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プロフィール
- フアン・カルロス1世とは
- 生い立ち
- 即位
- クーデター未遂事件
- 国際会議で一喝
- 人物
- 家族
- 称号
- 関連項目
- 日本語文献
- 脚注・出典
- 関連サイト
フアン・カルロス1世(、1938年1月5日-)は、スペイン国王(在位:1975年11月22日-)。実名はフアン・カルロス・アルフォンソ・ビクトル・マリーア・デ・ボルボン・イ・ボルボン=ドス・シシリアス()。父(バルセロナ伯爵 フアン)、母方の祖父(両シチリア王子カルロ)、父方の祖父( アルフォンソ13世)、父方の祖母( ビクトリア・エウヘニア)、母(マリア・デ・ラス・メルセデス)からそれぞれ名前がとられている。しばしば カルロス国王と略称されるが、適切な呼称とはいえない。
生い立ち
| 祖父であるスペイン・ブルボン朝(ボルボン朝)のスペイン国王アルフォンソ13世は、1931年の共和派政権の誕生を受けて家族とともにイタリア王国の首都であるローマへ亡命し、王政は終わりを迎えて共和政が成立した。 |
| その後発生したスペイン内戦を経て、フランシスコ・フランコがカウディーリョとして国を治めることになった。 |
| そのような状況の下、フアン・カルロスは1938年に亡命先のローマで、アルフォンソ13世の四男バルセロナ伯爵フアン・デ・ボルボーン・イ・バッテンベルグ(1913年-1993年)と、旧両シチリア王国の王族マリア・デ・ラス・メルセデス(1910年-2000年)の間の長男として生まれる。 |
| フアン・カルロスは、第二次世界大戦の終結後のイタリアにおける、国民投票の結果を受けた共和制移行とそれに伴うイタリア王室の国外追放を受けて、1948年にスペインへ戻り、フランコの庇護の下、フランコ亡き後の指導者になるべく教育を受けた。 |
| 帰国後はサン・セバスティアンで初等教育を受け、陸軍に入隊した。 |
| その後、マドリード大学で学んだ。 |
即位
| 1975年11月20日にフランコが死去すると、フアン・カルロス1世はフランコの遺言に従って同年11月22日に即位した。 |
| 即位前にフランコの庇護の下で帝王学の教育を受けていたこともあり、そのまま国王を筆頭とした権威主義体制を採るかと思われた。 |
| しかし即位後はフランコの権威主義体制を受け継がず、一転して他のヨーロッパの立憲君主国を模範とした政治の民主化を推し進めた。 |
| 国王の姿勢は、フランコの葬儀の時に参列したチリ大統領アウグスト・ピノチェトをすぐさま追い返すなど、早くからその片鱗が現れていた。 |
| 1977年には41年ぶりに総選挙が行われ、1978年に新憲法が承認されてスペインは立憲君主制に移行した。 |
| 新憲法では、国王は儀礼的な役割を果たすのみとされ、スペインにおける権威主義体制の解体と民主政治確立に大きな功績を残した。 |
| 1981年のアメリカ訪問では、ニューヨーク近代美術館に「貸与」していたパブロ・ピカソの『ゲルニカ』の返還を要請し、これによって『ゲルニカ』はニューヨーク近代美術館からプラド美術館を経て、ソフィア王妃芸術センターに安住の地を得ることになった。 |
クーデター未遂事件
| 1981年2月23日には、国王親政の復活を求めるアルフォンソ・アルマダ・コミン陸軍参謀次長の信任を受けた、グアルディア・シビル所属のアントニオ・テヘーロ中佐が率いる約200人の兵士により議会が占拠され、アドルフォ・スアレス首相ら閣僚と議員350人が人質に取られるクーデターが発生した(23-Fと呼ばれる)。 |
| しかし国王はこの申し出を拒否し、直ちに全軍の指揮官に対してこのクーデターに賛同しないよう呼びかけると同時に、テレビで国民に平静を呼びかけ、民主政治の維持を図った。 |
| また、翌24日には陸軍兵士らも国王の呼びかけに応じて投降したため、国民から国王への信頼は不動のものとなった。 |
| このとき、感想を問われ「自分の給料分、働いただけです」と答えた。 |
| しかしフアン・カルロス1世の非公認の「伝記」を著したパトリシア・スベルロ(PatriciaSverlo)によれば、「このクーデターは国内を政治的に安定させ国王の人気を高めるために仕組まれたものであった可能性もある」という。 |
| ともあれ、その後も国王としてのフアン・カルロス1世の人気は絶大で、2005年に保守系新聞「エル・ムンド」紙によって行われたアンケートによれば、国王に対して「良い」あるいは「非常に良い」印象をもっている国民は77.5%に達しているが、カタルーニャ州やガリシア州では、国王の肖像写真が白昼堂々公衆の面前で燃やされるなどの事件も起きている。 |
国際会議で一喝
| 2007年11月10日、チリで行われていた第17回イベロアメリカ首脳会議の閉幕式で、スペイン前首相アスナールを激しく批判したベネズエラ大統領チャベスと、これを民主的に選ばれた代表に対する侮辱と受け取って強く反発したスペイン現首相サパテーロが口論となり、サパテーロの諫言を全く聞き入れず一方的に批判を続けるチャベスに対して、フアン・カルロス1世が「¿Porquénotecallas?(黙ったらどうかね?)」と一喝した。 |
| その後、国王のこの一言は携帯電話の着信メロディやTシャツなど様々な用途に商品化され、スペインでヒットした。 |
| 着信メロディはおよそ50万のダウンロードにより約2億4千万円の利益を生んだ。 |
| 但し、着信メロディの声は国王のものではなく、別人によるものであるという。 |
| なお、翌年7月のチャベスによるスペイン訪問の際には、国王自らこのTシャツをプレゼントし、チャベスはこれに対して印税を話題にした冗談で応じるなど、友好ムードで会談が行われた。 |
人物
| ヨットの代表選手としてオリンピックに出場したこともある(ミュンヘンオリンピックで15位になり、ジョークで「フアン・カルロス・スペイン1世・ミュンヘン15世」と呼ばれた)。 |
| また、アマチュア無線家としても知られる。 |
| コールサインはEA0JC(JuanCarlos)。 |
| フェルナンド・アロンソなどスペイン人レーシングドライバーの参戦も多いF1や、スペインで人気が高いMotoGPの大ファンであり、F1やMotoGPのスペインGPには毎年のごとく来場している。 |
| モナコのアルベール2世大公などを例外として、一国の元首クラスの要人としては異例のことである。 |
| MotoGPライダーのアンヘル・ニエトとは友人であり、1982年のスペインGP前にはニエトを当時の最高峰クラスであるGP500クラスにスポット参戦させるため、自らスペインのホンダ現地法人を通じてホンダ・レーシング(HRC)にかけ合い、ニエト用にNS500を貸し出させたというエピソードもある「ホンダ二輪戦士たちの戦い(下)」(富樫ヨーコ、講談社)の記述によれば、HRCではやむなくニエトの友人であり当時HRC所属だったマルコ・ルッキネリに相談し、当初ルッキネリのスペアマシン用に持ってきたマシンをニエトに提供したとのこと。 |
| 結果は転倒リタイヤであった。 |
| 上記のような趣味から「ぜいたく好き」とも見なされている。 |
| 2007年8月29日、左派政党から公金使途詳細の公表を求められていることを受け、監査人を指名した。 |
家族
| 即位以前の1962年にギリシャ国王パウロス1世の王女ソフィア(1938年-)と結婚した。 |
| 1男2女がいる。 |
| #エレーナ(1963年-)ルーゴ女公爵。 |
| 1995年にナバラ=バスク系貴族ハイメ・デ・マリチャラルと結婚。 |
| #クリスティーナ(1965年-)パルマ・デ・マリョルカ女公爵。 |
| 1997年にプロ・ハンドボール選手イニャキ・ウルダンガリンと結婚。 |
| #フェリペ(1968年-)アストゥリアス公(王太子)。 |
| 2004年に元テレビキャスターのレティシア・オルティスと結婚。 |
称号
| レコンキスタとスペイン統一、十字軍、スペイン継承戦争、かつてのスペイン帝国などの歴史的経緯や王室の婚姻関係などから、フアン・カルロス1世は長大な正式称号を有している。 |
| 王の称号の法的根拠は1978年憲法第56条2項であり、そこでは「スペイン国王」のみが明記されているが、同時に「国王は王位にふさわしいその他の称号を用いることができる」とも記されている。 |
| 以下はウィキペディア・スペイン語版の記述に基づく正式称号の抜粋である。 |
| 王:スペイン、カスティーリャ、レオン、アラゴン、両シチリア(ナポリ及びシチリア)、エルサレム、ナバラ、グラナダ、トレド、バレンシア、ガリシア、マリョルカ、セビーリャ、サルデーニャ、コルドバ、コルシカ、ムルシア、メノルカ、ハエン、アルガルヴェ、アルヘシラス、ジブラルタル、カナリア諸島、東インディアス、西インディアス及び大洋の征服せらる島嶼及び陸地(IslasyTierraFirmedelMarOcéano);。 |
| 公:ブルゴーニュ、ブラバント、ミラノ、アテネ及びネオパトラス;。 |
| 伯:ハプスブルク(スイス・アールガウ)、フランドル、チロル、ルシヨン、バルセロナ(カタルーニャ君主);。 |
| 領主(Señor):ビスカヤ、モリナ;。 |
| 国軍最高司令官(CapitánGeneraldelasFuerzasArmadas,delasqueostentaelmandosupremo);。 |
| 金羊毛騎士団(スペイン)団長(SoberanoGranMaestredelaInsigneOrdendelToisóndeOro);。 |
関連項目
| スペインのユーロ硬貨(1ユーロ、2ユーロ硬貨に肖像が刻印されている)。 |
| エル・エスコリアル多くの歴代国王の埋葬地。 |
日本語文献
| ホセ・ルイス・デ・ビラジョンガ、荻内勝之訳『国王スペイン国王ドン・フアン・カルロス1世との対談』(オプトコミュニケーションズ、1994年)-現代スペイン史を自らの言葉で語った。 |
脚注・出典
| arz:خوانكارلوسالاولانىملكاسپانيا。 |
| ast:XuanCarlosId'España。 |
| be-x-old:Хуан-КарласI。 |
| ext:JuanCarlosId'España。 |
| nah:JuanCarlosI。 |
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1938年
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亡命先のローマで、アルフォンソ13世の四男バ... |
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1948年
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スペインへ戻り、フランコの庇護の下、フラン... |
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