| 第15戦アメリカ東GPを欠場後、最終戦カナダGPにはブラバムにて出走(11位完走)。 |
| これは、翌1979年よりニキ・ラウダのNo.2ドライバーとして、ブラバムに移籍することが決まっていたが、オーナーのバーニー・エクレストンの計らいにより、同年中から出走が実現したものであった。 |
| フル参戦1年目となったが、アルファ・ロメオV12エンジンの信頼性は低く、ラウダ共々リタイヤを連発。 |
| そんな中でも第6戦ベルギーGP、第9戦イギリスGPで予選3位につけるなど速さを見せ、第12戦オランダGPで4位に入り、初入賞を果たした。 |
| 更に、第14戦カナダGPのフリー走行後にラウダが突如引退を表明、ピケはNo.1ドライバーに昇格することとなった。 |
| 最終戦アメリカ東GPでは、予選2位とフロントローを獲得している(決勝は8位)。 |
| 第4戦アメリカ西GPでは、予選で初ポール・ポジション(以下:PP)を獲得し、決勝でも終始トップを走行し初優勝、初ファステストラップ(以下:FL)もマークした。 |
| 以後も安定してポイントを積み重ねたピケは、ウィリアムズのアラン・ジョーンズと熾烈なチャンピオン争いを展開、終盤には第11戦オランダGP・第12戦イタリアGPを連勝し、ランキングトップに立った。 |
| しかし第13戦カナダGPではトップ走行中にエンジントラブルでリタイヤ、このレースで優勝したジョーンズに再び逆転を許す。 |
| 続く最終戦アメリカ東GPも電気系トラブルでリタイヤとなり、ランキングは2位に終わった(計3勝、2PP)。 |
| チャンピオンは逃したものの、14戦中入賞10回(うち表彰台6回)と、安定した成績を残した。 |
| ピケは第3戦アルゼンチンGPにて、ポール・トゥー・ウィンを達成すると、続く第4戦サンマリノGPにも勝利。 |
| 以後の3戦は連続リタイヤとやや停滞したが、第8戦イギリスGPで3位に入り、ジョーンズを再逆転し、ランク2位に再浮上。 |
| 第10戦ドイツGPでシーズン3勝目を挙げて以降は、連続入賞でロイテマンを猛追、第12戦オランダGPでは一旦ランキングで同率首位に並んだ。 |
| その後、ロイテマンが再びリードするも、ピケもしぶとく食らいつき、1ポイントのビハインドで最終戦ラスベガスGPを迎えた。 |
| 酷暑の中の開催となったこのレースで、ピケは失神寸前の状況に陥りながらも5位に入り、一方のロイテマンはノーポイント(8位)。 |
| 第2戦ブラジルGP以降、ランキングトップを守っていたロイテマンを上回り、最終戦での逆転という形で、自身初の王座を手にした。 |
| この年、ピケがランキング単独トップとなったのは、この最終戦だけであった。 |
| ブラジル人としては、エマーソン・フィッティパルディに次いで2人目となった。 |
| この年も15戦中入賞10回(うち表彰台7回)と、安定した成績を残し、予選では4度のPPも獲得した。 |
| BMW開発のターボエンジンの完成度が低く苦戦。 |
| 前年のフォードNAエンジン搭載車で走った第2戦ブラジルGPでは、トップでゴールしたものの、最低重量違反で失格。 |
| 第7戦デトロイトGPでは、予選落ちまでも喫した。 |
| 第8戦カナダGPでは優勝したものの、その後もシーズンを通しては苦戦を強いられることとなる。 |
| 第12戦ドイツGPでは、シーズン2勝目のチャンスが巡ってきたが、エリセオ・サラザールを周回遅れにする際、サラザールに接触されリタイヤとなった。 |
| 結局、ランキングで僚友リカルド・パトレーゼより下の11位に終わった。 |
| 開幕戦ブラジルGPで優勝、以降は速さの面でルノーのアラン・プロストが優勢となって勝利から遠ざかるも、安定してポイントを積み重ねていた。 |
| 第12戦オランダGPではトップ走行中に、追い抜きを試みたプロストに接触されリタイヤするが、一方でプロストもリタイヤ。 |
| ピケのマシンは既にトラブルを抱えており、プロストはもう数周待てば難なく首位に立てる状況だった。 |
| オランダGP終了時点では、残り3戦でプロストに14ポイントのリードを許していたが、上記の接触から流れが変わり、第13戦イタリアGP・第14戦ヨーロッパGPと連勝し、2ポイント差にまで詰め寄った。 |
| 最終戦南アフリカGPは終始ブラバム勢のペースとなる中、プロストは早々リタイヤ。 |
| 以後のピケはパトレーゼを先行させるなど、徹底的に安全策を取る走りで3位にてフィニッシュ、1981年同様最終戦での逆転という形で2度目の王座を獲得した(シーズン3勝)。 |
| ブラバムで2度王座に就いた初(結果的に唯一)のドライバーとなり、エースとしてチームの第2期黄金期を作り上げる形となった。 |
| 1984年はマクラーレン・ポルシェがラウダとプロストのコンビでシーズンを圧巻。 |
| ピケは予選でこそ、当時のシーズン最多記録となる9度のPPを獲得したが、決勝では2勝に終わり、ランキング5位に留まった。 |
| ブラバムの戦闘力はさらに下降気味であり、前年以上の苦戦を強いられた。 |
| ピレリタイヤのタイヤ選択がはまった第7戦フランスGPでは勝利を挙げるが、これを含め表彰台は2度、入賞自体も5度に留まり、ランキングは8位と更に下がってしまった。 |
| ピケは翌シーズンもブラバムに残留することを考えた。 |
| 1978年から所属したブラバムは既に自分のチームになっていたが、契約金が少なかったことに不満を抱き、チームの能力がブラバムと同等であるウィリアムズに移籍することを決めた。 |