| 一般には宗教家または精神的指導者と見なされるが、従来的な通念をもって語ることは難しく、みずからは特定のカテゴリに分類されることを望まなかった。 |
| 数々の講話のなかで、禅を含め古今東西の宗教性の源流や注目すべき人物について語りながらも、因習的もしくは組織的な宗教についてはその弊害を強調し、それらを純粋な宗教性の追求と区別した。 |
| 初期においてはヒンディ語、のちには英語によって行われた講話の数々は、録音と録画によって記録されるとともに、多様な言語に翻訳され、膨大な数の本として出版された。 |
| 法句経/般若心経/金剛般若経をはじめとする仏典、碧巌録などを出典とする禅の逸話、ティローパやアティーシャなどチベット仏教の比較的に知られざる源流を創始した人物の言葉、インドに伝わる112の瞑想的技法の精髄を詩文として伝える「ヴィギャン・バイラーヴ・タントラ」、ウパニシャッド、パタンジャリのヨーガ・スートラ、老子や荘子の言葉、スーフィーの物語や逸話、聖トーマスによるものを含む福音書、ピタゴラスの金言集、ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』などを取り上げた講話のシリーズのほか、弟子たちや報道陣からの質問に答えた講話のシリーズ、初期における弟子たちとの間での親密な対話を収めたシリーズなどがある。 |
| 講話は多大なユーモアを伴い、たくさんのジョークが含まれている。 |
| これらの講話によって多様なトピックを扱うが、その多面性ゆえに、その内容を簡単にまとめたり、固定した教義を引き出したりするのが難しい。 |
| 便宜的な要約として、ラジニーシは、頭または心の機械的な動きや条件付けに縛られた「マインド」(mind)からの解放と意識の「目覚め」(awakening)を説き、「瞑想」(meditation)の道を示したというように言うこともできるが、これらの言葉が意味するところを理解するには体験もまた必要である。 |
| ラジニーシは同一のトピックを異なる観点や文脈をもって扱い、表面的に矛盾した見解を提示することも多く、聞き手の注意が求められる。 |
| ラジニーシは、古来から伝わる瞑想的な技法について紹介および解説するとともに、現代人に向けて新しい瞑想の技法を編み出し、西洋的なセラピーのテクニックも導入した。 |
| ラジニーシの周辺には、彼を慕う人たちのコミューン的な状況が生まれ、その状況のなかで、各種の瞑想的な技法、心身統合的セラピー、音楽をはじめとする多彩な芸術活動が営まれた。 |
| ラジニーシの講話の多様性を反映して、ラジニーシの周辺で起きた精神的な追求の背景も多様であり、東洋に伝わる古来の技法に基づくもの、禅、タオイズム、タントラ、スーフィーなどの流れをくむもの、西洋的なセラピーやヒーリングのアプローチに瞑想的な性格を加えたものなどが含まれる。 |
| このコミューン的なムーヴメントとそのなかで展開された多彩な活動の特徴として、それはラジニーシから内的に触発された多様な人々の創造性の爆発として生じた。 |
| コミューンの運営や出版に関わる領域では一定の組織体制を整えることが必要とされたが、これは精神的な権威とは見なされず、組織または団体としてのひとつにまとまった体制を備えることはなかった。 |
| ラジニーシの周辺で生じた多彩な活動は、こうした集合的なダイナミズムのなかで、発展あるいは衰退した。 |
| その中心となったのは、ラジニーシがみずから拠点とした場所としてのインドのプネー(1974~1981および1986~1990)、およびアメリカのオレゴン州に建設されたラジニーシプーラム(1981~1985)だが、ラジニーシを慕う人たちの活動は世界的な広がりを見せた。 |
| ラジニーシは、因習的な宗教や社会的な条件付けに対する批判と既存の価値観をくつがえす発言により、多くの人たちを惹きつけると同時に多くの反発を招いた。 |
| ラジニーシの周辺で生じたコミューン的な志向の強いムーヴメントも同様である。 |
| ラジニーシは、ラマナ・マハルシ(ラマナ・マハリシ)、ラーマクリシュナ、ジッドゥ・クリシュナムルティ、ゲオルギイ・グルジエフとの比較において、みずからの姿勢について、次のように語った。 |
| (Osho,“TheDhammapada”Vol.2,#2冒頭部分)。 |
| 「人をほんとうに助けようとするならば、誤解されるのは避けられない。 |
| ほんとうに助けようとするつもりがないなら、誤解されることもない。 |
| 崇拝や賞賛の的になれる。 |
| ただ話をし、哲学を説くだけなら、人は怖がらない。 |
| 彼らの人生に立ち入ろうとしないなら。 |
| 複雑な理論や思想体系を人は学びたがる。 |
| それなら申し分のない体験になる。 |
| それはエゴを強化してくれる。 |
| それはエゴを養ってくれる。 |
| だれもが知識を増やしたがっている。 |
| それは微妙にエゴを肥やす。 |
| だが、ほんとうにだれかを助けるつもりなら、厄介なことになる。 |
| いまと違った生き方へと導かなければならない。 |
| それは人のエゴの縄張りを侵すことになる。 |
| 幾世紀もの歴史を背負った習慣や構造を相手にすることになる。 |
| これは反発を招く。 |
| 人々は敵意を向けてくる。 |
| 助けようとする人物を敵と見なし、ありとあらゆる方法で悪評をたて、誤解を広めようとする。 |
| 一面的な働きかけしかしない教師たち。 |
| 彼らは美しい花ではあるが、あまり役に立たない。 |
| ジッドゥ・クリシュナムルティは、過去40年あまり、話し続けてきた。 |
| 人々は彼に耳を傾ける。 |
| 多くの人が40年以上にわたって彼の言葉に耳を傾けてきたが、彼らの意識にはなんの変化も起きていない。 |
| もちろん、もっと知識は増している。 |
| 議論や理屈がもっと得意になっている。 |
| 議論の相手としてなら、とてもよろしい。 |
| 観念の領域での微妙きわまりない題材を論じるのに慣れている。 |
| 目覚め、瞑想、意識をはじめとする多彩なテーマについて、こと細かに議論する。 |
| とても有能、とても利口になっている。 |
| だが、あいも変わらず凡俗であり、あいもかわらず愚かである。 |
| 変わったのはひとつだけ。 |
| クリシュナムルティから仕入れた知識によって愚かさを隠すことができるようになった。 |
| クリシュナムルティは知識人の玩具になった。 |
| 彼はあえて人々の人生に踏み込もうとしなかったからだ。 |
| それをするのはもちろん危険なこと、火を扱うようなことだが。 |
| シュリ・ラマン(ラマナ・マハルシ)も、人々にとって、まったく申し分のない人物だった。 |
| 人々はやってきて、花を捧げ、彼を礼拝する。 |
| もちろん美しく見事な人物だが、一面的であったことは否めない。 |
| クリシュナムルティが人々の知性に訴えたのに対し、彼は人々の感情に訴えた。 |
| ラーマクリシュナも同じだった。 |
| 多くの人たちが感動し、歓喜の涙を流した。 |
| グルジエフはまさにパイオニアだった。 |
| というのも、人に知識を授けたり、人の心を慰めたりには興味がなかった。 |
| だが、人は自分の生き方にたいへん固執しているので、それを変えようとする人物、表面的に変えるのではなく核心において変えようとする人物は敬遠される。 |