| 『新橋ミュージックホール』1998年10月10日放送分のマイナーなタレント・芸人を紹介する企画に出演し、ビートたけしと共演した。 |
| 当時はまだブレイク前だったが、この頃から「ゲッツ!」などのギャグや芸風は確立されていた。 |
| 2003年5月28日発売のシングルCD「OH!NICEGET's!!」は、オリコン・インディーズチャート1位を獲得した。 |
| 2003年9月に、ウルフルズの曲「ガッツだぜ!!」をパロディ化した「ゲッツだぜ!!」をリリースしたが、ウルフルズのファンなどからの抗議もあり、その年にブレイクしたはなわやテツandトモと揃っての『紅白歌合戦』への出場はならなかった。 |
| しかし、綾小路きみまろとともに「応援」としての出場を果たした。 |
| ブレイク時は10か月間休み無しで、早朝から深夜まで仕事をこなしていた。 |
| そのため、2003年下半期にはプチ鬱になり、身体が追いつかなくなっていったとのことである。 |
| ただし、仕事が激減した今でもまた若干憂鬱だそうである(『たかじん胸いっぱい』より)。 |
| ブレイクするまで年齢を4歳若く発表していた。 |
| このことはテツandトモにネタにされたことがある。 |
| 年下の若手芸人と共演する時に気を遣わせないためだったと理由をつけているが、某芸能事務所のタレント養成コースに数十万の授業料を支払った挙句にカリキュラムを1年延長されて延長料金を取られるなど、ブレイク前には涙ぐましい努力を続けていた。 |
| 「金沢美術工芸大学彫刻科を卒業して上京」というガセネタが流れているが、実際は石川県立大聖寺実業高等学校卒業後にフリーターとなり、上京資金を貯めていた。 |
| 上京してからも10年ほどはマクドナルドでアルバイトをしていた。 |
| ブレイクするまでは、食費さえ出せば手軽に呼べるタレントだった。 |
| ちなみに、マクドナルドのアルバイトはブレイクによる多忙で退職することになったが、ダンディ本人は「いつでも戻ってこられるように、アルバイトの籍は残っている」と語っている。 |
| 同じ事務所に所属するカンニング竹山はテレビ番組で最近のダンディ坂野について聞かれた時、「ダンディが『もっと遅くにデビューすればよかった』と嘆いていた」と語った。 |
| これは自身がブレークしたことがきっかけになって若手お笑いタレントブームが到来してしまったことを指している。 |
| ムーディ勝山とは色違いのタキシードを着用しているため、八代亜紀に「ダンディ」と「ムーディ」を間違えられた。 |
| 『内村プロデュース』では、ネタ帳がプールに水没するという不運に見舞われた。 |
| その後は、野球の送りバントの構えで叫ぶ「二岡!」「江藤!」などの新ギャグの開発にも余念がない。 |
| しかし、持ちネタのひとつ「ライドオン!」がレイザーラモンHGに流用され、苦汁を舐めている。 |
| 「サンキュー・ノーベンバー」などのレアなギャグは、着ボイスとして聴くことができる。 |
| 2006年6月、『森田一義アワー笑っていいとも!』内の私服姿のかっこ悪さで対決するコーナーで久々に全国放送の番組に出演した。 |
| 対決相手は暫定チャンピオンの南海キャンディーズ・山里亮太。 |
| 坂野は「かっこ悪い」「似合っていない」と言われるも、結局判定で山里に敗れ、一度のみの出演となる。 |
| 2006年、『イマだ!タレント再生工場「ノムさん」』の企画を兼ねて元祖ムキムキマンとともにEXILEの新ボーカルオーディションに応募し、一次予選で落選した。 |
| 2006年12月の『お笑い芸人大忘年会』では、事務所の先輩で師匠でもあるブッチャーブラザーズの2人からの手紙が読み上げられ、ブレイク前の苦労話や励ましの言葉が記されていた。 |
| 『特捜戦隊デカレンジャー』に悪役として出演した際、役作りのためにヒーロー側のメインキャストとは極力話さないようにしていた。 |
| 当時ブレイク中の彼に会えることを楽しみにしていたメインキャスト陣はそのことを残念がっていたという。 |
| 『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で、カップ焼きそばを食べてその銘柄を当てられる特技を披露した。 |
| また、レトルトカレーの銘柄も味と匂いだけで当てることができ、『大爆笑!!サンミュージックGETライブ』でも特技として披露したことがある。 |
| 東京腸捻転などのライブでは、ダンディNEWSなどの1人コントを披露することもある。 |
| 漫談のイメージが強いためか、暗転直後に客席がざわめいたことがある(DVD『完売地下劇場REVENGEBASEMENT9奪取BASEMENT10混迷』より)。 |
| 外国人プロ野球選手のアレックス・ラミレスは、本塁打を打った際に「ゲッツ!」のポーズを取っている。 |
| そのためか、2008年頃に幼稚園児を笑わせなくてはいけない場面に遭遇したダンディは、「ここは芸人として意地をみせねば」と気負い込んで園児に「ゲッツ!」と言ったが、園児が発した「あっ、ラミレスのまねだ。 |
| 」の一言で一蹴されてしまったというエピソードがある(島田紳助談)。 |
| また、ドランクドラゴンの塚地武雅がやる一発ギャグに、「100%の力でゲッツをする」というネタがある。 |
| 『お笑いメリーゴーランド』2008年3月22日放送分(第1回目)では、後輩である小島よしおがリーダーを務めた「小島よしおチーム」の一員として出演した。 |
| チーム内で芸歴が一番長い芸人がリーダーでなかったのはこのチームのみである。 |
| また、2009年1月6日放送分(第3回目)では、テツandトモ、波田陽区、猫ひろしらとともに「一世風靡チーム」として出演した。 |
| 『クイズ!ヘキサゴンII』2008年4月16日放送分で、司会の島田紳助が波田陽区の成績発表後と同時に、その日出演していた事務所の後輩の小島よしおに「ダンディも呼んだろか?」と発言し、その日のうちに出演が決まる(ここで、ネタ終わりで見切れるダンディをカメラが追うという展開も提案された)。 |
| ペーパーテストの成績は優秀で、初出演時は35点で5位だったが、同年5月28日放送分では37点で3位となり、早抜けリレークイズ第1回答者に(同クイズでも山本モナ、ラサール石井を抑えて最初の問題に正解した)。 |
| 同年9月に小島よしお、波田陽区、金剛地武志の3人とともに一発屋2008というユニットを作ることになったが、金剛地と同様に彼をモチーフにしたアニメキャラクターは未だに作られていない。 |
| 『ヘキサゴンII』での縁で、紳助と食事に行くなどの親交を持つようになるが、紳助曰く「普段は面白くない」とのことである。 |
| 『ホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっ』2009年11月6日放送分。 |
| トークで「同郷のお笑い芸人」を松井秀喜を勝手にお笑い芸人にして司会の島田紳助からハイキックを喰らわされていた。 |
| 最後の対戦相手は波田陽区で、10-9の大接戦だった。 |
| 2009年12月26日にTwitterを開始し、開始当日に秋葉原の居酒屋で無料ライブの告知を行った。 |
| 2010年11月のさんまのまんまに小島よしおや鳥居みゆき、竹山隆範、髭男爵らサンミュージック所属の芸人と出演した。 |
| その際に竹山らは当時サンミュージックはお笑い芸人に関連する事業からの撤退を考えていたが、ダンディ坂野がゲッツで売れたことによりそれを免れることが出来た、と語っている。 |