| 中世ドイツの叙事詩『ヒルデブラントの歌』、『ニーベルンゲンの歌』などに登場する人物「ディートリヒ・フォン・ベルン」は、いくぶん伝説化されているものの、テオドリックがモデルである。 |
| (なお、この「ベルン(Bern)」とは、現在のスイスの都市ベルンではなく、イタリアの都市ヴェローナのことである)。 |
| ブリタニカ百科事典(1911年)によれば、「ディートリッヒの伝説は様々な点でテオドリックの生涯と異なっている。 |
| これは、ディートリッヒの伝説が、元来はテオドリックとは別のものであったことを示唆している。 |
| 」と記述している。 |
| ディートリッヒ伝説の時代考証については誤りが多く、たとえばエルマナリク(376年没)やアッティラ(453年没)が、テオドリク(454年没)と同時代の人間だと言うことになっている。 |
| ディートリッヒの物語はいくつか現存しておリ、これらのものは口承で伝えられてきたと考えられる。 |
| ディートリッヒが登場する最古の物語は『ヒルデブラントの歌』と『ニーベルンゲンの歌』であるが、いずれにおいてもディートリッヒは主要な人物としては描かれていない。 |
| ディートリッヒの伝説で最古のものである『ヒルデブラントの歌』は820年ころに記録されている。 |
| 作中、ハドゥブラントは、父親のヒルデブラントが、オドアケルの手から逃れるため、ディートリッヒとともに東方に向かったことを語っている。 |
| このように、ディートリッヒ自体はヒルデブラントの物語では背景的に名前が出てくる程度ではあるが、この時代の聞き手がディートリッヒについて充分な知識を持っていたことが分かる。 |
| そして、作中ではディートリッヒ(テオドリック)の宿敵が史実通りオドアケルになっているが、のちの伝説ではオドアケルの演じる役柄がエルマナリクにとって変えられている。 |
| なお、史実ではテオドリックがオドアケルに追放されたなどという事実はない。 |
| 『ニーベルンゲンの歌』において、ディートリッヒはフン族の王・エッツエル(アッティラ)の宮廷で亡命生活をおくるという設定になっている。 |
| 作中、ディートリッヒはブルグント族との戦争においてエッツエル側として参加するが、ヒルデブラントを除く家臣がことごとく戦死させてしまっている。 |
| 最終的には、ブルグントの戦士・ハゲネとギュンターを一騎打ちで打ち破り、捕虜にすることで戦争を終わらせる活躍をした。 |
| スカンディナビアのサガはディートリッヒの帰還を扱っている。 |
| 最も有名なものは、13世紀にアイスランド人かあるいはノルウェー人の作者がノルウェー語で編集した『シズレクのサガ』である。 |
| ここでは本来はディートリッヒと無関係であったニーベルングやヴェルンドの伝説を取り入れている。 |
| その他、レーク石碑に彫られた古エッダやシズレクのサガなどにも登場している。 |
| 後世、ハインツ・リッター=ショウンバーグは『シズレクのサガ』の内容のうち、地形上の記述についてそれが正確であるかを検証した。 |
| そのうえで、「ディートリッヒ」の伝説の起源はゴート族の王・テオドリックではありえないという結論を出した。 |
| そのうえで、リッター=ショウンバーグは叙事詩の英雄は同時代に存在した同名のゴート族であり、それがスウェーデンで「Didrik」とされたのであると主張している。 |
| さらに、リッター=ショウンバーグは「ベルン」についてもフランスの「ボン」を意味しており、ディートリッヒはボンを統治していたフランク族の小規模な王族だったと主張しているHeinzRitter-Schaumburg:DietrichvonBern.KönigzuBonn.Herbig:Munich/Berlin1982。 |
| もっとも、この説は多くの学者から反対されているSee,forexample,thecriticalreviewbyHenryKratz,in''TheGermanQuarterly''56/4(November1983),p.636-638.,。 |
| 13世紀に書かれた『ベルンの書』(BuchvonBern)によれば、ディートリッヒはフン族の力を借りて王位を取り戻そうとしたことが書かれている。 |