| メンバーは元々吉本興業福岡事務所(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー福岡事務所以下「福岡吉本」と記述する)に所属し福岡での活動を経て上京、東京吉本の所属となる。 |
| 佐藤は6期生、黒瀬は8期生として福岡吉本でデビュー。 |
| 佐藤は約6年間、黒瀬は約4年間福岡吉本に在籍していた。 |
| パンクブーブー結成前までは、佐藤は「モンスターズ」、黒瀬は「バレッタ」という別のコンビで活動していた。 |
| 佐藤は元・福岡吉本所属で、相方が福岡市出身のため、福岡出身と勘違いされることが多い。 |
| 初対面は黒瀬を含む福岡吉本8期生の歓迎会で、佐藤はその二つ上の先輩として彼らと顔を合わせた。 |
| お互いの第一印象は佐藤→黒瀬「ダサイ奴」(黒瀬曰く、「当時は重ね着さえすればお洒落だと思っていた」といい、「重ね着の黒瀬」というあだ名がつけられていたらしい)、黒瀬→佐藤「寡黙で雰囲気のある、ちょっと怖い先輩」であり、とりたてて好印象というわけではなかった。 |
| それからしばらくは特に大きな接点のないままであったが、パチンコ好きで目押しが得意だった2人は深夜パチンコ番組のレギュラーに選ばれ、それをきっかけに親交を持つようになる。 |
| ちなみに、この番組のMCを務めていたのは、後に佐藤の義兄となるコンバット満。 |
| その後、ほぼ同時期にお互いのコンビは解散。 |
| 上京を考えていた2人は自然と行動を共にするようになる。 |
| そして、たまたまボケとツッコミだったということから、「東京で相方を探すのは大変」「とりあえず2人でやってみようか」という流れになる。 |
| 偶然と成り行きが重なった形で、2001年4月に佐藤と黒瀬でコンビ結成。 |
| それゆえ2人は、「才能に惚れた」「こいつとなら自分が目指すお笑いが実現できると思った」「お笑い芸人としての将来を誓い合った」等の「素敵で感動的なエピソードは一切無い」と語っており、「フワフワした感じで組んだ」という。 |
| ちなみに結成当初のコンビ名は、「ブーブー・ザ・パンク」だったが、程無くして現在のコンビ名「パンクブーブー」に改める。 |
| コンビ名の由来は、それぞれの解散してしまったコンビを車に例え、「車(ブーブー=コンビ)がパンクしてもくっついて力を合わせればまだ走れる」という意味。 |
| 当時の福岡吉本では所長の方針により、「東京の事務所に移籍」という形式を認めておらず、どうしても上京したい芸人は「一度吉本を辞め、東京吉本のオーディションを受けて入り直す」というのが慣例であった(佐藤の同期で彼らよりも先に東京進出したヒロシやスパローズが、上京の際に吉本を離れたのもこのため)。 |
| 上京にあたり、パンクブーブーもこれにならって一度吉本興業を辞める。 |
| 東京に来たときには、吉本にこだわらず東京の芸能事務所のオーディションに参加していた。 |
| それから間もなく、東京に転勤になったその福岡吉本所長(二人を事実上解雇した張本人)から謝罪を受け、「吉本の新しい劇場(ルミネtheよしもと)がもうすぐ完成するから、もう一度吉本に来い」と誘われる。 |
| 結果、再び吉本入りを決意。 |
| ルミネの誕生と共にルミネの舞台に立ち続けている数少ない芸人でもある。 |
| 結成から2年後の2003年、NHK『爆笑オンエアバトル』に初出演し、番組記録タイとなる高得点をマーク。 |
| (詳細は後述)。 |
| 一躍、コアなお笑いファンの注目を集める存在となる。 |
| その後も当番組に継続出演し、屈指の強豪として知名度を上げ、当番組を支える一組となった。 |
| 第2回、第3回お笑いホープ大賞で決勝進出。 |
| 第2回大会の決勝では珍しくコントを披露したが、ネタの途中で女装していた佐藤のパンツが見えてしまい、それを黒瀬が笑ってしまいネタが後半おかしくなり優勝を逃した。 |
| 2009年3月9日、オリエンタルラジオのスケジュールの都合で月曜一部オリエンタルラジオのよしもとオンラインをパンクブーブーのよしもとオンラインとして担当した。 |
| 2009年、M-1グランプリ決勝で優勝。 |
| 九州出身の芸人、且つ吉本所属の関東漫才師として初の受賞。 |
| また、大阪を除く吉本地方事務所出身者としても初の優勝。 |
| 2010年10月7日フットボールアワーのオンラインを担当したが、麒麟のオンライン2回、フットボールアワー1回担当したのは覚えていたがオリエンタルラジオのオンラインを担当していたことを忘れていた。 |
| 2010年10月19日ペナルティーのオンラインを担当した。 |
| 2010年、M-1グランプリにて、準決勝で敗退するも敗者復活を勝ち上がり決勝進出。 |
| 最終結果は3位。 |