| 1982年ごろからプリンスはバックバンドをザ・レヴォリューションと名付けた。 |
| それに伴いアーティスト表記もプリンス単独名義からプリンス・アンド・ザ・レヴォリューションに変わった。 |
| レヴォリューションはメンバーを若干変動させつつ1986年まで存続する。 |
| それから1990年までは特にバックバンドに呼称を与えない時期が続き、アーティスト表記も個人名義に戻る。 |
| 1991年、前年のツアーバンドをザ・ニュー・パワー・ジェネレーション(略称NPG)とし、再び個人名義でない表記(プリンス・アンド・ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション)を使い出す。 |
| NPGは現在も存続するが、結成時のメンバーは残っておらず、特定の音楽コンセプトの表象というよりは、バックバンドの代名詞となっている。 |
| プリンスは魅力ある女性を積極的に登用することでも知られ、シーナ・イーストン、キム・ベイシンガーやカルメン・エレクトラなどが挙げられる。 |
| その一方でマイルス・デイヴィスやジョージ・クリントン、ラリー・グラハム、メイシオ・パーカーといった著名なジャズやファンク系のミュージシャンとのセッションを行っている。 |
| また、マドンナ、アーニー・ディフランコ、グウェン・ステファニーやチャックDともレコーディングを行っている。 |
| 実現しなかった競演だが、マイケル・ジャクソンも「BAD」を当初はプリンスとのデュエットとして作曲し、プリンスにレコーディングの依頼をし会食の段階まで行ったが、終始険悪なままプリンスは「この曲は君一人で歌ったほうが良いよ」と丁重に断ったとされる。 |
| マイケルは2007年にも自身の復活ツアーへの出演をオファーした(が、プリンスが断った)。 |
| チャリティープロジェクトUSAフォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも参加予定だったが、トラブルを起こし警察の事情聴取を受けたためレコーディングスケジュールが合わず断念。 |
| 代わりにアルバム楽曲提供を行った。 |
| 1982年に2枚組アルバム''1999''をリリースしたプリンスはついにブレイクを迎える。 |
| 全米で400万枚を売り上げたこのアルバムからは''LittleRedCorvette''(6位)、''1999''(12位)、''Delirious''(8位)がシングルカットされ、全米チャートで初のトップ10入りを遂げた。 |
| 同時にMTVではじめてプロモーションビデオが放映された黒人アーティストとして、マイケル・ジャクソンとともに名を連ねることになる。 |
| なお、本作のCDは1枚で発売されたため、収録時間の都合上、1980年代から1990年代にかけて発売されていたCDからは''D.M.S.R.''が削られている。 |
| 1984年、同名映画のサウンドトラックとして''パープル・レイン''が発表され、プリンスのコマーシャル的な価値は頂点に達する。 |
| 発表初週に100万枚を売り上げたこのアルバムは、ビルボードチャートのトップに実に24週間も居座りつづけた。 |
| シングルカットされた''WhenDovesCry''、''Let'sGoCrazy''の2曲がシングルチャートで1位となり、プリンスは全米でのボックスオフィス、アルバムチャート、シングルチャートですべて1位を獲得するという偉業を達成する。 |
| なお、本作からは他に''PurpleRain''(2位)、''IWouldDie4U''(8位)、''TakeMeWithU''(25位)がシングルカットされている。 |
| また、''WhenDovesCry''は年間シングルチャートでも1位を獲得している。 |
| プリンスの自伝映画として製作されたこの映画は、6800万ドルの興行収入を得て週間ボックスオフィスで1位、年間で11位という堂々たる成績を収めている。 |
| なお、同年のアカデミー賞歌曲・編曲賞を受賞している。 |
| オスカー像はのちにプリンスが設立したペイズリー・パーク・スタジオの一角に大事に飾られているという。 |
| 全米で1300万枚、全世界で1500万枚を売り上げた''パープル・レイン''の収益でプリンスは独自レーベルであるペイズリー・パーク・レコードを設立する。 |
| 1985年にこのレーベルから''AroundTheWorldInADay''を発表。 |
| 前作とはがらりと作風を変えてきたこのアルバムも全米チャートで1位を獲得する。 |
| 翌1986年には監督をも努めた映画『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のサウンドトラックとして''Parade''を発表。 |
| 映画自体は興業的に失敗するものの、アルバムは全米で3位となり、シングルカットされた''Kiss''は全米1位を獲得する。 |
| このときのチャート2位がバングルスの''ManicMonday''であったが、この曲はプリンスがChristopherというペンネームで提供した曲である。 |
| バックバンドザ・レヴォリューションはこのツアーを最後に解散する。 |
| ちなみにプリンス・アンド・ザ・レヴォリューションの最終公演は横浜だった。 |
| この『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』は1987年のゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)で最低作品賞、最低監督賞、最低主演男優賞、最低助演男優賞(ジェローム・ベントン)、最低主題歌賞を受賞した。 |
| 1987年には、2枚組アルバム''Sign"☮"theTimes''を発表する。 |
| 同アルバムは最終的に1994年にワーナー・ブラザーズから発売されている。 |
| 1988年には''TheBlackAlbum''のアンサーアルバムとなる''Lovesexy''をわずか4か月の制作期間を経て発表するが、そのジャケットが物議をかもし、CDでの曲間ジャンプが出来ないようにアルバム全体が1曲扱いになっているという仕様(ただし発売国によっては異なる)のアルバムはセールス的には全米11位、売上50万枚と低迷した。 |
| 1989年、映画『バットマン』のサウンドトラックを担当する。 |
| サウンドトラックとされているものの、その実は映画にインスピレーションを得たオリジナルアルバムとなっている(ダニー・エルフマンによる映画オリジナルスコア楽曲集は別途発売)。 |
| 同名のサウンドトラックではザ・タイム、ジョージ・クリントン、テヴィン・キャンベル、メイヴィス・ステイプルズをフィーチャーしているが、チャート6位、売上50万枚とふたたび低迷する。 |
| 1991年にはバックバンドにザ・ニュー・パワー・ジェネレイションを従え''DiamondsandPearls''を発表。 |