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プロフィール
- ダグラス・エンゲルバートとは
- 学生時代
- 経歴と業績
- ARPANET
- 企業人としての経歴の終わりとその後
- 2008年現在の動向
- 主な受賞歴
- その他の栄誉
- 参考文献
- 関連サイト
ダグラス・エンゲルバート(DouglasCarlEngelbart, 1925年1月30日-)は、アメリカ合衆国の発明家。マウス、ハイパーテキスト、ワードプロセッサ、マルチウィンドウ・システムなどの発明者。
学生時代
| エンゲルバートはアメリカ合衆国オレゴン州ポートランドに生まれ、1948年オレゴン州立大学で電気工学の学士号を取得、1952年カリフォルニア大学バークレー校で工学修士号を取得 |
| 第二次世界大戦の際、エンゲルバートはフィリピンで無線技術者として働いていた。 |
| そこでヴァネヴァー・ブッシュの論文"AsWeMayThink"に触れ、着想を得た。 |
| 戦後、エンゲルバートはバークレーで学び1955年に博士号を取得。 |
| そのころバークレーで行われていたCALDICというコンピュータの開発に学生として関わった。 |
| 彼は学位論文のテーマだった記憶装置を商業化するための努力を1年ほど行ったが実らず、スタンフォード大学と当時関わりが深かったSRI(StanfordResearchInstitute)に雇われ、 |
経歴と業績
| 科学史の専門家ThierryBardiniがいみじくも指摘したとおり、エンゲルバートを様々な研究開発に向かわせた彼の複雑な個人的哲学は、今日の哲学と科学技術の共進化を先取りしていた。 |
| Bardiniは、エンゲルバートがベンジャミン・ウォーフの言語的相対論に強く影響されていたと指摘する。 |
| ThierryBardini&MichaelFriedewald,'' |
| ウォーフは言語の洗練度が思考の洗練度を左右するとしたが、エンゲルバートは技術のレベルが情報操作能力を左右するとし、技術開発によって我々の能力が向上すると考えた。 |
| そこで彼は情報を直接的に操作するコンピュータを使った技術の開発に向かい、同時に個人やグループの知的作業過程を洗練させる技術にも関心を寄せることとなった。 |
| エンゲルバートの哲学と研究の方向性は(自身がバイブルと呼んでいる)1962年の研究レポート |
| ネットワーク指向の知性という概念に基づいてエンゲルバートは先駆的な業績を残すこととなった。 |
| SRIインターナショナルでは、エンゲルバートはNLS(oN-LineSystem)の設計開発を主導した。 |
| エンゲルバートはAugmentationResearchCenter(ARC)を設立し、そこのチームでビットマップ・スクリーン、グループウェア、ハイパーテキスト、先駆的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)などを開発していった。 |
| 彼は1960年代中ごろにユーザインタフェース(UI)のアイデアの多くを考案し開発した。 |
| そのころパーソナルコンピュータはもちろんないし、コンピュータは一般の人々には遠い存在で直接使用するなどほとんどあり得なかったし、ソフトウェアも個々のシステム向けの専用アプリケーションとして書かれることが多かった。 |
| 1967年、エンゲルバートはマウスの特許を申請し、1970年に取得した(米国特許番号3,541,541)。 |
| その特許では''"X-Ypositionindicatorforadisplaysystem"''(表示システムのためのX-Y位置指示器)とされており、金属ホイールを2つ持つ木製のマウスであった。 |
| エンゲルバートによれば、「マウス」と名づけられたのはしっぽに相当するコードが後ろにあったためだという。 |
| また、スクリーン上のカーソルは「バグ」と呼んでいたが、この用語は定着しなかった。 |
| エンゲルバートはマウスの発明に関してロイヤルティーを受け取ったことはない。 |
| その第一の理由は、特許が1987年に失効したため、パーソナルコンピュータでマウスが必須のデバイスとなる前だった点が挙げられる。 |
| 第二に実際に製品化されたマウスは彼の特許に記載されていたのとは異なる(改良された)機構を使用していた。 |
| インタビューで彼は「SRIはマウスの特許を取らせたが、その価値を理解していなかった。 |
| 後で知ったことだが、SRIはアップルに4万ドルかそこらでライセンス提供したんだ」と証言している。 |
| エンゲルバートは数々の発明品を統合して、1968年12月9日のコンピュータ会議(FallJointComputerConference)でデモンストレーションを行った。 |
| これはアメリカなどではMotherofalldemos(全てのデモの母)と呼ばれている。 |
ARPANET
| エンゲルバートの研究開発にはARPAから資金の一部が出ていたため、ARCはインターネットの前身であるアーパネットにも関与した。 |
| 1969年10月29日、世界初のコンピュータネットワークのARPANETによりUCLAのLeonardKleinrockの研究室とSRIのエンゲルバートの研究室が接続された。 |
| InterfaceMessageProcessorが両方のサイトに置かれ、最初のインターネットバックボーンを形成した |
| それ以外に、UCSBとユタ大学が最初の4ノードを構成した。 |
| 1969年12月5日、4ノード全部が接続された。 |
| ARCは世界初のネットワークインフォメーションセンターとなり、全ARPANETノードの接続を管理することとなった。 |
| またARCは初期のRFCのかなりの部分を担っていた。 |
企業人としての経歴の終わりとその後
| エンゲルバートは様々な災難と誤解のため、1976年ごろから全く誰からも見向きもされない状態となった。 |
| 彼の下にいた研究者の一部はパロアルト研究所へと移っていった。 |
| これはエンゲルバートへの不満やコンピュータの未来についての見解の相違などが原因である。 |
| エンゲルバートはタイムシェアリングシステムが有望だと考えたが、若い研究者たちはパーソナルコンピュータの可能性を追求したがっていた。 |
| この衝突は技術的なものであると同時にそれぞれの時代背景にも原因がある。 |
| エンゲルバートはタイムシェアリングしかなかった時代の人であり、若い研究者は能力や権力の集中が疑問視されていた時代の人間である。 |
| そしてパーソナルコンピュータの時代はすぐそこまで迫っていた。 |
| Bardiniはエンゲルバートに関する著書の中で、1970年代前半にARCの主要研究者らがいわゆる自己啓発セミナー(est)を受けた点を指摘した。 |
| estは当初はよいものと思われたが、ARCでは士気の低下と結束力の低下を招いた。 |
| マイケル・マンスフィールドによる研究開発全体への支出制限法案、ベトナム戦争終結、アポロ計画終結といった要因により、ARCへのARPAやNASAからの資金は減らされた。 |
| SRIの経営陣はエンゲルバートのやり方に失望し、ARCの残存部分をBartramRaphaelの人工知能研究部門の配下とした。 |
| RaphaelはARCをTymshare社に渡す交渉を行った。 |
| エンゲルバートはこの時期に自宅の焼失という災難にも遭っている。 |
| Tymeshare社はNLSとエンゲルバートの研究室を買い取り、エンゲルバートを含む研究員の大部分を雇い入れた。 |
| Tymeshare社はNLSの商用化を考えていた。 |
| Tymeshare社は以前からARCと共同研究を行っていて、ミニコンピュータ上へのNLSの移植などをした経験があった。 |
| エンゲルバートはTymeshare社で自分が除け者にされていることに気づいた。 |
| Tymeshare社はエンゲルバートのさらなる研究をしたいという要望を無視した。 |
| Tymshare社やマクドネル・ダグラス社(1982年にTymshareを買収)の経営陣には彼のアイデアに興味を示すものもいたが、開発のための資金は提供されることはなかった。 |
| エンゲルバートは1986年にマクドネル・ダグラス社を退社し、企業人としての経歴に終止符を打った。 |
| 1980年代終盤になると、エンゲルバートの業績の独創性と重要性が徐々に理解されるようになってきた。 |
2008年現在の動向
| エンゲルバートは自身の会社BootstrapInstituteの取締役である。 |
| この会社は1988年、彼の娘クリスティーナ・エンゲルバートが設立した。 |
| カリフォルニア州メンロパークにあり、彼の最近の哲学とも言うべき集団的知性の概念を洗練させることを目的とし、 |
| 2005年、エンゲルバートは米国科学財団からオープンソースプロジェクト |
| HyperScopeプロジェクトでは、AjaxとDHTMLを使用したブラウザ部品を開発し、Augmentシステムの機能を再現しようとしている。 |
| HyperScopeはエンゲルバートの目標と研究に基づき、グループウェアとグループサービスの開発により広いコミュニティが参加するよう計画された過程の最初の段階である。 |
主な受賞歴
| 1995年:チューリング賞。 |
| 1999年:フォン・ノイマンメダル(IEEE)。 |
| 2000年:アメリカ国家技術賞。 |
| 2005年:ノーバート・ウィナー賞(社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会)。 |
その他の栄誉
| 1995年12月、ボストンでの第4回WWW会議でエンゲルバートは表彰された(後にYuriRubinskyMemorialAwardと呼ばれるもの)。 |
| 1997年、エンゲルバートは発明に関する世界最高の賞Lemelson-MIT賞を受賞し50万ドルを受け取った。 |
| 1998年、 |
| 2000年、ボランティアと資金提供者の協力を得てエンゲルバートは |
| これはEngelbartColloquiumとも呼ばれ、エンゲルバートの業績とアイデアを多くの人に知らしめるべく文書化することを意味している。 |
| そのアーカイブ |
| 2001年、英国コンピュータ学会(BritishComputerSociety)はLovelaceMedalをエンゲルバートに授与した。 |
| 2005年、エンゲルバートはコンピュータ歴史博物館(ComputerHistoryMuseum)のフェローに選ばれた。 |
参考文献
| インターネットマガジン2005年3月号―INTERNETmagazineNo.122(インプレスR&D社)。 |
| 森正弥著『ウェブ大変化パワーシフトの始まり』(近代セールス社、2010年)ISBN978-4-7650-1058-0。 |
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1925年
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ダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Eng... |
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1955年
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博士号を取得 |
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