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プロフィール
- パオロ・マルディーニとは
- 略歴
- エピソード
- 代表歴
- タイトル
- 所属クラブ
- 個人成績
- 脚注・出典
パオロ・チェーザレ・マルディーニ(PaoloCesareMaldini,1968年6月26日-)は、イタリア・ミラノ出身の元サッカー選手。セリエAのACミランの前主将であり、ミランの象徴とまで呼ばれたディフェンダー。元イタリア代表選手(ワールドカップ・日韓大会後に代表引退を表明)。イタリア代表でもキャプテンをつとめた。父は息子と同じくACミランのキャプテンであり、1962-63シーズンのUEFAチャンピオンズカップを優勝するなどし、イタリア代表監督も経験した チェーザレ・マルディーニである。また、 フランコ・バレージの引退後は彼のキャプテンシーを継承した。
略歴
| ニルス・リードホルム監督の下16歳の若さでセリエAにデビューしたのち、以降25年に亘り第一線でプレイし続けた驚異的な存在。 |
| イタリア代表でも史上最多の126というキャップ数(後にファビオ・カンナバーロが更新)を記録した他、2004年にセリエA単一クラブ最多出場記録を更新。 |
| 2005年にはディノ・ゾフが持っていたセリエA最多出場記録570試合を更新している。 |
| 2007年2月20日にはチャンピオンズリーグの対セルティック戦においてチャンピオンズリーグ通算100試合出場を達成、更に同年3月11日には史上初となるセリエAのリーグ通算600試合出場を達成した。 |
| 奇しくもこの日の試合はライバル、インテル・ミラノとのミラノ・ダービーであったが白星を飾ることはできなかった。 |
| 2008年2月16日、セリエA第23節のパルマFC戦に途中出場しクラブ、U-21代表、A代表での公式戦現役合計出場1000試合を達成した。 |
| ミランのバンディエラ(旗手)として絶大な人気を誇った。 |
| 果敢な攻撃参加、1対1での強さ、状況判断の良さ、優れた戦術理解能力で、10年近く世界最高の左サイドバックの座を守り続けた。 |
| 彼のプロとしての振る舞いやフェアプレー精神はミラニスタミランサポーターのことはもとより、同じミラノのライバルのインテリスタインテルサポーターのことからも深く尊敬されるほど。 |
| 往年のインテルの名選手、ジャチント・ファッケッティは生前「彼(マルディーニ)のプレーは、世界中のサッカー選手を目指す若者の手本となっている。 |
| しかし彼の唯一の欠点は、彼がミランの選手であったことだ」と評した。 |
| 代表試合でのタイトルはなかったが、世界で最も偉大な選手の一人であり、彼がACミランでつけていた背番号3は、2005年10月18日にチェーザレ、パオロに続く親子3代のACミラン入りとなった長男クリスティアン・マルディーニ(ChristianMaldini,1996年6月14日-)が引き継がない限り、フランコ・バレージのつけていた背番号6と同様永久欠番になる。 |
| 長年一線級で活躍し、一時代を築いてきた彼は進退に対して注目されることも多かった。 |
| とはいえ、セリエAはもとより世界に於いてトップクラスの資質を保ち続けたこと、平均年齢が高齢化したミランのディフェンダー陣再構築が遅々として進んでいなかったこと、また精神的支柱としての立場を考慮し、シルヴィオ・ベルルスコーニ会長らクラブ首脳陣は慰留を続けた。 |
| 度重なる膝の怪我に悩まされ、2004年には引退をほのめかしたことがある。 |
| サイドバックとしてのスピードの衰えを指摘された彼は、本格的にセンターバックにポジションを変え、代表チームを引退し「2足の草鞋」を脱いでクラブでのプレーに専念することで、再び世界トップレベルのDFとして復活した。 |
| また、左膝の怪我や故障から、アレッサンドロ・コスタクルタと共に2007年7月末の契約満了をもって現役引退を示唆したシーズンには、チャンピオンズリーグ2006-07の決勝で優勝を決めた後「今度はクラブW杯をとりたい。 |
| 」と語り、翌シーズンもプレーする意思を表明した。 |
| 膝の怪我を手術した影響で2007-08シーズンは出場機会が限定されたものの、FIFAクラブワールドカップ2007では長年のキャリアで数々の栄光を勝ち取った本職の左サイドバックとして準決勝に途中出場、決勝でもフル出場し、見事優勝を勝ち取った。 |
| その後も契約を延長し、40歳を迎えてなおもプレーする姿はファンはもとより選手の間からも尊敬を集めた。 |
| 2009年に現役引退を発表。 |
| 一部のミラニスタとは険悪な関係であり、ホームでの現役最後の試合では、マルディーニを批判するメッセージが掲げられたが、現役最後の試合となったアウェー・フィオレンティーナ戦ではロスタイムにフィオレンティーナの選手がわざとボールを外に出しマルディーニの為だけの時間を作った。 |
| 敵味方関係なくその場にいたすべての人がスタンディングオベーションでマルディーニを称えた。 |
エピソード
| 小さい頃はミシェル・プラティニのユヴェントスのファンだった。 |
| しかし、父のチェーザレ・マルディーニから、もし本気でサッカーをするのであればACミランかインテル・ミラノを選ぶよう言われたワールドサッカーマガジン2007年4月5日Vol.153より。 |
| コスタクルタとはユース時代からの友人でミラノ市内にレストランバーとディスコを共同経営している。 |
| しばしば練習中に大音量で音楽を流し、その際にコスタクルタから怒られたことがある。 |
| 長く現役生活を続ける秘訣を記者に訊かれて「自分自身の楽天的な性格かな」と答えたりと、お茶目な一面もある。 |
| FCバルセロナがUEFAチャンピオンズリーグ2008-09で優勝した際、監督をしていたジョゼップ・グアルディオラは「優勝カップを引退するマルディーニに捧げたい」と発言した{{Citeweb。 |
| 2002年の日韓W杯では後頭部に蹴りを入れられる災難を味わう。 |
| 蹴りを入れたイ・チョンスが後に「マルディーニの頭はわざと蹴った」と語ったことで物議を醸す事となった。 |
代表歴
| 1988年 ユーゴスラビア戦で代表デビュー。 |
| 1990年 ワールドカップ・イタリア大会出場 (3位)。 |
| 1994年 ワールドカップ・アメリカ大会出場 (準優勝)。 |
| 1998年 ワールドカップ・フランス大会出場 (ベスト8)。 |
| 2002年 ワールドカップ・日韓大会出場 (ベスト16)。 |
タイトル
| セリエA優勝7回。 |
| 1987-88,1991-92,1992-93,1993-94,1995-96,1998-99,2003-04。 |
| イタリア・スーパーカップ優勝5回。 |
| 1988,1992,1993,1994,2005。 |
| UEFAチャンピオンズリーグ(UEFAチャンピオンズカップ)優勝5回。 |
| 1988-89,1989-90,1993-94,2002-03,2006-07。 |
| UEFAスーパーカップ優勝5回。 |
| 1989,1990,1994,2003,2007。 |
| インターコンチネンタルカップ(FIFAクラブワールドカップ含む)優勝3回。 |
| 1989,1990,2007。 |
| 20世紀の偉大なサッカー選手100人 21位(ワールドサッカー誌選出 1999)。 |
個人成績
| コッパ・イタリア、イタリア・スーパーカップを指す。 |
| UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAインタートトカップ、UEFAスーパーカップを指す。 |
| インターコンチネンタルカップ、FIFAクラブワールドカップを指す。 |
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1968年
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パオロ・チェーザレ・マルディーニ(Paolo Ce... |
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2004年
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引退をほのめかしたことがある |
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