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プロフィール
- ティープー・スルタンとは
- 経歴
- 近代ロケット兵器の父
ティープー・スルターン(ٹیپوسلطان,TipuSultan、1750年-1799年)は、インド南部にあったマイソール王国の国王。対英闘争にその一生を費やし、「マイソールの虎」と畏怖された。
経歴
| マイソールの将軍ハイダル・アリーの嫡子として生まれる。 |
| 当時のマイソールはウォデヤ家支配の下独立国と化しており、マラータ諸侯やハイデラバードのニザーム政権と並んで南インドの雄だった。 |
| 当時ベンガル周辺にはイギリスの勢力が確立されており、周囲を侵食しつつインド全土の植民地化を図っていた。 |
| ハイダルはマイソールの実権を握ると、積極的な近代化政策を取ってイギリスへの対抗姿勢を示すことになる。 |
| ティープーは父の片腕として若い頃より活躍しており、プッラルールの戦いでは父の副将としてイギリス軍を包囲殲滅し司令官以下多数を捕縛している。 |
| 1782年に父ハイダルが病没すると、ティープーはウォデヤ家を廃絶して自ら国王に即位し、対英戦争を継続する。 |
| その優れた戦術と近代的なマイソール軍はイギリスを大いに悩ませたが、しかし南インドには少ないイスラム教徒であった事、南インド最強と称されたヒンズー教徒のナイル族を敵にしてしまう失策、そしてマラータ諸侯がイギリスと不可侵協定を結び(多額の賄賂が使われた)、その圧力を一手に受けるようになった後は徐々に押され、4年の戦いの後に休戦協定を結んだ。 |
| この戦いでティープーの威名は大いに高まり、マイソールの虎と渾名されてその名はヨーロッパにまで知られるようになった。 |
| 独立後のインド政府発行の切手にも登用された南インドの英雄である(草思社「インド最後の王」等より)。 |
| 戦いがやむと、ティープーは王国と軍の近代化を更に推し進め、またイギリスに対抗するためアフガニスタン、オスマン帝国、更には遠くフランスのジャコバン派にまで使者を送り、共闘を持ちかけた。 |
| 中でもジャコバン派はかなりの興味を示したらしいが、折からの対露関係悪化で積極的支援にまでは至らなかったばかりか、不用意な義勇兵公募により逆にティープーを苦しめた。 |
| また、大砲の量産に励み、砲口に虎の吼口を刻んだ砲を量産したが、実戦では砲兵隊の扱いに慎重過ぎて活用に失敗した(ティプー砲)。 |
| 尚、この大砲の一部はポルトガル陸軍博物館に保存されている。 |
| 休戦から6年後、イギリスはマラータ諸侯及びニザーム政権に対マイソール戦を持ちかけ、侵入者であるイギリスより同じインドの有力者であるティープーを危険視した両者はこれに乗ってしまう。 |
| かくして包囲されたティープーは内線作戦の利を生かして2年に渡って善戦するが、ついに領土の半分を割譲させられ和議を強いられた。 |
| しかしティープーはそれでも諦めず、近代化を続けると共に他のインド諸邦に対英同盟を呼びかけるが、イギリスの巧みな利益供与・分断外交とイギリスよりマイソールを警戒する他の支配者達の猜疑心に阻まれ効果は上がらなかった。 |
| そして更に7年後、イギリス軍は圧倒的大軍でマイソールの王都シュリーランガパトナムを攻撃。 |
| ティープーは自ら剣と銃を執って奮戦し、壮絶な最期を遂げた(暗殺されマイソール軍が崩壊したとする説も有る)。 |
| このマイソール王国の滅亡はもはやインドにはイギリスに抵抗する勢力が無くなった事を意味し、この後インドはなすすべもなく蹂躙されていくことになる。 |
| ティープーは当時のインドにあってほぼ唯一イギリスに正面から戦いを挑み一定の成果を収めた人物であり、世界的な視野を持っていた稀有な人物だったと言える。 |
| 政戦両面に長じるだけでなく宗教的にも寛容で多数の言語に堪能な教養豊かな人物でもあり、彼の終焉の地となったバンガロールの宮殿は今でも有名な観光地となっている。 |
| 半世紀余の後のインド大反乱で勇戦の後戦死したジャーンスィー王妃ラクシュミー・バーイーと並び、現在のインドでは民族的な英雄して尊敬を集めている。 |
| また、ジュール・ベルヌ著海底二万里、神秘の島に登場するネモ船長のモデルはティープーと推定されている(集英社文庫ベルヌ・シリーズ等より)。 |
近代ロケット兵器の父
| ティープーはイギリスに対抗する為、軍の近代化を押し進めたが、そのひとつがロケット砲部隊だった。 |
| この当時、既にロケット兵器自体は欧州やアジアにも存在したが、紙や、金属を素材としていても簡素なものがほとんどだった。 |
| 王子時代から新技術に対する関心の高かったティープーは、鍛冶屋と花火職人に命じて、飛翔体を本格的な鋼製とした物を製作させた。 |
| 射程は3,000m前後であり、この当時のロケット兵器の水準を遥かに凌ぐ物であった。 |
| ロケット自体も強力であったが、ティープーの先見の明は、更にそれを大規模に運用し、かつ機動力を与えることとなった。 |
| 移動を容易にする為、台車に装荷した。 |
| これは、後に第二次世界大戦で出現した大形ロケット砲に先んじる物であった。 |
| そして運用のため、5000人規模のロケット砲部隊が編成された。 |
| 第二次マイソール戦争でイギリス軍はこのマイソールのロケット砲部隊により大損害を被った。 |
| スリランガパタナ砦攻略戦では、ワーテルローの英雄アーサー・ウェルズリー大佐率いる攻略側・イギリス軍部隊に対し集中射撃を浴びせ、犠牲を強いるとともにパニックを起こさせ、撃退した。 |
| 特に騎兵隊に対しては絶大な威力を誇ったとされる。 |
| 大佐自身は辛くも難を逃れたが、側近数名が戦死している。 |
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1782年
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父ハイダルが病没すると、ティープーはウォデ... |
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