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つながりの強いひと
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デニス・ベルカンプ
オランダ・アムステルダム出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。「アイスマン」のニックネームを持つ。 |
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アーセン・ベンゲル
ドイツ(アルザス)系フランス人のサッカー指導者。イングランド・プレミアリーグのアーセナルFC監督。2002年、フランス政府よりレジオン・ド=ヌール勲章を... |
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ウィリアム・ギャラス
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フランス、アニエール=シュル=セーヌ出身の同国代表サッカー選手。プレミアリーグ、トッテナム・ホットスパーFC所属。ポジションはDF。 |
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リオネル・メッシ
アルゼンチン共和国サンタフェ州ロサリオ出身、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに所属するアルゼンチン代表のサッカー選手。ポジションはスペインでは... |
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ジネディーヌ・ジダン
フランス国籍の元サッカー選手。「ジダヌ」と表記されることもある。現在は現役時に所属したレアル・マドリードのスポーツディレクターを務める。 |
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プロフィール
- ティエリ・アンリとは
- アーセナル入団まで
- アーセナル時代
- バルセロナ時代
- ニューヨーク・レッドブルズ時代
- 代表
- 人物
- タイトル
- パートナーシップ
- 関連サイト
ティエリ・ダニエル・アンリ(ThierryDanielHenry,1977年8月17日-)は、フランス共和国エソンヌ県レ・ジュリス出身のサッカー選手。愛称は「ティティ」。プレミアリーグ歴代最多となる4度の得点王受賞をはじめ、FWA(FootballWriters'Association、サッカーライター協会)の投票によるFWA年間最優秀選手賞を3度受賞、PFA年間最優秀選手賞を2度受賞、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーを同賞最多の5度受賞と数々の個人タイトルを獲得。
アーセナル入団まで
| 父親はグアドループでプロサッカー選手をしていたが、生活の安定を求めてフランス本土に渡り、パリ郊外でティエリを育てた小宮良之ほか『ルーツ フットボーラーたちの原点』角川SSコミュニケーションズ、2007年、146頁。 |
| 6歳の時に地元のクラブであるユリス・フットボールに入団し、クラブでの練習のない日は厳格な父親による英才教育を受けた小宮良之ほか『ルーツ フットボーラーたちの原点』角川SSコミュニケーションズ、2007年、146頁。 |
| なお、このクラブからはパトリス・エヴラもプロサッカー選手に育った。 |
| 12歳から15歳の間は色々なクラブを転々としたが、クレールフォンテーヌ(INF、フランスサッカー学院)に入学して英才教育を受けた。 |
| なお、一度は入学試験に落とされたが、辞退者が出たために入学を許可されたという経歴を持つ小宮良之ほか『ルーツ フットボーラーたちの原点』角川SSコミュニケーションズ、2007年、152頁。 |
| 本人が語るところによると、INF卒業後にベルサイユのクラブに1シーズンだけ在籍しており、22試合に出場し76得点を記録しているとのこと金子義仁『2005~2006ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版社〈フットワーク出版株式会社〉、2004年、242頁2行目から5行目までの文章を抜粋。 |
| モナコの下部組織での活躍により、当時トップチームの指揮官であったアーセン・ベンゲルに抜擢され、17歳の誕生日を迎えた2週間後の1994年8月31日にOGCニース戦でリーグ・アンデビュー。 |
| 1994-95シーズンは8試合に出場し3得点の成績を残した。 |
| なお、この当時のアンリのポジションはフォワードではなくウイングであった。 |
| 1995-96シーズンはリーグ・アン年間最優秀選手に選出され、母国で開催された欧州U-19選手権のメンバー入りも果たす。 |
| 1996-97シーズンには36試合に出場し9得点でチームのリーグ優勝に貢献。 |
| UEFAカップでも初得点を記録する。 |
| 1998-99シーズン半ばに監督ジャン・ディガナとの衝突が原因でセリエAのユヴェントスに移籍。 |
| モナコでは起用法を巡ってのすれ違いから退団を決めたが、移籍先のユヴェントスでも不慣れな左SHでの出場を余儀なくされ、実力を殆ど発揮できずに3得点でシーズンを終える。 |
| その頃に、モナコでアンリをトップチームに抜擢したアーセン・ベンゲルから「もし、イタリアでうまくいかなければ、私がまた獲得する」と促されており、その言葉を追うように1999年8月3日にベンゲルが指揮を執るプレミアリーグのアーセナルに入団10年後となる2008年にアンリはSKYのインタビューに応じて、ユヴェントスを退団した理由は、当時ユヴェントスの幹部でカルチョ・スキャンダルの張本人であるルチアーノ・モッジGMとの確執であったと語っている。 |
アーセナル時代
| ニュータイプのFWを構想していたベンゲルは、アンリをWGからCFにコンバートする。 |
| 移籍初年度こそ新境地のポジションに戸惑いも見せるも、翌2000-01シーズンからは実力を遺憾なく発揮し、得点数こそ昨シーズンと同じながら敵陣のタッチライン際を快足をもって突破していくシーンは観戦者に強烈な印象を与えた。 |
| 2001-02シーズンには24得点で得点王に輝き後ろには23得点でハッセルバインク以下ファン・ニステルローイ、アラン・シアラーの3人が追随している。 |
| 、チームは勝ち点87ポイント得失点差43でプレミアリーグとしては2回目のリーグ優勝を果たすマンチェスター・ユナイテッドの4連覇を阻止している。 |
| 2002-03シーズンは惜しくも優勝を逃し、アンリ自身も得点王を逃すが得点数は昨シーズンと同じく24ゴールを記録し、PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞。 |
| チームの総得点数はリーグ最多の85得点と全体として高いパフォーマンスを誇った。 |
| またFAカップ2連覇。 |
| 2003-04シーズン、チームは26勝12引き分け勝ち点90ポイントと無敗優勝を成し遂げ、アンリは30得点で得点王に返り咲く。 |
| 2年連続でPFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞。 |
| この時期のアーセナルはしばしば「TheInvincibles(無敵)」と讃えられ、アンリの他にパトリック・ヴィエラやロベール・ピレス、シーズン途中で移籍することになるシルヴァン・ヴィルトールといったフランス人選手が主力として顔を揃えている。 |
| また、これらに監督アーセン・ベンゲルを含めて「フレンチ・コネクション」と呼ばれた。 |
| 2003年のバロンドールではパベル・ネドベドに次いでの2位となった。 |
| 2004-05シーズン、アンリは25得点を記録し2年連続で得点王に輝き、更に3年連続でFWA年間最優秀選手賞を受賞。 |
| チームは無敗記録を49試合にまで伸ばし、1977-78シーズンにノッティンガム・フォレストが達成した42試合無敗記録を27年振りに更新。 |
| 49試合ぶりの黒星はマンチェスター・ユナイテッドに喫した。 |
| アーセナルは勝ち点83ポイント得失点差51で2位。 |
| またFAカップ王者に1年ぶりに返り咲く。 |
| 2005-06シーズン、7年間アーセナルの主将を務めたパトリック・ヴィエラがユベントスに移籍し、アンリはゲームキャプテンを任せられる。 |
| アンリ自身は27得点を記録し得点王を3年連続で受賞するも、チームは4位でシーズンを終え2連覇を果たしたチェルシーとの勝ち点差は24ポイント。 |
| 一方で、欧州フットボール界の七不思議とまでいわれ勝てない時期が続いたUEFAチャンピオンズリーグでは連続無失点試合の記録を更新し、決勝でバルセロナに敗れるも準優勝と健闘した。 |
| 2006-07シーズンは怪我で大半の試合を欠場し、得点王連続記録もここで途絶える。 |
| チームの大黒柱の代役を務めたとは言い難いが、アンリのポジションにはエマニュエル・アデバヨールやロビン・ファン・ペルシーといった新鋭の台頭も見られ、チームの急速な世代交代により栄華を極めた時代の選手はアンリ以外殆ど退団していた。 |
| 2007年6月、2,400万ユーロでバルセロナへの移籍が決まる。 |
バルセロナ時代
| リーガ・エスパニョーラ2007-08シーズン、当時3トップを形成していたロナウジーニョ、サミュエル・エトオ、リオネル・メッシと自身を合わせた組み合わせは“ファンタスティック4”と呼ばれ注目されたが、スペインサッカーのスペースの少ないゆったりしたスタイルに戸惑い、また左WGのような役割に徹することで終始低調なプレーが続き30試合12得点でシーズンを終える。 |
| 2008-09シーズン、新たに監督に就任したジョゼップ・グアルディオラのチーム再編に伴いロナウジーニョ、デコが退団。 |
| より強健なチーム作りのなかで当初はエトオやアンドレス・イニエスタのバックアッパーに甘んじていたものの、次第に復調の兆しを見せ始め、守備的に奔走する姿勢もみせるなか19得点を記録。 |
| チームは第36節アウェーでのRCDマヨルカ戦後に3シーズンぶりのリーグ優勝を決め、最終成績は27勝6分5敗、勝ち点87ポイント得失点差70。 |
| またUEFAチャンピオンズリーグではグループステージからの12試合で30得点を上げ、決勝戦でマンチェスター・ユナイテッドを破り優勝マンチェスター・ユナイテッドのCL25戦無敗記録を止め、2連覇を阻止。 |
| アンリは5得点を記録。 |
| 更にコパ・デル・レイも優勝し、スペインのクラブ史上初の三冠を達成した。 |
| 復調の兆しを見せた昨シーズンとはうってかわり、2009-2010シーズンは終始単調なプレーを繰り返し、ベンチを暖める機会が増えた。 |
| 若手のペドロの活躍の影に潜んでいた。 |
| 終盤戦にCFでの起用が多くなると、やや調子を取り戻した。 |
ニューヨーク・レッドブルズ時代
| 2009-2010シーズン終了後、バルセロナとの契約を解除した。 |
| 2010年7月14日、特別指定選手制度(DesignatedPlayerRule)を用いてメジャーリーグ・サッカーのニューヨーク・レッドブルズへ移籍した。 |
代表
| フランス代表としてのアンリの経歴は15歳の時にまで遡り、早くからその才能を世界の舞台で輝かせている。 |
| 本格的な国際大会の初陣としては母国で開催された欧州U-19選手権で、決勝の対スペイン戦では決勝弾を決める活躍で優勝に貢献した。 |
| またマレーシアで開催されたワールドユースにもメンバー入りし、後のA代表の主力となるニコラ・アネルカ、ダビド・トレゼゲと3トップを形成している。 |
| 因みにこの大会ではアンリよりトレゼゲの評価が高かった。 |
| 代表デビューは1997年10月11日の対南アフリカ戦。 |
| 1998年フランスW杯のフランス代表メンバーに選出され、決勝のブラジル戦以外の6試合すべてに出場。 |
| 通算3得点に終わるも、フランス代表はグループリーグを全勝で勝ち上がり勢いそのままにW杯初優勝。 |
| 新世代の台頭を予感させるジネディーヌ・ジダンやリリアン・テュラムの存在が輝る大会となった。 |
| その2年後にベルギーとオランダで共催されたEURO2000のメンバーにも名を列ね、同じく3得点を記録。 |
| フランス代表は今大会でも優勝を果たし、欧州国のなかで史上初となるW杯と欧州選手権を立て続けに優勝した国となった。 |
| 2002年にフランス代表の中心選手として日韓W杯に挑むもグループリーグで敗退。 |
| アンリはグループリーグ2戦目となったウルグアイ戦でレッドカードで退場となってしまい、そのまま3戦目のデンマーク戦にも出場できず戦犯とされる事態に発展した。 |
| 同大会のフランス代表はロベール・ピレスが右膝の靭帯断裂で代表に招集されなかったことや、ジダンの左腿の肉離れによる欠場といったことが敗退要因として挙がったが、それでも世界有数の選手を揃えた優勝候補国であることは変りなく、大会早々に大波乱という話題を振りまいて姿を消した。 |
| 自国開催となったFIFAコンフェデレーションズカップ2003では2大会連続優勝。 |
| この大会ではジブリル・シセと2トップを組むことが多かったが、先発と控えを作らないというチームの方針で全試合には出場していない。 |
| チェイシングを仕掛ける中田英寿を反転して突破し、小笠原満男のスライディングを読んで交わすなど実力の片鱗を見せつけた。 |
| 2004年6月にポルトガルで開催されたEURO2004では、フランス代表はBグループ首位で決勝トーナメント進出を決めるも試合内容は前回王者とは思えないほど精彩を欠いており、とりわけ前々から囁かれていたアンリの代表不調はここにきても変わることはなく、決勝トーナメント1回戦で今大会の王者となるギリシャの一発により敗退。 |
| ジダンが引退表明をして臨んだ2006年ドイツW杯では3得点を決めチームの準優勝に貢献。 |
| 準々決勝のブラジル戦で決めたゴールはジダンのアシストによるもので、1997年のA代表デビュー以来ジダンから受けた最初で最後のアシストとなった。 |
| この世界を代表する点取り屋と司令塔の因縁はEURO2000以降のフランス代表を雄弁に物語っている。 |
| EURO2008の予選ではチーム最多の6得点を記録し、ミシェル・プラティニが持つフランス代表の最多得点レコードを更新。 |
| EURO2008終了後の最初の試合となったスウェーデンとの親善試合でフランス代表のキャプテンに任命された。 |
| 2010年南アフリカW杯欧州予選プレーオフ(対アイルランド)では延長戦で、ウィリアム・ギャラスのチームを4大会連続本大会出場に導く「決勝」ゴールをアシストしたが、その際、相手ゴール前に出たボールが自身の左手に当たっていたのが確認され、物議を醸した(アンリ自身も「決してわざとではないが、確かに手に当たった」と認めている) |
人物
| 憧れの選手はデニス・ベルカンプとマルコ・ファン・バステン。 |
| 彼の趣味の一つはバスケットボールで、NBAの熱狂的なファンでもある。 |
| 好きな俳優はアメリカのケヴィン・スペイシー。 |
| レ・ジュリス出身であるが、西インド諸島のグアドループ島とマルティニーク島をルーツに持つ。 |
| フランス人だが、ワインは飲めず、チーズも食べられない。 |
| ナイキ社とは1999年から契約を交わしていたが、2006年ワールドカップ終了後に新たにリーボックと契約。 |
| アンリの同時期のフランス代表のFWにはダビド・トレゼゲがおり、「この世界屈指の2トップが機能していれば・・・」と思うフランス国民及びサッカーファンは多い。 |
| 比較的サイドに構え広いスペースから攻撃を展開するアンリと、エリア内で重厚に構えて勝負する典型的なCFのトレゼゲは相性が良いものと常々思われてきたが、実際には全くと言っていいほど噛み合わず、能力を打ち消すようにトレゼゲは試合から消え、アンリは終始単調なプレーに終わることが多かった。 |
| ジダン引退後、フランス代表がツートップを採用した場合はニコラ・アネルカとコンビを組む機会が多く、アネルカとの相性が一番良いとも言われていた。 |
| 古巣のアーセナルは気になる存在であるらしく、恩師アーセン・ベンゲルのアーセナル就任13周年の試合前にアーセナルのホームスタジアムであるエミレーツ・スタジアムに足を運んだ。 |
タイトル
| 1996年U-19欧州選手権-優勝。 |
| 2001年-2002年プレミアリーグ-優勝、FAカップ-優勝。 |
| 2002年-2003年コミュニティーシールド-優勝、FAカップ-優勝。 |
| 2004年-2005年コミュニティーシールド-優勝、FAカップ-優勝。 |
| 2008年-2009年UEFAチャンピオンズリーグ-優勝、リーガ・エスパニョーラ-優勝、コパ・デル・レイ-優勝。 |
| 2009年-2010年リーガ・エスパニョーラ-優勝。 |
| 2001年-2002年プレミアリーグ得点王。 |
| 2002年-2003年PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞。 |
| 2003年-2004年PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞、プレミアリーグ得点王、ヨーロッパ・ゴールデンブーツ。 |
パートナーシップ
| リーボック(2006年)-サッカーキャンペーン「Soyouthinkyouknowme?」のイメージキャラクターとして複数年契約 |
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1977年
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ティエリ・ダニエル・アンリ(Thierry Daniel... |
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1994年
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OGCニース戦でリーグ・アンデビュー |
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ティエリ・アンリさんについてのひとこと紹介
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