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プロフィール
- フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービとは
- 生涯
- 思想
- 影響
- 主な作品
生涯
| 1743年に、デュッセルドルフの裕福なドイツ系ユダヤ人の商人の次男として生まれた。 |
| 1770年までは、商人として生計を立てていた。 |
| 1771年にベルク公国の宮廷メンバーとして迎えられた。 |
| そこでは、財政への知識と社会改革への熱意からしだいに著名になっていった。 |
| 彼は、常に哲学と文学への関心を持ち続けていた。 |
| 彼の兄で詩人のヨハン・ゲオルク・ヤコービを介して、ドイツの詩人ヴィーラントとともに文学雑誌を刊行し、名を轟かす。 |
| 当時の学者層とも知り合いが多く、レッシング、ハーマン、ヘルダー、ゲーテなどとは親交が深かった。 |
| 彼は、文才があることでもしられ、彼の美文に惹かれた者が多かった。 |
| 1785年のスピノザ論争を契機に哲学の論壇に登場。 |
| 1794年には、フランス革命軍がデュッセルドルフに来たため、デュッセルドルフを去る。 |
| その後は、ハンブルクなどに在住。 |
| 1804年にはミュンヘン学士院に哲学教授として招聘される。 |
| 1807年から1812年までは、バイエルン学士院の長を務めた。 |
思想
| ヤコービにとって哲学の業績はカント哲学に対する論駁と、フィヒテをはじめドイツ観念論に対する影響である。 |
| しかし、体系的な論駁でなく、欠点を指摘し主張するといった手法である。 |
| ただ概念(悟性、信仰、感性など)に対する定義も厳密さに欠けており、論理性に乏しい面も否めない。 |
| この点で概念を厳密に定義する、カントやドイツ観念論の哲学とは対照的である。 |
| ヤコービによると感官(Sinn)こそが直観し、真なるものを把握するものであるという。 |
| これにより、悟性では解決しがたい問題を提起する超感性的な問題に対しても、直接的に触れることができるものであるという。 |
| これにより、悟性(この場合、カントなどが指していた悟性ではなく、いわゆる大陸合論主義者らの説く古い意味での悟性)を基礎におく古い形而上学を批判し、18世紀までの合理主義哲学を批判した。 |
| この点ではカントと一致している。 |
| ヤコービは、こうした古い形而上学をスピノザ主義(すなわち無神論)であるとし、また悟性それだけでは高みに到達しえないとし、激しく攻撃した。 |
| ただヤコービはこの「感官」という概念を感性という意味でと、直観や洞察力のような精神的な感官という意味合いで使っており、やや曖昧である。 |
| ヤコービによると、悟性はそれだけでは事物を認識することはできず、感性と結びつくことによって初めてその事物が事物として知覚することができる。 |
| この知覚とは、ヤコービによれば単に受動的な作用としてあるのではなく、同時に活動的であるのだという。 |
| つまり、知覚という認識能力は単に受動的であるのではなく、活動性の1つの原理の様態として、受動的なのである。 |
| 換言すれば、自発性の「反作用」としてあるのであり、ゆえに人間の自発性は受容性と共に存在するものであり、一切の認識は感性を通して与えられたものではなく、魂の生きた活動的な能力によってのみ可能であるとした。 |
影響
| ヤコービの哲学は、体系付けられたものではなく、主に手紙でのやり取りや、講義などによるものが多く、哲学的というよりは、むしろ文学的な体裁でまとめられているのが特徴である。 |
| ちなみに、著作集は全部で6巻であり、生前自身の手によって編集されたものである。 |
| この時代に活躍した哲学・文学者の著作によって、ヤコービについて言及されている箇所は幾度も散見できるが、直接与えた影響としては、モーゼス・メンデルスゾーンなどとによるスピノザ論争がある。 |
| 1785年『スピノザの学説に関するモーゼス・メンデルスゾーン氏宛書簡』を出版してからは、カント、ハーマン、ヘルダー、ゲーテらが論争に加わった。 |
| また20才の学生だったヘーゲルはヘルダーリンとともにこの往復書簡集を読み、1791年2月12日のノートには汎神論論争のスローガンでもあった「ヘン・カイ・パーン(一にして全)」と書き付けている笹澤豊「ヘーゲルとヤコービ:スピノザ主義の問題を巡って」『講座 ドイツ観念論』5巻(弘文堂、1990)所収。 |
| 汎神論論争ののち14年後にはヨハン・ゴットリープ・フィヒテのイェナ追放を巡り、無神論論争が起こった。 |
| このときヤコービはフィヒテと思想を異にしつつも、不当な追放を非難し、フィヒテを弁護した。 |
| (なお、このやり取りの中でフィヒテの考えがニヒリズム(Nihilismus)であるということを指摘した。 |
| これが、ニヒリズムという用語の語源であるというのが通説である)1733年にFriedrichLebrechtGoetzがその語を原子論の意味では既に用いている。 |
| ヤコービの文筆活動はこのように非常に論争的でまた時局あるいは状況に即した領域で行われ、1800年前後のドイツの思想界・論壇に影響を与えた。 |
主な作品
| ヤコービの著作はあまり知られていないので、場合によってはタイトルの訳に若干の違いがある。 |
| 現時点でまとまった形での邦訳はされていない。 |
| 『アルヴィル』(Allwill)。 |
| 『デビット・ヒュームの信仰』(DavidHumeüberdenGlauben,oderIdealismusundRealismus)。 |
| 『スピノザの教説について』(ÜberdieLehredesSpinoza,inBriefenanMendelssohn)。 |
| 『フィヒテへの手紙』(SendschreibenanFichte)。 |
| 『ヴォルデマール』(Woldemar)。 |
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1733年
|
Friedrich Lebrecht Goetzがその語を原子論の... |
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1743年
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デュッセルドルフの裕福なドイツ系ユダヤ人の... |
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