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| 前年12月の自主トレ中に痛めた右ひざの関節炎の影響で、1月の新人合同自主トレでドクターストップがかかり、春季キャンプは二軍スタートとなった。 |
| 写真週刊誌で未成年者にもかかわらず喫煙していたことが報道された。 |
| それに対し球団は、2月21日に鎌ケ谷市の球団寮へ送還・無期限謹慎と謹慎中の社会貢献活動を命じる処分を言い渡した(2月28日の12チーム合同新人研修会は出席)、これを受けて東北高校は2月22日に本人を停学処分とした(3月1日の卒業式は停学処分期間中でまだ十分でないとして参加させず。 |
| 3月8日、停学解除を以って他の生徒より1週間遅れで卒業。 |
| その後二軍でリハビリを続け、5月5日にイースタンで初登板しその後完封勝利も記録。 |
| 6月に一軍昇格し一軍初登板初先発の対広島戦で8回2失点で勝利を挙げると、それ以降先発ローテーションに定着。 |
| 14試合に登板し完封勝利を含む5勝(5敗)を挙げた。 |
| 契約更改では年俸倍増の3000万円で一発サインした |
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| 2月に右肩を痛めた出遅れもあり4月までは防御率5.16、WHIP1.45と不振であったが、5月30日以降は自身公式戦10連勝を記録。 |
| そのままシーズン終了まで1度も敗戦投手になることは無く、最終的に規定投球回に到達し防御率2.89、12勝5敗の成績を記録した。 |
| 7月7日の対西武戦(インボイスSEIBUドーム)では先発を任されたが、ビジター用のユニフォームを札幌ドームのロッカーに置き忘れ、八木智哉のユニフォームを借りて登板し、7回1失点の好投でチームを勝利に導いた。 |
| この日の日本ハムは前身の東映フライヤーズが1961年9月に達成して以来のチーム11連勝(球団タイ記録、当時)がかかった試合だった。 |
| ちなみにその時本人は「これで負けたら最悪です」とコメントしている |
| この年の終盤あたりから、相性の良さから鶴岡慎也とバッテリーを組む事が多くなり、2007年も中盤以降からはダルビッシュ登板時の捕手はほぼ鶴岡で固定されていた。 |
| プレーオフでは2ndステージ(対ソフトバンク戦)第1戦に先発し、11奪三振1失点完投で勝利。 |
| 中日ドラゴンズとの日本シリーズでは初戦を任されるも6回3失点で敗戦投手となる。 |
| 3勝1敗で迎えた第5戦に中4日で再び先発し、7回1/3を1失点で勝ち投手となり、チームは44年ぶり2度目の優勝を果たした。 |
| この活躍により日本シリーズ優秀選手賞を受賞した。 |
| アジアシリーズでは台湾代表のLaNewベアーズとの決勝戦に先発。 |
| 7回10奪三振無失点の好投で勝ち投手となり、シリーズMVPを受賞。 |
| 44年ぶり2度目の日本一、アジアシリーズ制覇に貢献した。 |
| 契約更改では3000万円から4200万円アップの7200万円プラス出来高払いでサインした |
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| 初の開幕投手を務めた。 |
| 8月9日、札幌ドームで行われた対楽天戦に先発して、4-2で勝ち投手となったダルビッシュは「狙っていた」という試合後のヒーローインタビューで、女優・サエコとの結婚を報告した |
| シーズン成績は15勝5敗、防御率1.82、WHIP0.83、被打率.174、完投数は12球団トップの12であった。 |
| シーズン終盤には成瀬善久(ロッテ)と防御率争いを繰り広げ、0.003点差で最優秀防御率は逃したが、今中慎二以来14年振りに全7項目の選考基準を満たして沢村賞に選出されたほか、最多奪三振、ゴールデングラブ賞・ベストナインのタイトルを獲得。 |
| チームのリーグ連覇に大きく貢献し、パ・リーグシーズンMVPに選出。 |
| 21歳でのMVPは沢村栄治、稲尾和久の20歳に次ぐ年少記録となった |
| 北京オリンピック野球日本代表監督の星野仙一からは、代表のエースにも指名された。 |
| クライマックスシリーズ2ndステージでは第1戦に先発登板し、9回2失点で勝ち投手となる。 |
| 2勝2敗で迎えた第5戦クライマックシリーズ最終戦でも成瀬相手に勝利し、日本シリーズ進出を果たした。 |
| 2勝を挙げて日本シリーズ進出の原動力となったダルビッシュはクライマックスシリーズ第2ステージMVP賞を受賞した。 |
| 2年連続で中日と対決した日本シリーズでは、第1戦で先発し1失点13奪三振で完投、川上憲伸との投げ合いを制し勝利投手となった。 |
| 1勝3敗で迎えた第5戦で再び先発し7回を1失点11奪三振で抑えるものの、味方打線が山井大介、岩瀬仁紀のリレーの前に1人の走者も出すことができず(完全試合=継投による達成のため参考記録)敗戦投手となり、中日の日本一を許したが、この好投が評価されシリーズ敢闘選手賞を受賞した。 |
| 契約更改では7200万円から178%アップ、1億2800万円の大幅増の2億円(推定)プラス出来高で一発サインした。 |
| プロ4年目の2億円到達は、5年目で到達の和田毅らを抜いて最速であり、史上最年少の2億円プレーヤーとなった |
| 3月20日、2年連続2度目の開幕投手を務め、ロッテを相手に1-0での完封勝利を挙げる。 |
| 10奪三振を奪い、開幕戦を1-0で完封した上に、2桁奪三振を奪ったのは史上初の快挙となった |
| 前年以上のペースで白星を積み重ね、シーズン前半から勝利数、防御率で楽天の岩隈久志とタイトル争いを繰り広げた。 |
| シーズン唯一の直接の投げ合いとなった4月10日には、両者ともに5回までノーヒットピッチングで、岩隈が100球で被安打3の1失点完投、ダルビッシュが95球で被安打3の完封という投手戦の末に勝利を収めている。 |
| 7月17日、東京ドームで行われた対楽天戦では89球10奪三振無四球完投で11勝目を挙げた |
| しかし、前半戦最後の登板となった7月24日の対ロッテ戦では、165球の完投も、満塁ホームランを浴びる等、5失点を喫して負け投手となった。 |
| 北京オリンピック予選リーグでは初戦となる対キューバ戦のマウンドを託されたが、日本のメディアによるインタビューに答えたユリエスキ・グリエルからは「簡単に打てる」と言われ |
| 試合後は長髪をバッサリと切って、丸刈りにして球場に現れた |
| 「おれもやるからお前もやれ」と半ば強要されて田中将大も丸刈りにし、田中は「僕は道連れにされました」とコメントした。 |
| ちなみにダルビッシュの頭をバリカンで刈ったのは川崎宗則であり、この翌日、二人に続いて川崎宗則、阿部慎之助も丸刈りとなって球場に現れた |
| 結局その後の登板は消化試合だった予選リーグ最終戦の対アメリカ戦の先発や、3位決定戦の対アメリカ戦での敗戦処理で登板した。 |
| チームに復帰後は5試合に先発して2完投を含む5勝0敗、防御率1.29、WHIP0.66という投球を見せ、ロッテとの激しい3位争いを制する原動力になった。 |
| クライマックスシリーズでは2試合に登板し、1失点14奪三振完投と3安打完封で2勝、防御率0.50を記録した。 |
| この年は主要タイトルこそ獲得できなかったものの、防御率・勝利数・奪三振の全てでリーグ2位、五輪での離脱期間があったにもかかわらず投球回と奪三振は2年連続で200を超え、防御率は2年連続の1点台、WHIPも同じく1.00以下を記録した。 |
| 基準を全項目達成して沢村賞を獲得できなかったのは基準ができた1982年の江川卓以来2人目となった(ただし、1982年は沢村賞を受賞した北別府学も基準を全項目達成しているのに対し、岩隈は完投数が選考基準に達していなかった)。 |
| クライマックスシリーズでは1stステージ(対オリックス戦)第1戦に先発し、9回14奪三振1失点で完投勝ちした |
| 右打者が多い西武打線の内角をえぐるツーシームを多投し、この年打撃が強力だったライオンズ打線を3安打完封した |
| 19日(日本時間20日)にはサエコとハワイ・ホノルル市内の教会で挙式を行った。 |
| 挙式には、父・ファルサ、同年3月に誕生した長男ら家族のほか、藤井秀悟、川崎宗則、西岡剛、青木宣親にV旅行中の西武・涌井秀章、中島裕之らが参列して祝福した。 |
| 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表として出場し、松坂大輔、岩隈とともに先発3本柱として監督の原辰徳から指名される。 |
| 3月5日、日本代表の初戦である対中国戦に先発投手として出場し、4回を無安打無失点に抑え勝利投手となる。 |
| また、3月18日の対韓国戦でも先発投手として出場するも、この試合では初回に失策も絡み3失点を喫し、5回7奪三振3失点(自責点2)で敗戦投手となる。 |
| 3月23日の準決勝、3月24日の決勝では先発を松坂、岩隈に譲りいずれの試合も抑え投手として出場し、決勝では勝利投手となった。 |
| 大会通算で13回を投げ、2勝1敗、防御率2.08、大会最多の20奪三振、WHIP1.00の記録を残し、マニー・ラミレスやケン・グリフィー・ジュニアらといったメジャーの強打者からの賞賛も浴びた |
| シーズンでは3年連続開幕投手として岩隈との投げ合ったが、初回にいきなり3点を献上し、9回3失点で自身初の開幕敗戦投手となるとともに、岩隈との対戦で初の黒星を喫した |
| その後の試合でも安定したピッチングを続け、5月は4勝0敗、防御率0.90、WHIP0.90の活躍でパリーグ投手部門月間MVPを獲得した。 |
| 7月15日、対ソフトバンク戦(福岡ヤフードーム)の完投勝利後ヒーローインタビューでは第二子を授かった事を公表した |
| シーズン前半戦を12勝3敗、防御率1.31、WHIP0.83、122奪三振の好成績で折り返し、この年のオールスターゲームでもファン投票・選手間投票ともに1位選出となる。 |
| 7月24日のオールスター第1戦に中1日で先発登板したが、アレックス・ラミレスの投手強襲打が右肩を直撃してしまい、1回を投げ終えて緊急降板した |
| 以降は防御率2.80、WHIP1.09と調子を崩し、8月21日の対ソフトバンク戦では自己ワーストの6失点(8回)で黒星を喫した |
| 9月13日に一時復帰し、対ロッテ戦に先発して8回1失点で15勝目を挙げるも、本来の球速は影をひそめ、その次の9月20日の対オリックス戦では7四球の乱調で5回2失点で降板となり、その後右肩と腰の違和感により再び登録を抹消され |
| しかし、日本シリーズでは依然不調ながらも、11月1日、第2戦に先発し、巨人を相手に普段は多投しない100km/h台前半のスローカーブを有効に使い、6回を7奪三振2失点で切り抜け、4-2で勝利を挙げた |
| 痛みは登板した11月1日以前の10月28日からあったが、誰にも告げずマウンドに上がり、右手人さし指の疲労骨折と左腰、左臀部痛の中で巨人打線を抑えて勝利投手となった。 |
| 同年7月15日には自ら培ってきた技術を日本球界に還元したいとの思いから、ベースボールマガジン社から10種類の球種の握り方と投げ方を写真付きで自ら解説した「ダルビッシュ有の変化球バイブル」を出版した |
| 3戦目にしてようやく初勝利を挙げると、4月17日の対西武戦まで5試合連続で二桁奪三振という日本プロ野球新記録を樹立した(13K→11K→11K→12K→10K) |
| 4月24日の対楽天戦から5月21日の対横浜戦まで31イニング連続無失点を記録し、これまでの自己最長の25イニング連続無失点記録を更新 |
| オフにはアリゾナ・ダイヤモンドバックスが獲得資金として8000万ドル(約65億6000万円)を用意する等 |
| 24歳での5億円到達は、98年オフに当時オリックスに在籍したイチローの25歳を抜いて史上最速&最年少での到達となり、先発投手で5億円を突破したのも史上初となった |
| 6月15日の対阪神戦で3回裏2死3塁の場面で、打者の新井貴浩に投じた3球目が高く浮いて暴投となり、この間に3塁走者のマット・マートンが本塁に生還し、この失点で5月10日楽天戦から続く連続無失点記録がプロ野球歴代11位(現役選手では藤川球児に次いで2位)の46回2/3で止まり、パリーグ新記録の4試合連続完封も逃した |