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プロフィール
- デペッシュ・モードとは
- 概要
- メンバー
- 過去のメンバー
- 結成以前~デビュー
- ヴィンス脱退、アラン加入
- 挑戦と挑発、更なる実験
- 大衆向けではない「大衆向け音楽」と「101番目の公演」
- キャリアの頂点、そしてバンド崩壊の予兆
- 続けざまのトラブルと、デイヴの自殺未遂
- 再出発と、実験が起こした混乱
- 軌道修正
- 宇宙のサウンド…ツアー中断、そしてつかの間のアラン復帰
- エピソード
- 関連サイト
デペッシュ・モード(DepecheMode)はイギリスのバンド。イングランドのバジルドン()出身。1980年結成。欧米ではスタジアム級の人気を誇る大物バンド。
概要
| デビュー当初はニュー・ウェイヴ色が強かったが、初期メンバーのヴィンス・クラークが脱退してマーティン・L・ゴアが楽曲製作の中心になると、サウンド&アレンジ担当のアラン・ワイルダーがインダストリアルな音を取り入れ始め、徐々にオルタナティヴ路線を強めていった。 |
| マーティンのアルコール中毒、サウンドの要だったアランの脱退、デヴィッドの薬物過剰摂取による自殺未遂などの苦境を乗り越えながらも、四半世紀以上に渡るキャリアと、全世界で約9,100万枚のシングル・アルバムを売り上げた記録を持つニュー・ウェイヴのロング・ランナー。 |
| 2011年現在も第一線で活動を続けるシンセポップの代表格であり最大級の成功者である。 |
| その功績・業績に比して日本での知名度は低いものの、2006年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードの最優秀グループ賞を得るなど、欧米での評価と人気は健在である。 |
| デヴィッド・ガーンの妖艶なバリトンの歌声とエネルギッシュなライヴパフォーマンス、マーティン・L・ゴアによる哲学的、宗教的、神秘的かつ官能的な歌詞と哀愁を帯びた美しくダークなメロディ、そして壮大で重厚な音空間を感じさせるアラン・ワイルダーのサウンド&アレンジが他の多くのシンセポップグループとの相違点であり最大の魅力である。 |
| アラン・ワイルダーは1993年発表のアルバム『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』を完成させた後、彼の貢献が正しく評価されていないことを理由に1995年に脱退した。 |
| もう一人のメンバー、アンドリュー・フレッチャーは「世界的に有名な一本指奏者」と自称しており、主にキーポードとプロデュースを担当している。 |
| 彼らの独特の美意識は、主にドイツや北欧、ロシアを中心としたダーク・エレクトロ勢に受け継がれている。 |
| また、ときに性的指向が曖昧な歌詞や、1980年代に特にマーティンが好んで身に付けたボンデージ風ファッションによって形づくられたバンド・イメージから、ゴスやゲイの間でも厚い支持を受けるアーティストである。 |
メンバー
| デヴィッド・ガーン(DavidGahan)-ボーカル。 |
| マーティン・リー・ゴア(MartinLeeGore)-ギター、ボーカル、キーボード。 |
| アンドリュー・フレッチャー(AndrewFletcher)-キーボード愛称:フレッチ。 |
過去のメンバー
| ヴィンス・クラーク(VinceClarke)-キーボード''1981年脱退'' ヤズーを経て2011年現在イレイジャーで活動中。 |
| アラン・ワイルダー(AlanWilder)-キーボード、ドラム ''1982年加入、1995年脱退'' 2011年現在ソロ・プロジェクトリコイルで活動中。 |
結成以前~デビュー
| 1977年、学生だったフレッチとヴィンスが結成した"NoRomanceInChina"が彼らのバンド活動の始まりである。 |
| 結成当初フレッチはベース、ヴィンスはヴォーカルとギターを担当していたが、友人のロバート・マーロウ(RobertMarlow)がボーカルとして加入した。 |
| その頃マーティンはアコースティック・デュオでギターを弾いていた。 |
| 1979年、ヴィンスとマーティン、ロバートは友人のポール・レッドモンド(PaulRedmond)を招いて"TheFrenchLook"を結成。 |
| ボーカルはロバート、マーティンがギター、ヴィンスとポールがシンセサイザーを担当し、後のデペッシュ・モードを思わせる編成となった。 |
| ロバート・マーロウとポール・レッドモンドとの活動はここで終わるが、ロバートはミュージシャンとして4年ほど活動し4枚のシングルを出した後、休業。 |
| 1999年に復帰し''ThePeterPanEffect''というアルバムを出している。 |
| 1980年に入りヴィンス、マーティン、フレッチにより"CompositionofSound"が結成。 |
| これがデペッシュ・モードの母体となる。 |
| 結成当初はヴィンスがボーカルとギター、マーティンがキーボード、フレッチがベース担当だったが、やがてヴィンスとフレッチもキーボードに切り替える。 |
| それらの楽器は雑用や大工仕事で得た給料で買ったり、友人から借りたものであった。 |
| そしてヴィンスはデヴィッド・ボウイの''Heroes''のジャム・セッションをしていたデイヴをバンドに招いて、「デペッシュ・モード」の結成となった。 |
| バンド名の「DepecheMode」は、フランスのファッション雑誌"Dépêchemode"から引用したものである。 |
| 英語では"fastfashion"と訳され、"最先端の流行"という意味があるが、特にその意味を意識して命名されたわけではない。 |
| デペッシュ・モードとして公式な最初の楽曲は、サム・ビザールのコンピレーションアルバム''SomeBizarre''に収録された''Photographic''だった。 |
| その後のサム・ビザールと所属アーティストの間の諸問題を見た限りでは、ここでデビューまで誘いがかからなかったのは運が良かったと言えよう。 |
| なお同コンピレーションに収録したバージョンは''TheSingles(81-85)''に収録されている。 |
| デビューのきっかけは、彼らのステージを東ロンドンにあるパブ「ブリッジハウス」で見た、ミュート・レコードのダニエル・ミラーに声をかけられたことである。 |
| この出会いが、デペッシュ・モード、そしてミュート・レコードの後の運命を変えた。 |
| 彼らは1981年2月にデビューシングル''DreamingofMe''を発表。 |
| 全英チャートで57位を記録する。 |
| 続いてシングル''NewLife''を発表、これが全英チャート11位を記録するスマッシュヒットとなり、3ヵ月後に出した''JustCan'tGetEnough''では全英チャート最高8位と着実に成果を出していく。 |
| そして満を持して発表したアルバム『ニュー・ライフ』は全英チャート10位を記録し、評論家や雑誌から好意的な評価を得た。 |
| 時代はニュー・ウェイヴの最盛期であり、その時流に乗った形となる幸先のよい船出であった。 |
ヴィンス脱退、アラン加入
| しかし、ここで最初の不協和音と困難がバンドを襲う。 |
| かねてからプロモーションとツアー活動に不満を漏らしていたヴィンスが1981年に脱退してしまう。 |
| 作詞作曲を手がけていたヴィンスの脱退はバンドにとってダメージとなったが、『ニューライフ』で''Tora!Tora!Tora!''と''BigMuff''の2曲を手がけたマーティンが代わりに作詞作曲を担当することでバンドを存続させ、この件がマーティンの才能を開花させるきっかけとなった。 |
| なお脱退したヴィンスはアリソン・モイエとのデュオ「ヤズー」を経て、アンディ・ベルとのデュオ「イレイジャー」を結成。 |
| デペッシュ・モードに並ぶミュート・レコードの看板アーティストとなった。 |
| ヴィンス脱退後の初のシングルとなった''SeeYou''は過去最高の全英チャート6位を記録。 |
| 続いて2枚のシングルを出した後『ア・ブロークン・フレーム』を発表。 |
| マーティンはヴィンスの持っていたポップセンスと陰りのある作風を引き継ぎ、さらに独自のものへと発展させていった。 |
| やがてバンドは4番目のメンバーを求め、オーディションの結果、当時22歳のアラン・ワイルダーをメンバーとして選んだ。 |
| 実はこの時、アランは年齢を詐称していたが、問題にはならなかった。 |
| 1983年に4人編成に戻ってから初のシングルとなる''GettheBalanceRight!''を発表。 |
| これは後のベスト盤までアルバムには収録されなかった。 |
| 続いてアルバム『コンストラクション・タイム・アゲイン』を発表。 |
| このアルバムでアランはバンドの音楽性に今までにない要素、金属の打撃音や摩擦音といったインダストリアル・ミュージックの要素を持ち込んだ。 |
| 実はこのアルバムの何曲かは、インダストリアル・シーンの最先端に位置していたドイツのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの作品からのサンプリングを用いており、実際にノイバウテンのブリクサ・バーゲルトらから指摘をうけている。 |
| ただしノイバウテン側からは正式なクレームはついておらず、逆に元となった音源のリズムと同じリズムでサンプリングを使用している点に興味と評価を示した。 |
| 後に同じミュート・レコードの所属になったのは何かの運命であろう。 |
| 『コンストラクション・タイム・アゲイン』からはバンドの代表曲となる''EverythingCounts''がシングルカットされている。 |
| この頃から、マーティンの詞には社会の矛盾に対する鋭い批判や意味深なニュアンスが込められるようになってくる。 |
挑戦と挑発、更なる実験
| 1984年に発表された『サム・グレート・リウォード』は、挑発的な楽曲が込められた作品であり、売り上げも過去最高のものとなる。 |
| 先行シングルとなった''PeopleArePeople''は全英チャート4位、全米チャート13位など欧米でヒット。 |
| バンドのイメージを一新する、人種差別と暴力をテーマにしたこの曲は、様々なアーティストがカバーした。 |
| アメリカではサイア・レコードから同名のミニアルバムが発売されている。 |
| またシングルカットされた''MasterandServant''は、詞の内容や鞭の打撃音、鎖の音など当時は公にできなかったSMプレイを想起させる内容となり、アメリカのラジオ局では多くの放送局が曲を流すのを自粛した。 |
| またBBCでも一時放送禁止が取り沙汰されたとの話もある。 |
| メンバーが黒い皮やエナメルを用いた服装に身を纏い、マーティンが女装をしだしたのも、ちょうどこの時期である。 |
| そして''BlasphemousRumours''では「自殺を図った少女が命を取り留めるも、キリスト教に目覚めた途端事故で死ぬ」という皮肉に満ちた運命を背景に、神に毒づくという歌詞が問題となり、再びアメリカのいくつかのラジオ局で放送自粛の処置がとられたが、BBCではテレビ番組で歌うことができた。 |
| ちなみにカップリング曲である''Somebody''はマーティンのボーカルによるバラードである。 |
| 1985年、初のベスト盤となる『ザ・シングルス'81-'85』を発表。 |
| アメリカでは同時期に''CatchingUpwithDepecheMode''という収録曲が一部異なるベスト盤も発売されている。 |
| 1986年に発表されたシングル''Stripped''は、実験作として発表された特異な楽曲であり、続いて発表された『ブラック・セレブレーション』で効果的に使われ、次第に彼らの特色となる立体的でアンビエントを取り入れた音響効果の片鱗を伺わせる作品となった。 |
| 『ブラック・セレブレーション』はその名の如く歌詞も死や闇といったものからの影響が色濃く出ている作品であり、それが最も顕著になっているのが、''FlyontheWindscreen-Final''である。 |
| ''AQuestionofTime''のミュージック・ビデオは、これまでU2やマドンナなど数多くのアーティストの写真を撮り続けてきたアントン・コービンが担当することになった。 |
| その後、コービンはデペッシュ・モードのミュージック・フィルムのみならず様々な写真、ステージの演出など多岐に渡りバンドのビジュアル面に関わることになる。 |
大衆向けではない「大衆向け音楽」と「101番目の公演」
| 1987年に発表された『ミュージック・フォー・ザ・マスィズ』は、マーティンの孤独感や人間関係のすれ違いを表現した歌詞と、アランのオーケストレーションを効果的に使ったシンセサイザーが印象に残るものであった。 |
| この模様はライブアルバム『101』に収録され、同名のドキュメントフィルムがドキュメンタリー映画作家D・A・ペネベイカーの手によって撮られた。 |
キャリアの頂点、そしてバンド崩壊の予兆
| 1989年、シングル''PersonalJesus''を発表。 |
| カントリー・ミュージックやブルースを思わせるギターフレーズとメロディが注目を浴びる。 |
| ''WorldViolation''ツアーの日本公演では、欧米の現役バンドとしては極めて珍しい金沢での公演が実現した。 |
| ツアー終了後、1991年にヴィム・ヴェンダースの映画『夢の涯てまでも』に''Death'sDoor''を提供した以外は目立った活動はなかった。 |
| 1992年からバンドは次のアルバムに向け活動を再開、録音はスペインで行われたが、街から遠く離れた別荘で行われたため、事実上の監禁状態にあったらしい。 |
| そうした中で生まれたシングル''IFeelYou''はグランジ・ロックやオルタナティヴ・ロックの影響を色濃く受けたロックナンバーであり、バンドのイメージをさらに一新させるものとなった。 |
| しかし、売り上げという点で言えば''IFeelYou''はアメリカのモダン・ロック・チャートで5週連続1位を記録し、『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』は売り上げこそ前作『ヴァイオレーター』に及ばなかったものの、イギリス、アメリカ、ドイツなどで1位を記録した。 |
| 関連して、『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』が出た当初、同世代のバンドでありながら全く接点のなかったU2と比較される論評が数多く出た。 |
続けざまのトラブルと、デイヴの自殺未遂
| 1995年6月、アランがバンドからの脱退を表明する。 |
| その理由として、「バンドでの音楽面の貢献に対する自分への敬意が払われていない」と主張したが、実際のところはマーティンとの間に確執があったと言われている他、ポップミュージックを作ることへの意欲を失ったともされている。 |
| 事実、2010年の競演までアランとバンドそのものとの間に目だった交流はなく(リコイルのアルバム発表時にバンドのページで紹介する程度だった)、唯一バンド内の理解者であったデイヴとの交流が続いているのみであった。 |
| 薬物治療を経て回復した矢先の1996年5月28日、親族から電話で懲りずに繰り返すと言われたことに逆上し、ロサンゼルスのホテルの一室でヘロインとコカインの混合物を大量に注射し、手首を切って自殺を図った。 |
再出発と、実験が起こした混乱
| 『ウルトラ』が新鮮味のない作品になってしまったことを受け、2001年の『エキサイター』では、かつてのLFOの中心メンバーで、ビョークらとの仕事で実績のあるマーク・ベルをプロデューサーに迎える。 |
| IDMなど先進的なテクノやハウスの要素を盛り込み、従来のアルバムとは毛色の違うものとなったが、評価は二分され、NMEやローリング・ストーンといった雑誌は好意的に受け取ったが、多くのメディアが否定的な見解を見せた。 |
軌道修正
| ヒリアーは特にデペッシュ・モードに思い入れがなく、単なるいちバンドのプロデュースに徹したが、これが功を奏し、『エキサイター』で混乱したバンドの音楽性を修正すると共に、かつての色を取り戻すことができ、なおかつデイヴの作曲能力も優れていると評価する声は多いが、逆に『エキサイター』を評価したローリング・ストーンなどのメディアやライターは批判的に見ている。 |
| 2006年からは過去のアルバムのリマスターがSA-CD(ハイブリッド)とDVDのセットで逐次発売され、2007年3月で『プレイング・ジ・エンジェル』を含む全てのオリジナル・アルバムがリマスター化された。 |
| 音楽配信サイト7digital.comの2006年度年間売り上げのトップアーティストとしてデペッシュ・モードがランクインされた(なおシングル・アルバムの上位10位にはノミネートされておらず、個々の作品のダウンロード数が積み重ねられた結果と思われる)他、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードにおいて最優秀グループ賞を獲得した。 |
宇宙のサウンド…ツアー中断、そしてつかの間のアラン復帰
| さらにイギリスに戻ったデイヴが精密検査を受けたところ、膀胱から悪性腫瘍が発見されたため、その摘出と静養のため、また代替のスケジュールがとれないとして東欧諸国の公演と各地のロックフェスティバルへの出演が全て中止となった。 |
エピソード
| 2007年はデイヴがレストランを開業すると報じられ(後述の、フレッチがかつて経営していたレストランの話にひっかけたもの)、2006年はザ・キュアーのロバート・スミスが『プレイング・ジ・エンジェル』のジャケットのデザインが自分のシルエットに似ているとアントン・コービンを訴えた…など、気をつけないとうっかり信じかねないニュースばかりが毎年出された。 |
| しかも性質が悪いことに4月1日ではなく前日に記述され、2004年のFCC(連邦通信委員会)がクラッキングされた云々、というネタについてはラジオ局まで協力した。 |
| 2002年、アーセン・ベンゲル率いるアーセナルにプレミアリーグ制覇とFAカップ優勝の二冠達成の可能性が出てきた時、一切関心のないデイヴは呆れ半分で「もし二冠達成したら髪切って髭も剃ってやるよ」と約束した。 |
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1977年
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学生だったフレッチとヴィンスが結成した "No... |
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1979年
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ヴィンスとマーティン、ロバートは友人のポー... |
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