| そのため同じくトーマスのプロデュースで行っていたアルバムのレコーディングを中断し、プロデューサーをスティーヴ・リリーホワイトに代えてレコーディングを再開した。 |
| 1983年、スティーヴ・リリーホワイトのプロデュースによりセカンドシングル「フィールズ・オブ・ファイヤー」をリリース。 |
| その後サードシングル「インナ・ビッグ・カントリー」をリリースした。 |
| この「インナ・ビッグ・カントリー」は全英17位という好記録を残した。 |
| そして日本でも大ヒットし、当時柳ジョージがカバーしたほどだった。 |
| また、8月には1stアルバム『インナ・ビッグ・カントリー(TheCrossing)』をリリースした。 |
| 全英チャート3位にランクインされるなど早くも人気バンドになった。 |
| そして同年12月にはアルバム未収録のシングル「ワンダーランド」をリリース。 |
| 1984年、2ndアルバム『スティールタウン~ビッグ・カントリーⅡ(Steeltown)』をリリース。 |
| 初の全英1位を獲得し、大ヒットアルバムとなった。 |
| 1986年、ロビン・ミラーのプロデュースで3rdアルバム『ザ・シーア(TheSeer)』をリリース。 |
| ケイト・ブッシュなどをゲストに迎えたこの作品は全英5位にランクイン。 |
| 1988年、オーストリア人ピーター・ウルフをプロデューサーに迎えた4thアルバム『ピース・イン・アワー・タイム(PeaceInOurTime)』をリリース。 |
| このアルバムはこれまでのアルバムとは異なり、アメリカのマーケットを強く意識した作品となっている。 |
| このアルバムから「キング・オブ・エモーション」という全英13位のヒットも生まれた。 |
| 1990年、ドラマーのマーク・ブレゼジッキーが脱退。 |
| しかし、「セイヴ・ミー」、「ハート・オブ・ザ・ワールド」という2枚のシングルを出して健在ぶりをアピールした。 |
| また、初のベスト盤『スルー・ア・ビッグ・カントリー・グレイテスト・ヒッツ(ThroughABigCountryGreatestHits)』もリリースし、全英2位にランクインされた。 |
| そして同年の9月には5thアルバム『ノー・プレイス・ライク・ホーム(NoPlaceLikeHome)』をリリース。 |
| 前作のアメリカンサウンドと初期のケルト風サウンドをうまく融合させた作品となった。 |
| 1995年、マーク・ブレゼジッキー復帰。 |
| 7thアルバム『ホワイ・ザ・ロング・フェイス?』リリース。 |
| 1999年、8thアルバム『ドライヴィング・トゥ・ダマスカス』リリース。 |
| しかしチャートでは苦戦し、アダムソンは失望する。 |
| 同年暮れ、アダムソンは休息が必要だとして公の場から姿を消す。 |
| 2000年、アダムソンも復帰してフェアウェル・ツアー敢行し、グループは解散。 |
| ブルース・ワトソンとマーク・ブレゼジッキーはカスバ・クラブに加入。 |
| トニー・バトラーはソロ活動に入る。 |
| 2001年11月、アダムソンが再び失踪。 |
| 2001年12月16日、ホノルルのベストウエスタンプラザ・ホテルの部屋で死体で首を吊った状態で発見された。 |
| 司法解剖の結果は窒息死 |
| アダムソン・メモリアル・コンサートは2002年1月にダンファームリンのカーネギー・ホールで開催された。 |
| 5月にはバロウランドでトリビュート・コンサートが開催された。 |
| このコンサートにはビッグ・カントリーとザ・スキッズのメンバー、アダムソンの2人の子供、スティーブ・ハーレー、ランリグのメンバー、サイモン・タウンゼント、ミッジ・ユーロ、ビル・ネルソンらが参加した。 |
| 2007年、オリジナルメンバー3人で再結成。 |