝に師事 1916年 文展に初入選 1... |
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ポール・ヴェルレーヌ
作品提供
フランスの詩人。ポール・ヴェルレーヌ、あるいは単にヴェルレーヌとも呼ばれる。ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボーらとともに、象徴派といわれ... |
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柏倉康夫
日本のジャーナリスト、フランス文学者(文学博士:京都大学)。放送大学名誉教授。専門は、フランス文学、メディア論。 |
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野内良三
日本のフランス文学者、修辞学者、関西外国語大学国際言語学部教授。 |
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エドガー・アラン・ポー
アメリカ合衆国の小説家、詩人、雑誌編集者。マサチューセッツ州ボストンに生まれる。生まれた直後に両親を失って商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期... |
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安部公房
日本の小説家、劇作家、演出家。東京府北豊島郡滝野川町(現:東京都北区滝野川)生まれ(本籍地は北海道旭川市)。少年期を満州で過ごす。高校時代からリル... |
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石川淳
名前 石川 淳 設計事務所 株式会社 石川淳建築設計事務所 住所 〒165-0023 東京都中野区江原町 2-31-13第一喜光マンション106 URL http://www.jun-ar.... |
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萩原朔太郎
大正・昭和期の詩人。近代詩の頂点に立つ詩人として「日本近代詩の父」と称される。 |
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シャルル・ボードレール
シャルル・ピエール・ボードレール(ボドレール)(CharlesPierreBaudelaire,1821年4月9日-1867年8月31日)はフランスの批評家、詩人。「フランス近代詩の父... |
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粟津則雄
日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、日本芸術院会員。「歴程」同人。愛知県西尾市出身。第三高等学校卒業、1948年、東京大学仏文科に入学... |
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永井荷風
日本の小説家。本名は壯吉。号『金阜山人』『断腸亭主人』ほか。 |
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モーリス・ラヴェル
ジョゼフ=モーリス(モリス)・ラヴェル(Joseph-MauriceRavel,1875年3月7日-1937年12月28日)はバレエ音楽『ボレロ』の作曲や、『展覧会の絵』のオーケスト... |
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清水徹
日本のフランス文学者。明治学院大学名誉教授。東京生まれ。1954年東京大学フランス文学科卒業、56年同大学院修士課程修了、東大助手、國學院大學助教授、196... |
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熊倉敬聡
慶應義塾大学理工学部教授。学術博士。慶應義塾大学経済学部卒業(1984)。パリ第7大学博士課程テクストと資料の科学研究科文学研究:テクストとイメージの歴... |
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竹内信夫
フランス文学者、空海研究家、東京大学名誉教授。。四国新聞客員論説委員。大阪に生まれるが、米軍空襲下だったため、本籍地の香川県で育つ。1970年東大仏文... |
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モーリス・ブランショ
モーリス・ブランショ(MauriceBlanchot,1907年9月22日-2003年2月20日)はフランスの作家・批評家。通称“顔の無い作家”。ストラスブール大学卒業。戦前のポー... |
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プロフィール
- ステファヌ・マラルメとは
- 生涯と詩作
- 詩と思索
- 交友関係
- 評価
- 日本語訳書籍
- 伝記・作品研究
ステファヌ・マラルメ(StéphaneMallarmé,1842年3月18日-1898年9月9日)は、19世紀フランスの象徴派の系譜に入る、 アルチュール・ランボーと並ぶ代表的詩人。代表作に『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)、評論集『ディヴァガシオン』など。
生涯と詩作
| 本名エティエンヌ・マラルメ(ÉtienneMallarmé、なおフランス語の男子名でStéphaneはÉtienneの異形である)。 |
| 若いうちにユーゴーらのロマン派の影響を受けて詩作を始め、ボードレールの作風やアメリカの詩人・作家のエドガー・アラン・ポーの『詩の原理』をもとに創った詩が文壇に知られるようになる。 |
| 第三共和政下パリで、コンドルセ中学の教師として英語を教える傍ら、生涯にわたって詩の可能性を探り、難解な詩や批評を書き綴った。 |
| 初期詩篇と呼ばれる1860年代前半までの詩はボードレールの問題系である「理想と現実の差異への葛藤と苦しみ」が、その後は「詩が書けないこと」そのものを主たるテーマにおいている。 |
| マラルメがある時期から生涯を通じて目指していたのは、詩を創作する上で生じる「偶然」を排した完全・完璧な美しい詩を書くことであった。 |
| その並外れた困難さゆえに、極度の詩作の不毛に悩まされた。 |
| それこそが後に着想される「作品」OEuvreである。 |
| 彼の詩集に収められた詩は、幾つかの例外を除いて、ほとんどがこの「作品」(更なる後に「書物」Livreに置き換わる)の制作過程の副産物であったとも考えられる。 |
| 1866年、その「作品」の重要な位置を担うはずの『エロディヤード』(古序曲)を書き進めていくうちに「形而上学的危機」(友人に宛てた手紙の中で「幸いにも私は完全に死んだ」との文言を書き記すが、これがモーリス・ブランショの思索に強く影響を与える)と呼ばれる精神状態をもたらす。 |
| この世の一切が虚無であることに遭遇し、キリスト教における神の死を悟り、ロゴスとコギトが解体され、存在の根拠を失う。 |
| しかし詩の根源的なあり方へとその思索と魂の探求を深めていくなかで、詩人は「美」Beauを発見し、それを詩と宇宙の中心原理とする。 |
| このころ執筆された『イジチュール』は、文法も意味も極限まで拡散された最たるものであるが、かなり判別できない文法を辛うじて読み進めると、書く行為(エクリチュール)が人間存在の根底に関わっている所作であることの物語として読める。 |
| この体験を契機とし、マラルメはフランス文学史上(あるいは世界文学史上)、初めて詩と人間の根源について問いを立て、それを体系的に提示し(あるいは提示しようとし)、今でも多くの示唆を我々に与えている。 |
| 1870年代に入ると、地方の中学を転々と赴任していたマラルメはパリへと赴き、英語教師の職を再び得て、積極的にジャーナリズム活動を始める。 |
| 1873年ごろ、画家のマネと知り合い、1874年にポーの『大鴉』の散文訳、1876年『半獣神の午後』の挿絵で豪華本のコラボレーションを行う。 |
| この作品にインスピレーションを受けてドビュッシーが『牧神の午後への前奏曲』を作曲した。 |
| 1880年代以降の後期詩篇は、主に詩にまつわるさまざまな精神的事象を、詩そのもので説明するメタポエムが多い。 |
| 最晩年、『コスモポリス』誌に『骰子一擲』を発表。 |
| これは「詩と偶然」について扱われたものだが、さまざまに異なる書体や文字の大きさを用い、それまでの西洋詩のもつ諸概念を根本的に覆した。 |
| 「賽(サイコロ)の一振りは決して偶然を排さないだろう」"UNCOUPDEDÉSJAMAISN'ABOLIRALEHASARD"という軸になる一文と、それにまつわる複数の挿入節の文章で構成されている。 |
| 詩の内容のみならず、その視覚的形態はいまなお革新的で斬新である。 |
| 次に『エロディヤードの婚礼』の執筆に着手したが、1898年、咽喉痙攣によって窒息し急逝、未完作となった。 |
詩と思索
| マラルメの詩と思索は難解さをもって世に知られる。 |
| 詩作初期からその傾向があったが、前述の危機以降、それはますます強くなる。 |
| 文法が一般的なフランス語法から乖離していることもその一因である。 |
| それは詩に留まらず、後期の散文にも当てはまる。 |
| マラルメが好んで難解さを求めたこと、物事を仄めかすことによって何かを伝えることを目的としたこと、文法よりも詩的リズムを重視したことなどが理由として挙げられる。 |
| 彼の思索は、その文学中心主義に特徴がある。 |
| 「世界は一冊の書物に至るために作られている」という彼自身の言葉がそれを表している。 |
| 後に『ディヴァガシオン』(1897年)に収められるさまざまな分野にまたがる評論・批評(バレエ、音楽、絵画、あるいは政治事件など)は、常に文学の問題へと収斂されていく。 |
| 例えばバレエを「身体で描くエクリチュール(文字、書く行為)」ととらえて表現した有名なことばなどは、20世紀の舞踊論に大きな影響を与えたが、芸術の表象が記号として機能していることを早くに喝破した。 |
| そしてそのように、文学にまつわるあらゆる事象を読解するその視線は、いまなお多くの可能性を含んでいる。 |
交友関係
| マラルメはマネをはじめ、諸芸術家とたいへん親交が深かったことでも有名である。 |
| ローマ街にある自宅で開かれた「火曜会」と呼ばれる会合には、数えればキリがないものの、画家のモネ、ルノワール、そしてドガなどの印象派をはじめゴーギャンやドニ、ホイッスラー、詩人のヴェルレーヌ、ヴァレリー、作家のオスカー・ワイルド、アンドレ・ジッド、作曲家のドビュッシーなど、錚々たる芸術家が集まった。 |
評価
| マラルメの、高度に難解な思想の可能性は現代に入ってようやく理解され始めてきた。 |
| サルトル、ブランショらはマラルメの文学に関する思索と営為の可能性を示し、特に「書くとは何か」という点でテル・ケル派や現代思想家、とりわけロラン・バルト、ミシェル・フーコー、デリダらにも影響を与えている。 |
| 文学者クリステヴァらはマラルメを現代詩人のさきがけととらえ、詩人のイヴ・ボヌフォワは幾分かの留保をしつつも、積極的にマラルメの詩学について多くの思索を行っている。 |
| ※以上の記事は、(『集英社世界文学大事典 4巻』、1997年)にある「マラルメ」の項目を参照。 |
日本語訳書籍
| 『マラルメ全集』(全5巻、筑摩書房、1989年-2010年5月)。 |
| 渡邊守章、清水徹、阿部良雄、菅野昭正、松室三郎編・解説 。 |
| 第1巻「詩・イジチュール」、最終回刊行。 |
| 第2巻「ディヴァガシオンほか散文作品」別冊解題・註解、1989年。 |
| 第3巻「言語・書物・最新流行」別冊解題・註解、1998年。 |
| 第4巻「書簡I」1991年。 |
| 第5巻「書簡II」2001年 。 |
| 鈴木信太郎訳 『マラルメ詩集』岩波文庫、1963年、上記の全集訳者たちは弟子である。 |
| 『ステファヌ・マラルメ賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう』 。 |
| 原稿と校正刷フランソワーズ・モレルによる出版と考察。 |
| モレル編著、柏倉康夫訳2009年行路社、大著「骰子一擲」の新訳。 |
伝記・作品研究
| ポール・ヴァレリー 『マラルメ論叢 ヴァレリー全集7巻』 佐藤正彰ほか訳、筑摩書房、増補版1978年。 |
| アルベール・ティボーデ 『マラルメ論』 田中淳一・立仙順朗訳、沖積舎、1991年。 |
| ギィ・ミショー 『ステファヌ・マラルメ』 田中成和訳、水声社、1993年。 |
| ジャン=ピエール・リシャール 『マラルメの想像的宇宙』 田中成和訳、水声社、2004年。 |
| ジャン=リュック・ステンメッツ 『マラルメ伝 絶対と日々』 柏倉康夫・永倉千夏子・宮嵜克裕訳、筑摩書房、2004年。 |
| イヴ・ボヌフォワ 『マラルメの詩学』 阿部良雄・菅野昭正訳、筑摩書房、2003年。 |
| 柏倉康夫 『生成するマラルメ』 青土社、2005年。 |
| ―『マラルメ探し』 青土社、1992年。 |
| ―『マラルメの火曜会 世紀末パリの芸術家たち』 丸善ブックス、1994年。 |
| 『臨時増刊ユリイカ 総特集ステファヌ・マラルメ』、1986年9月号増刊、青土社。 |
| be-x-old:СтэфанМалярмэ。 |
| mrj:Малларме,Стефан。 |
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1866年
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その「作品」の重要な位置を担うはずの『エロ... |
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1874年
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ポーの『大鴉』の散文訳、1876年『半獣神の午... |
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