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プロフィール
- ステファン・ランビエールとは
- 人物
- トリノ五輪シーズンまで
- バンクーバー五輪シーズンまで
- 技術・演技
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ステファン・ランビエール(StéphaneLambiel、1985年4月2日-)は、スイスのフィギュアスケート選手(男子シングル)。2006年トリノオリンピック銀メダリスト。2005年、2006年世界選手権優勝。
人物
| スイスのマルティニに生まれ、サクソンで幼少期を過ごす。 |
| みんなが顔見知りの小さな村から、いつも50人ほどのカウベルを持った応援団がランビエールの試合に駆けつけていたという『COLORS』p.43小坂有紀編『COLORS2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、pp.20-21。 |
| 家族はアルプス生まれの父、ポルトガル出身の母『COLORS』p.45、3歳上の姉、4歳下の弟。 |
| フランス語、ドイツ語(スイスドイツ語ではない)、英語、ポルトガル語を流暢に話し、さらに現在はイタリア語と日本語を学んでいる。 |
| 2004年に聖モーリスカレッジで生物学と化学のマチュリテ(大学入学資格-高等教育修了証)を得ているが、フィギュアスケートに専念するため大学進学は見送っている。 |
| ジュネーヴとローザンヌを練習拠点とし、夏にスイスのリンクが閉まっている間はドイツで練習していた。 |
トリノ五輪シーズンまで
| 7歳の時、先にスケートをしていた3歳年上の姉と一緒にリンクへ連れて行かれ、芸術性に魅せられてスケートを始める。 |
| その数年後、コーチのピーター・グルッターと振付師のサロメ・ブルナーに出会う。 |
| 11歳でスイスノービスチャンピオンとなり、ローザンヌで開催された1997年世界選手権のエキシビションに出演した。 |
| 1997-1998シーズンからジュニアクラスに上がり、スイス選手権ジュニアクラスを2連覇。 |
| 2種類の3回転-3回転コンビネーションジャンプとスピンに力をいれ、2001年世界ジュニア選手権では5位に入賞した。 |
| 2000-2001シーズンからはシニアクラスに参戦し、スイス選手権初優勝(以降、2008年大会まで8連覇)。 |
| 翌2001-2002シーズン、欧州選手権での4位入賞を評価され、ソルトレイクシティオリンピックと世界選手権への出場権を獲得する。 |
| 2002-2003シーズンからプログラムに4回転ジャンプと3回転アクセルを積極的に取り入れるようになる。 |
| 2003-2004シーズンには膝の手術のため2ヶ月の休養に入るが、復帰後に方向性を見失ってスランプに陥る。 |
| この時にコーチをセドリック・モノドに変えたがうまくいかず、グルッターとブルナーのもとに戻った。 |
| 世界選手権ではフリースケーティングに2度の4回転を取り入れて4位入賞を果たす。 |
| 翌世界選手権では、予選からフリーまで大会を通じて5度の4回転ジャンプを成功させ、スイスの男子シングル選手として58年ぶりの世界チャンピオンになった。 |
| 2005-2006シーズン、オリンピック直前に膝を怪我していた。 |
| しかし、グランプリファイナル初優勝、欧州選手権2位と活躍を見せた。 |
| トリノオリンピックではフリースケーティングで4回転トウループ-3回転トウループ-2回転ループのジャンプを成功させて銀メダルを獲得した。 |
| 続く世界選手権ではスイス選手では初めてとなる2連覇を達成した。 |
バンクーバー五輪シーズンまで
| 2006-2007シーズンは、オリンピックでの銀メダル獲得や世界選手権を2連覇したことから競技に対する情熱を失ってしまい |
| グランプリシリーズスケートカナダではSP7位から逆転優勝したが、NHK杯はウイルス性の風邪で棄権。 |
| スイス選手権7連覇を果たしたが、1月に入ってから「内なる炎がなくなった」として欧州選手権を棄権した斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.43。 |
| その後、ショーで観客の声援を受けたことで世界選手権を決意し、銅メダルを獲得。 |
| 2007年以降も競技会続行する意志を表明した。 |
| 2007-2008シーズン、グランプリシリーズ中国杯、ロシア杯では、技術的にはやや精彩を欠きながらも演技構成点では高評価を得て表彰台には上がり続け、グランプリファイナルではショートプログラム2位から逆転優勝を果たした。 |
| 続く欧州選手権は2位、フリースケーティングの演技構成点では80点をマークした。 |
| 世界選手権では精彩を欠き5位に終わる。 |
| 2008-2009シーズン、練習環境の改善を求めて、長年師事してきたピーター・グルッターを離れ、アメリカニュージャージー州ウェインでヴィクトール・ペトレンコの指導を受け始める。 |
| しかし、2008年世界選手権中に痛めた左足内転筋『男子シングル読本』p.61『ワールド・フィギュアスケート35』新書館、2008年12月、p.64の回復が思わしくなく、満足に練習できないとして10月に引退を表明『ワールド・フィギュアスケート35』新書館、2008年12月、p.82。 |
| プロスケーターとして活躍する傍ら、コロンビアの貧しい子供達のために家と学校を建てようというNGO「MoipourToit」の活動にも尽力している。 |
| 2009年7月25日に公式HPにおいて引退の原因となっていた左足内転筋の痛みが治療によって緩和されたため、バンクーバーオリンピックの出場を目指して競技会に復帰することを表明http://www.stephanelambiel.ch/upload/media/lambiel_pr_090725_en.pdf、コーチもグルッターに戻した。 |
| オリンピックの出場権獲得のためにネーベルホルン杯に出場、総合232.36点で優勝したhttp://www.isuresults.com/events/cat00006778.htm。 |
| スイス選手権も制し、欧州選手権では2位となった。 |
| バンクーバーオリンピック開会式ではスイス選手団の旗手を務めた。 |
| バンクーバーオリンピックではSP・FSともにパーソナルベストを更新し総合4位、3位の高橋とは0.51点の僅差だった。 |
| 2010年3月、再び引退を表明 |
| 再引退後すぐに米ABCで放映されたスペシャル番組『ThinIce』(有名スケーターが男女でペアを組み、対戦するという内容 |
| 2010/2011シーズンの高橋大輔のエキシビション「アメリ」の振り付けを担当。 |
技術・演技
| 4回転トウループジャンプを得意とした。 |
| 演技後半にも4回転を跳び、また、4回転からの3連続コンビネーションにも幾度か成功している。 |
| 一方、3回転アクセルは苦手で、試合では2回転アクセルに変更することが多かった。 |
| 3回転サルコウは逆回転でも跳ぶことができる『COLORS2007』p.21。 |
| スピンの安定感、早さ、ポジションの美しさにはジュニア時代から定評がある。 |
| 観客を楽しませることを第一に考えるスケーターで、2006-2007、2007-2008シーズンのフリープログラム「ポエタ」はその芸術性が高く評価された |
| 2005-2006シーズンの『四季』には「冬山に迷い込んだシマウマ」というインスピレーションがあり、衣装もそれに合わせてシマウマ柄であった『COLORS2007』。 |
| 自ら「芸術面では僕に勝る選手はいないと思う」と自負しており |
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1985年
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ステファン・ランビエール(Stéphane Lambiel... |
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2004年
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聖モーリスカレッジで生物学と化学のマチュリ... |
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