| 1950年、マイルス・デイヴィスと出会う。 |
| マイルスは当時のロリンズに関して、「既に伝説的で、多くの若いミュージシャンにとっては神様みたいな存在だった。 |
| バード(チャーリー・パーカー)と同じようなレベルでサックスを吹いていると言う連中もいた」と証言している。 |
| 1951年1月17日、マイルス・デイヴィスのリーダー・セッションの傍ら、初めてバンド・リーダーとしてのレコーディングを行う。 |
| この時、ピアニストのジョン・ルイスが所用で帰ったため、マイルスが代わりにピアノを担当。 |
| それを機に、ロリンズはプレスティッジ・レコードとの契約を得た。 |
| なお、ロリンズが初めて自己名義で録音した「アイ・ノウ」は、後年になってアルバム『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・クァルテット』に追加収録される。 |
| その後も度々、バンド・リーダーとしての活動と並行して、マイルスのレコーディングに参加。 |
| 1953年3月にマイルスのセッションに参加した時は、ロリンズが憧れていたチャーリー・パーカーとも共演し、その模様はマイルスの『コレクターズ・アイテムズ』で聴ける。 |
| 1953年10月に行われたロリンズのリーダー・セッションでは、モダン・ジャズ・クァルテットがバックを務めた。 |
| 1954年、音楽活動を停止してシカゴに引っ込むが、1955年11月、クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットの一員として活動再開。 |
| 更に、ローチのサポートを得てバンド・リーダーとしても再起する。 |
| そして、1956年のリーダー・アルバム『サキソフォン・コロッサス』が高く評価され、一躍知名度が上がった。 |
| 本作の収録曲「セント・トーマス」は、21世紀に至るまで、ロリンズのコンサートで重要なレパートリーとなった。 |
| 同年、アルバム『テナー・マッドネス』でジョン・コルトレーンと共演。 |
| その後はブルーノート、コンテンポラリー・レコード、リバーサイド・レコードなど様々なレコード会社に多くの録音を残した。 |
| この時期の代表作としては『ウェイ・アウト・ウエスト』『ニュークス・タイム』『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』『フリーダム・スイート』などがある。 |
| また、1957年11月29日、殿堂カーネギー・ホールでコンサートを行った。 |
| 1950年代末には人気の絶頂にあったが、ロリンズは自分の演奏を見つめ直すため、突如引退。 |
| 最初は近所の公園で練習に励んだが、苦情が来たため、練習場所をウィリアムズバーグ橋に移した。 |
| SonnyRollinsQuartet(1951年、プレスティッジ)。 |
| SonnyandtheStars(1951年、プレスティッジ)。 |
| MamboJazz(1951年、プレスティッジ)。 |
| SonnyRollinsWiththeModernJazzQuartet-ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・クァルテット(1953年、プレスティッジ)。 |
| MovingOut-ムーヴィング・アウト(1954年、プレスティッジ)。 |
| SaxophoneColossus-サキソフォン・コロッサス(1956年、プレスティッジ)。 |
| TenorMadness-テナー・マッドネス(1956年、プレスティッジ)。 |
| SonnyRollinsVolI-ソニー・ロリンズVol.1(1956年、ブルーノート)。 |
| WayOutWest-ウェイ・アウト・ウエスト(1957年、コンテンポラリー)。 |
| TheSoundofSonny-ザ・サウンド・オブ・ソニー(1957年、リバーサイド)。 |
| NewksTime-ニュークス・タイム(1957年、ブルーノート)。 |
| NightattheVillageVanguard-ヴィレッジ・ヴァンガードの夜(1957年、ブルーノート)。 |
| SonnyRollinsandtheBigBrass-アンド・ザ・ビッグ・ブラス(1958年、ヴァーヴ)。 |