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プロフィール
- プライマル・スクリームとは
- 前史
- ソニック・フラワー・グルーヴ
- ローデッド
- ギヴ・アウト・バット・ドント・ギブ・アップ
- バニシング・ポイント
- XTRMNTR、イーヴル・ヒート
- ライオット・シティ・ブルース、ビューティフル・フューチャー
- メンバー
- 使用楽器と演奏スタイル
- 関連サイト
プライマル・スクリーム(PrimalScream)は、1982年にスコットランドのグラスゴーでボビー・ギレスピーとジム・ビーティによって結成されたロックバンドである。プライマル・スクリームはその長きに渡る活動の中で、音楽性を多分に変化させてきた。当初ビーティの12弦ギターが印象的なギター・ポップバンドだった彼らは、代表作『スクリーマデリカ』でダンスミュージックに接近し、ドラッグ・レイヴカルチャーとの結びつきを強めた。彼らはアルバム毎に変化を続け、 ポストパンク、 ダブ、 ガレージロック等、様々なジャンル ...
前史
| ボビー・ギレスピーとロバート・ヤングは、共にグラスゴーのキングスパーク・セカンダリースクールに通っていたヒューイット、24頁。 |
| ギレスピーの父は熱心な労働党支持者で、労働組合の幹部を務めていた。 |
| ギレスピーには2つ年上のアラン・マッギーという友人がいた。 |
| 当初ギレスピーとマッギーは大親友という程ではなかったが、ギレスピーが誘ったシン・リジーのショーをきっかけに連れ立ってコンサートへ足を運ぶようになっていった{{#tag:ref|ギレスピーは当時まだライブへ行ったことが無く、場慣れしたマッギーを誘う必要があった『スヌーザー』2003年12月号、リトル・モア、2003年、33頁。 |
| 彼らは当時流行していたパンク・ロックを通じて親交を深め、マッギーが1975年に学校を退学する頃には互いの一番の親友となっていたヒューイット、49頁。 |
| マッギーの妹スーザンのインタビューより。 |
| パンクに出会った彼らは反抗期を迎え、音楽のこと以外には興味を示さなくなった。 |
| 当時の彼らはいつも喧嘩腰で、信じられないほどの癇癪持ちだったというヒューイット、48頁。 |
| アンドリュー・イネスは、ザ・ドレインズというバンドでギターを弾いていた。 |
| このバンドのベース募集にマッギーが応募したことで彼らは出会ったヒューイット、26頁。 |
| マッギーはこの募集への唯一の応募者ということもあり、ベースプレイヤーとしてドレインズのメンバーに加わることになった。 |
| ギレスピーはマッギーを通じてイネスと知り合った。 |
| 2、3ヵ月が経ち、イネスとマッギーはドレインズの他のメンバーを追い出し、ギレスピーを加えてキャプテン・スカーレット・アンド・ザ・ミステロンズというバンドのようなものを始めた。 |
| 当時の彼らはザ・クラッシュやザ・ジャムに夢中で、パンクの有名曲を弾くことが出来たイネスをギレスピーは尊敬していた。 |
| このバンドごっこの後、イネスとマッギーは1978年から1979年にかけていくつかのバンドに所属した。 |
| このバンドの中には、後にRCAレコードから幾つかのヒットシングルを出すH2Oも含まれているヒューイット、27頁。 |
| 1980年の6月、マッギーはイネスの誘いでロンドンへ上京したヒューイット、28頁。 |
| ヒューイット、32頁。 |
| マッギーはグラスゴー時代と変わらずイギリス国鉄で働き、同僚女性と結婚した。 |
| 彼はイネスと自身のバンドで活動する傍らリヴィング・ルームというクラブイベントを主催し、次第にインディー界隈で名の知られる存在になっていったヒューイット、42頁。 |
ソニック・フラワー・グルーヴ
| 1人グラスゴーに残されたギレスピーは、友人のジム・ビーティとプライマル・スクリームを結成した。 |
| 彼らが作った「エレメンタル・ノイズ・テープス」なるデモテープは、ギレスピーがゴミ箱を叩き、そこにビーティがファズ・ギターを乗せていた。 |
| ギレスピーは1987年にブライトンに移住するまでグラスゴーを拠点にしていたが、1983年にはリヴィング・ルームに度々出演するようになっていたヒューイット、104頁。 |
| プライマル・スクリームは、1984年10月に正式な初ライブを行った。 |
| 「アイロニカルだけど、パブリック・イメージ・リミテッドみたい」マッギー曰くこの頃のバンドは、ポストパンク的なスタイルを取り入れていた。 |
| 当時のギレスピーはプライマル・スクリームの活動と並行してジーザス&メリーチェインのドラマーを務めていた。 |
| 彼は以前オルタード・イメージズでローディを務めた経験があり、気性が激しいドラマーが手に負えなくると、代役としてドラムを叩いていたヒューイット、76頁。 |
| ギレスピーはメリーチェインが『サイコキャンディ』を出した絶頂期に正式メンバーとしての誘いを受けるが、彼はこれを拒絶してメリーチェインを脱退した。 |
| また、ギレスピーはこの時期印刷工をやっていたため、マッギーが設立したクリエイション・レコーズのスリーブは彼が印刷していたヒューイット、103頁。 |
| 1984年、バンドはマッギー率いるクリエイション・レコーズと契約し、ビーティが作り出す12弦ギターの音色が特徴的な「オール・フォール・ダウン」、「クリスタル・クレッセント」というシングル2枚を発売した。 |
| シングルのレビューには暫しザ・バーズ、スモール・フェイセズ等が引き合いに出され、2枚目のシングル「クリスタル・クレッセント」のB面に収録された「ヴェロシティ・ガール」は、NME誌が付録につけた『C86』というカセットテープの1曲目に収録され、ささやかな注目を浴びたヒューイット、99頁。 |
| ストーン・ローゼズのジョン・スクワイアは、後にこの頃のプライマル・スクリームのスタイルが彼らのファーストアルバムの青写真になったことを話している『ロッキング・オン』2003年11月号、ロッキング・オン社、2003年、85頁。 |
| ローゼズのヒット曲「メイド・オブ・ストーン」が「ヴェロシティ・ガール」と酷似していることも周知の事実だ。 |
| 1986年にはボーカルにギレスピー、ギターにビーティとイネス、ベースにヤングというラインナップが揃った。 |
| 1987年、プライマル・スクリームは、マッギーがワーナーと共同出資して設立したエレヴェイション・レコーズからファーストアルバム『ソニック・フラワー・グルーヴ』を発売した。 |
| 作中の何曲かには、後に正式メンバーとなるフェルトのキーボーディスト、マーティン・ダフィが参加した。 |
| バーミンガム出身のこのキーボーディストには、ギレスピーと同じく労働組合幹部の父がいた。 |
| 元レッド・クレイオラのメイヨ・トンプソンがプロデュースしたこのアルバムは、メディアの高い評価とは裏腹に商業的な成功は収められなかったヒューイット、105頁。 |
| ワーナーから契約を破棄されたバンドはクリエイションに復帰し、12000ポンドのレコーディング費用を受け取り、次のアルバム制作に取り掛かった。 |
| ファーストアルバムでギレスピーと共にバンドの中核を担ったビーティはすでにバンドを離れていた。 |
| ビーティ脱退後、ヤングがベースからギターへ転向し、ビーティ、ギレスピーの連名だったソングクレジットは、全てギレスピー、イネス、ヤングの連名へと変わった。 |
ローデッド
| 1989年に発売されたセルフタイトルのセカンドアルバム『プライマル・スクリーム』は、ガレージ・ロック色の濃いアルバムとなった。 |
| このアルバムはインディチャートでトップとなるが、チャートからは4週間で姿を消したヒューイット、143頁。 |
| 後年、クリエイションのプレス担当を務めたジェフ・バレット当時のクリエイションスタッフで、後のヘヴンリー・レコーズ主宰。 |
| は「誰からも受け入れられなかった。 |
| まったく誰からも」と、当時の状況を振り返った。 |
| 好意的な記事はメロディ・メイカー誌に僅かに載る程度に終わり、最終的にバレットはクリエイションを解雇された。 |
| 彼はプライマル・スクリームとの関係を継続させてくれるよう懇願したが、マッギーはそれを受け入れなかったヒューイット、137頁。 |
| バレットはクリエイションを離れた後、知人を介して知り合った人気DJ・アンドリュー・ウェザオールにプライマル・スクリームを紹介したヒューイット、142頁。 |
| ウェザオールはセカンドアルバムの中から「アイム・ルージング・モア・ザン・アイル・エヴァー・ハヴ」というバラードを気に入り、後にイネスと共にこの曲にリミックスを施したヒューイット、143頁。 |
| 「ローデッド」のホワイトレーベルは瞬く間にイギリス中のDJへと行き渡り、プライマル・スクリーム初のヒットシングルが生まれた。 |
| 「ローデッドには当時の最先端のあらゆる要素が全て詰め込まれ、アシッド・ハウスとロックのカルチャーを一つにまとめていた」当時のプレス担当クリエイションでプレス担当を勤めていた女性。 |
| ジーザス&メリー・チェインのジム・リードと付き合っていたことを切っ掛けにクリエイションで働き始めた。 |
| 『クリエイションレコーズ物語』中では「ローレンス」とだけ書かれている。 |
| はこう振りかえったヒューイット、300頁。 |
| 「ローデッド」を含むバンドの出世作『スクリーマデリカ』は1991年に発売された。 |
| 作中の代表曲「ハイヤー・ザン・ザ・サン」は、ストーン・ローゼズの「フールズ・ゴールド」と並び、セカンド・サマー・オブ・ラブと称された世代のアンセムとされた『ロッキング・オン』2003年11月号、ロッキング・オン社、2003年、85頁。 |
| アルバムのクレジットには、ウェザオール、ジ・オーブ、ヒューゴ・ニコルソンといったダンス系のミュージシャンから、ローリング・ストーンズとの仕事で知られるジミー・ミラーまで様々な顔ぶれが並んだ。 |
| よりダンス的なグルーヴに傾倒し、「時代を切り取った『BUZZ』2003年1月号、ロッキング・オン社、2003年、34-35頁。 |
| 」このアルバムは、マーキュリー賞の初代ウィナーとなった。 |
| アルバムは50万枚のヒットを飛ばした一方で、マッギーは利害関係の対立からバンドのマネジメントを降りたヒューイット、219頁。 |
| 同時にバンドは殆どのメンバーがヘロイン中毒になっていた。 |
| 「当時の彼らのエゴの発露ぶりを見るとレコードは4000万枚売れたと思えるかもしれないけど、実際は50万枚だった」とは、後年のマッギーの弁であるヒューイット、222頁。 |
ギヴ・アウト・バット・ドント・ギブ・アップ
| 『スクリーマデリカ』の一連のツアー後、バンドはアルバム制作のために、ラウンドハウススタジオへ6週間から2ヶ月ほど入った。 |
| まずマッギーは彼らにカバーをやってもらおうとスタジオを40時間抑えたが、上がってきたのは酷い出来の5曲のみであったヒューイット、223頁。 |
| バンドはイギリスを離れ、メンフィスで3ヶ月ほどレコーディングを行ったヒューイット、224頁。 |
| プロデューサーにはトム・ダウドが起用されたが、彼は全ての音をフラットにミックスしてしまい、新たにブラック・クロウズとの仕事で知られるジョージ・ドラクリアスがミックスを行ったヒューイット、217頁。 |
| 70年代中期のローリング・ストーンズを模倣したような内容の『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』は、1994年3月に発売された。 |
| 復帰したバレットの尽力もあって発売前に批判的なレビューは一切出ず、「ロックス」というヒットシングルも生まれたヒューイット、215頁。 |
| プロデューサーのダウドは酷くギレスピーを落ち込ませてしまったらしく、彼はこの後の3年間レコーディングされたどの曲も歌おうとしなかったヒューイット、224頁。 |
バニシング・ポイント
| 1996年秋、イネスの提案から6ヶ月の休暇を挟んだバンドには、解散したストーン・ローゼズからベーシストのゲイリー・モンフィールドが加入した。 |
| マッギーは「ここでバンドとしての在り方と自らの音楽を見直した」としているヒューイット、211頁。 |
| 「コワルスキー」を先行シングルに、『バニシング・ポイント』は1997年の6月に発売された。 |
| プロデューサーはブレンダン・リンチが務め、セカンドシングルになった「スター」ではオーガスタス・パブロがピアニカで参加した。 |
| 「コワルスキー」のミュージックビデオは、1996年のシングル「ザ・ビッグ・マン&ザ・スクリーム・チーム・ミート・ザ・バーミー・アーミー・アップタウン」で競演したアーヴィン・ウェルシュの監修の下、元ジーザス&メリーチェインのダグラス・ハートが監督を務め元ジーザス&メリーチェインのベーシスト。 |
| 、モデルのケイト・モスが出演した。 |
| 『バニシング・ポイント』は1971年アメリカで公開されたロードムービーで、公開から年月が経った当時でもカルト的な人気を持っていた。 |
ライオット・シティ・ブルース、ビューティフル・フューチャー
| 2006年6月に発売された『ライオット・シティ・ブルース』は、近作のエレクトロニクス路線から大きく転換したストレートなロックンロール・アルバムになった『ロッキング・オン』2006年6月号、ロッキング・オン社、2006年、50-51頁。 |
| 同年のフジロック・フェスティバルでは忌野清志郎が癌の再発の為に急遽出演をキャンセルしたため、出演が予定されていた2日目に続き3日目にはヘッドライナーとして代役を務めた。 |
メンバー
| ボビー・ギレスピー(BobbyGillespie、ボーカル、1962年6月22日-)。 |
使用楽器と演奏スタイル
| ギタリストのアンドリュー・イネスは「バンドの頭脳」と呼ばれ、『バニシング・ポイント』期のダブの導入、「ローデッド」のリミックス等、バンドの多様な音楽スタイルの転換は彼のアイデアに拠る所が大きい。 |
| ライブでは主にレスポール・ジュニアとマーシャル・アンプという組み合わせで、足元にはSPACEECHOローランド・RE-201。 |
| ギレスピーは1994年のインタビューで「ビーティはフォーク・ロックギタリストだったが、ヤングはブルージーでファンキーなアプローチを持ち込み、バンドをロックンロールバンドへ変えた」と話している。 |
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1975年
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学校を退学する頃には互いの一番の親友となっ... |
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かけていくつかのバンドに所属した |
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