| その後、音楽誌「メロディ・メーカー」のメンバー募集の広告を出していたジョン・アンダーソン、クリス・スクワイアと連絡を取り、イエスに迎えられることとなった。 |
| 彼によると、イエスをジャズ・バンドだと思って加入したそうである。 |
| 一度はイエスを抜けて大学に通うが、イエスに復帰し、デビュー・アルバム『イエス・ファースト・アルバム(Yes)』(1969年)を録音し、多くのライヴ活動をイギリス各地で行なっている。 |
| その後のイエスのアルバム『時間と言葉(TimeAndAWord)』(1970年)、『イエス・サード・アルバム(TheYesAlbum)』(1971年)、『こわれもの(Fragile)』(1972年)、『危機(CloseToTheEdge)』(1972年)でドラマーを務めた。 |
| この時期はイエスにとって、いわゆる「黄金時代」とされている時期であり、その中でビル・ブラッフォードはポリリズムを駆使した彼独特のプレイスタイルを存分に聴かせている。 |
| 『危機』の発表後にイエスを脱退し、キング・クリムゾンに加入。 |
| スタジオアルバムでは『太陽と戦慄(Larks'TonguesInAspic)』(1973年)、『暗黒の世界(StarlessAndBibleBlack)』(1974年)、『レッド(Red)』(1974年)に参加した。 |
| こちらではイエスの構築美とは対照的に激しい即興演奏の妙味を聴かせている。 |
| キング・クリムゾン解散後は、カンタベリージャズロックの代表ナショナル・ヘルスやゴング、そしてフィル・コリンズの要請でジェネシスのツアーメンバーなどのセッション活動を経て、初のソロアルバムを発表。 |
| ベースにはナショナル・ヘルスの同僚だったニール・マーレイが当初参加していたが、イメージに合わないとの理由からパトリック・モラーツの紹介でジェフ・バーリンを招聘した(自伝より)。 |
| その後、クリムゾンの同僚、ジョン・ウェットンとともに1978年にスーパー・バンドといわれたU.K.を結成。 |
| アルバム1枚でU.K.を脱退し、翌1979年にソロアルバム製作時のメンバーだった元ライフタイム、ソフトマシーンのギタリスト、アラン・ホールズワースや元ナショナル・ヘルスのデイブ・スチュワートとともに自身のバンドであるブラッフォードを結成した。 |
| しかし、アルバム『OneofaKind』発表後のツアーを終えるとホールズワースは脱退し、新たなギタリスト、ジョン・クラークが加入して、1枚のスタジオ録音アルバムとライブ・アルバムを発表するものの、バンドは経済的に行き詰まり1980年に活動を停止した。 |
| 1981年に、再結成されたキング・クリムゾンに参加。 |
| 最先端のエレクトリック・ドラム「シモンズ」を使ったポリリズムが話題となった。 |
| 再結成キング・クリムゾンが3枚のアルバムを発表後に再び活動停止状態となると、ジャズ・ロックの分野での活動にシフト。 |
| 元イエスのパトリック・モラーツとのデュオは話題となり 渡辺貞夫がプロデュースのジャズイベントで来日公演をした。 |
| 1986年に自身のジャズ・バンドであるアースワークスを結成。 |
| 当時の最先端楽器だったエレクトリック・ドラムをジャズでも自在に操る奏者としても名を馳せた。 |
| これと並行して1989年には実質的なイエスの再結成バンドであるアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウに参加し、1991年には再々結成したイエスのツアーに参加したが、短期間で再び脱退。 |
| 1994年にはダブルトリオとして再編成されたキング・クリムゾンに参加した。 |
| アコースティックドラムへの回帰を志向するブラッフォードに対し、パット・マステロットと同様にローランド製のエレクトリックドラムの使用を求めるロバート・フリップとの見解の相違から、1997年にキング・クリムゾンを脱退。 |
| 以降、アースワークスや、ブラッフォード・レヴィン・アッパー・エクストリミティーズなど自身が中心となるプロジェクトで活動していくようになる。 |
| 自身のプロジェクトでもプログレ系ミュージシャンを多数起用しており、彼抜きにプログレは語れないといえるほどの存在感を示したが近年はロックミュージックからは距離を置いた活動に重きを置いており、自身が中心となるコンテンポラリージャズのバンド「BillBruford'sEarthworks」(1980年代に活動した同名のバンドとはメンバー構成が異なる)のリーダーとしても精力的に活動している。 |
| また、渡辺香津美の『SpiceofLife』と続編の『SpiceofLifeTOO』のレコーディング及びツアーに、ジェフ・バーリンと共に参加(続編のツアー時はバーリンに代わってバニー・ブルネルが参加)するなど、ジャズ・フュージョン分野での活動も行っている。 |
| 意外なところでは久石譲のアルバム『地上の楽園』、井上鑑のアルバム『TOKYO INSTALLATION』及び、井上がサウンドプロデュースを担当した杏里の『TROUBLEINPARADISE』などのアルバムにも参加している。 |
| 2009年、還暦を過ぎたことから「ライブ活動からの引退」を宣言し、現在は表立った活動をしていない。 |
| 彼自身の言によると、ローディーやマネージャーを雇わず、ツアーに伴う航空機のチケット手配に至るまですべての仕事を自分一人で行う主義のため、負担が大きく演奏活動は60歳までと考えていたという。 |