| 2月、ガールズバンド結成のための楽器ごとのオーディションがTDKレコード主催で行われ、5人のメンバーが選出され、結成。 |
| 当初のバンド名は「赤坂小町(あかさかこまち)」。 |
| このバンド名の由来については、「当時のTDKレコードの所在地であった『赤坂』から」、「『漢字4文字のバンド名をつけてほしい』と依頼されたある雑誌編集者によって名付けられた」、「雑誌上での公募で付けられた」など多くの説がある。 |
| 5月29日、銀座の山野ホールで初ライブを行う。 |
| 4月から、西日暮里で合宿生活を開始する。 |
| 合宿開始当初(1983年ごろ)は、同じ事務所に所属していた木之内美穂とともに合宿生活をしていた。 |
| この合宿生活は2年4カ月にも及んだ出典『プリンセス・プリンセスだった!』富田京子著(史輝出版)42ページ。 |
| 3月21日、TDKレコードより、シングル「放課後授業」でデビュー。 |
| この前後、奥居は「ヴォーカル・ベース」から「ヴォーカル・ギター」に、渡辺は「ギター」から「ベース」に、それぞれパート変更する(パート変更の時期は、富田によると「放課後授業」のリリース前出典『STARBOXARTISTFILE』(シンコーミュージック)16ページ、渡辺によると同シングルのリリース後出典『いつも心にDIAMONDS』渡辺敦子著(ビー・アール・サーカス)44〜46ページとされており、ライブ年表によると、「放課後授業」発売の約1ヶ月半後の1984年5月8日のシャープ会館イベントがパートチェンジ後の初ライブとされている出典『PRINCESSPRINCESS』(シンコーミュージック)39ページ)。 |
| 事務所が与えるアイドル的な仕事に違和を覚えたことや、音楽性の違いから、所属事務所をTDKレコードから音楽座(ミュージカル劇団音楽座とは別の事務所)へと移籍する。 |
| ここでバンド名を「JULIANMAMA(ジュリアンママ)」に改名する。 |
| JULIANMAMA時代はシングル、アルバムのリリースは無かった。 |
| 5月、ミニアルバム『Kissで犯罪(クライム)』でCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりデビュー。 |
| この時バンド名を「PRINCESSPRINCESS」へと再び改名する(名づけ親はムーンライダーズの岡田徹)。 |
| この『Kissで犯罪』のプロモーションビデオを事務所関係者が見たことがきっかけで、シンコーミュージックが彼女らへの接触、移籍交渉を開始することになる。 |
| 8月、シンコーミュージックで移籍のためのオーディションが行われるが、この時点では移籍には至らなかった。 |
| 音楽座サイドがプリプリを手放そうとしなかったことや、オーディションを見た社員の反応があまり良くなかったことが原因であった。 |
| だが当時シンコーミュージックの社員で、後に彼女らのマネージャーになった「市ヤン」こと市村恵美子は、彼女らのライブを生で見て「このバンドはいける」と思い、社長の説得にあたった。 |
| 11月、所属事務所であった音楽座との意見の相違等もあり、音楽座との話し合いをへて音楽座からシンコーミュージックに移籍する出典『プリンセス・プリンセスだった!』富田京子著(史輝出版)30〜35ページ・『STARBOXARTISTFILE』(シンコーミュージック)20〜22ページ。 |
| 4月、ファーストシングル「恋はバランス」が発売される。 |
| この曲は、作詞は中山が担当したが、作曲は鈴木キサブローによるものだった。 |
| 当時メンバー内では、部外者が作曲した作品をリリースすることついての抵抗がかなりあったらしく、以後はメンバー自身が作詞・作曲した曲をリリースすることにこだわり続けた。 |
| 3rdシングル「MYWILL」が、スポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用されたことをきっかけとして注目を集め、フジテレビの夜のヒットスタジオDELUXEに初出演を果たす。 |
| 初登場時は電飾を使ったセットが用意され、これは彼女らに余計に緊張を与えたという。 |
| またこの番組は、渡辺にとって昔からの憧れの番組であり、また「何度出ても緊張する番組だった」と後に語っている。 |
| 出典『いつも心にDIAMONDS』渡辺敦子著(ビー・アール・サーカス)55ページ。 |
| 2月、後にバンドの代表曲の1つとなる4thシングル「19GROWINGUP-odetomybuddy-」をリリースする。 |
| この時期からたびたびテレビドラマやCMのタイアップに起用されるようになり、バンドの知名度、CD売上も上昇していく。 |
| 5月、5thシングル「GOAWAYBOY」リリース。 |
| 資生堂春のキャンペーンソングに起用される。 |
| 続く6thシングル「GETCRAZY!」も月9テレビドラマ『君が嘘をついた』の主題歌に起用された。 |
| 11月、4thアルバム『LET'SGETCRAZY』リリース。 |
| 収録曲の「M」は後にリリースされるシングル「Diamonds」のカップリング曲にもなり、バンドを代表する曲のひとつとなる。 |
| 同年4月、結成当初から目標の一つとしていた渋谷公会堂ライブを行う。 |
| チケットは発売開始からわずか2時間で完売し、これを聞いたマネージャーの市村はメンバーより先に泣いたというエピソードがある。 |
| 1月、女性だけのバンドとして初の日本武道館公演を行う(翌年より正月に公演が行われるようになり、以後96年まで毎年行われた)。 |
| 4月、7thシングル「Diamonds(ダイアモンド)」をリリース、オリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーを記録する。 |
| 7月、既にEP盤として発売されていた2ndシングル「世界でいちばん熱い夏」がCD化され、オリコンチャートで1位を獲得。 |
| カップリング曲の「世界でいちばん熱い夏(平成レコーディング)」は、ライブで演奏していたアレンジをレコーディングしたものである。 |
| 6月1日発売のユニコーンのアルバム「服部」に奥居がPSY・SのCHAKAと共にコーラスで参加。 |
| 8月、西武球場で初のスタジアムライブを含む「夏祭りだよ!全員集合」(ライブ)が行われる。 |
| 8月2日、『徹子の部屋』に初出演。 |
| 11月、5thアルバム『LOVERS』リリース、オリコン・アルバムチャートで初の1位を獲得し、ミリオンセラーとなる。 |
| 中山が亡き父へのメッセージとして作詞した「パパ」、ポップなナンバー「パレードしようよ」などが収録されている(ちなみに、「パレードしようよ」の歌詞の最後に出てくる「パレード1991」というのは、「その頃には結婚できたらいいな」という願望から出たフレーズである)。 |
| 夜のヒットスタジオ騒動1989年10月18日、生放送の『夜のヒットスタジオSUPER』第1回目で、新しく司会として起用された加賀まりこが、奥居に対して「ブタ」「生理中なんじゃないの」という発言をする。 |
| これに対し奥居は、同日番組終了後に生放送されたTBSラジオ『ポップン・ルージュ』で加賀の言動に激怒する。 |
| メンバーの恋人の存在が写真週刊誌に掲載された直後の同年11月15日出演時では、生放送中に加賀がそのことに打ち合わせなしで言及し、奥居がその夜の『ポップン・ルージュ』内で再び激怒。 |
| その後メンバー全員が『夜ヒット』への出演を拒否する事態に発展し、その後同番組に出演することはなかった(だがレギュラー放送終了後、1993年3月31日に放送された特番では病欠中だった今野を除くメンバー4人で生出演し、また1994年10月12日放送の特番には「夜ヒットの思い出」として奥居がVTRでコメント出演をしている)。 |
| 12月、6thアルバム『PRINCESSPRINCESS』リリース。 |
| バンドとしての活動を大事にしていたため、デビューから長らくソロ活動は控えていたが、4月に今野がシングル・アルバム「24Hours」でソロデビューをしたのを皮切りに、メンバーが続々とバンド活動と並行してソロ活動を開始した。 |
| 奥居(現:岸谷香)は歌手活動の傍ら作曲家として、中山はソロ活動の傍ら作詞家として、他アーティストに楽曲を提供している。 |