| 大学卒業後はポラロイド社に就職しプロダクト・エンジニアとなった。 |
| 仕事の傍ら、電気工学の知識を生かして自宅アパートに多重録音可能なスタジオを構築、そこで作り上げたデモ・テープがCBSRecordsに認められ、デビューの運びとなる。 |
| 2006年現在、素人でもたやすく取り扱えるようになっているコンピュータ上での音楽操作総称してD.T.M.と言う。 |
| 具体的にはデジタル録音(デジタル・サンプリング技術)、デジタル・エフェクト処理(音素材がデジタル化されて初めて真価を発揮する)、デジタル・マスタリング技術、MIDI(デジタル楽器を統合するインターフェースの規格)等)などプロ用機材ですら実用レベルでは存在しなかった時代であることを忘れてはいけない。 |
| ほとんどショルツ一人で作ったという話をCBS側はにわかには信じず、後で「実は…」とバンドのメンバーが明かされるのではと期待していたと言われることの真偽は話半分の伝説だとしても、それ程にショルツの総合能力が高かったという証左であろう。 |
| デモテープを聞いたCBS側の担当者は「現存するあらゆる(ロック・ミュージック)作品の中で、最も素晴らしい作品である」と評価したと言われる。 |
| アルバムの制作はショルツの完成度の高いデモ・テープの内容を、プロのスタジオのクオリティで忠実に再現することに費やされた。 |
| ブラッド・デルプのボーカル以外はほとんどすべての楽器をショルツ自身が演奏しており、バンドのメンバーはデビューにあたってライブ活動を行なうために集められた。 |
| 当初はライブ活動のことは念頭になかったショルツであるが、アルバムの発売に合わせてツアーを敢行することでプロモートとし、アルバムの売上を確実なものへとするのが当時のセオリーであったので、当然ツアーはするものと考えていたレーベルの強い勧めに従って急遽オーディションを行ったと言われている。 |
| 再録音にあたっては、デモ・テープ同様ブラッド・デルプによりボーカルが付けられた(メインボーカルだけにとどまらず、ハーモニーやあらゆるコーラスはデルプによるもの)。 |
| またシブ・ハシアンとジム・マスデアによってドラム・パートが録音され、バリー・グドローによる印象的なリードギターも付け加えられた。 |
| それらの音源を持って、ショルツは自身のスタジオにこもりミックス作業に没頭する。 |
| しかしレーベル側からの「プロのクオリティで」という強い圧力はかかり続けた。 |
| EpicRecordsから立てられた音楽プロデューサーのジョン・ボイランはこの問題を解決するため、集められたバンド・メンバーによるレコーディングを「1曲だけ」プロのスタジオで行い、レーベル側の目くらましに利用したと言われる。 |
| 全曲さまざまな音源を何重にも重ね、独特の分厚い重厚感を持たせた楽曲群だが、多重録音には不可欠と言われるリズムボックスすら一切使用せず、曲のテンポは全て「手拍子」で測っていた。 |
| ただしそのことにより、いわゆる「一発録り」的な迫力が生まれ、ほとんどショルツ一人の演奏であるにもかかわらず、あたかもビッグバンドであるかのような迫力あるサウンドとなっている。 |
| しかし、逆にショルツ一人が関わったミックス作業には、大変な労力が必要となった。 |
| アルバム・ジャケットに刻印された「NoSynthesizersUsed(シンセサイザー使用せず)」「NoComputersUsed(コンピュータ使用せず)」という有名なクレジットは決してハッタリではなく、その綿密に手を加えられた音源と、膨大な時間と労力を費やしたミックス作業を物語るものである。 |
| 後の2006年、デビューアルバム『幻想飛行』発売30周年記念として、ショルツ自身によるデジタル・リマスターが『幻想飛行』『ドント・ルック・バック』の2枚のアルバムに施され話題となり、今の「CD時代」に合わせ音質は向上したが、そもそもこの「30年前の録音〜ミックスのクオリティの高さ」がかえって浮き彫りとなった。 |
| 1976年、こうしてできあがったファースト・アルバム『幻想飛行』は、シングル・カットされた「宇宙の彼方へ(MoreThanAFeeling)」と共にヒット・チャートを駆け上がる。 |
| アルバムは全米3位を獲得し、同年だけで100万枚を売り上げ、2003年までに通算1700万枚のセールスを記録、アメリカン・ロックの新しい時代を開く歴史的作品となった。 |
| 1978年、ツアーの合間を縫って慌ただしく制作されたセカンド・アルバム『ドント・ルック・バック』も全米1位の大ヒットを記録する。 |
| 本作は各バンドメンバーのクレジットがあり体裁上はバンドの形を取っているが、実際には全てショルツの指示通りプレイされているなど完全にショルツのコントロールが行き届いていた。 |
| この意味で、当時のA.O.R.界を席巻していたスティーリー・ダンに近いと理解するのが正しいのかも知れない。 |
| 次作の発表が待ち望まれたが、完璧主義者のショルツのレコーディング作業はなかなか進まず、ついにはCBSRecordsに契約不履行で訴えられ長期間の法廷闘争に突入、ボストンの活動は一時停止する。 |
| 数度にわたる洪水で地下のスタジオが水浸しになったとか、発明に没頭していたと噂は絶えなかった。 |
| この間、ショルツはロックマン・ブランドのギター・アンプやエフェクターを開発・販売する。 |
| 「これ一台でボストンと同じ分厚いギターの音が出せる」というのが特徴。 |
| 中でもヘッドホンアンプはその手軽さからヒット商品となった。 |
| これらの商品開発でいくつかの音響工学関連の特許を取っている(現在はロックマンのブランドを他者に売却している)。 |
| さらには、「留守中の植物への水やり機」「絶対にチューニングの狂わないギター」など特許は数多くとっているという。 |
| 法廷闘争が決着しMCARecordsへ移籍した1986年、アルバム『サード・ステージ』を発表。 |
| シングル・カットされた「アマンダ」が全米1位を獲得し、アルバムも2作連続で1位を記録。 |
| その後も悠々自適のペースでアルバムを制作、1994年に『ウォーク・オン』、1997年のベスト盤をはさんで、2002年にArtemisRecordsから最新作『コーポレイト・アメリカ』を発表している。 |
| 約30年のキャリアでオリジナル・アルバムが5枚しかないという寡作ぶりである。 |
| 全てのアルバムに「NoComputers」とクレジットが入っていることは有名。 |
| 「NoSynthesizers」のクレジットはアルバム『ウォーク・オン』にて外された(「LivingForYou」でシンセサイザーによるストリングス=ストリングアンサンブルが使用されているため)。 |
| 2007年3月9日に元リードボーカルのブラッド・デルプが亡くなった。 |
| この時間デルプはニューハンプシャー州アトキンスの自宅に一人でおり、争った形跡などはなかったという。 |
| 地元メディアのウェブサイトなどによると、デルプはボストンの夏のツアー・コンサートと自身の結婚に備えていた時期だったという。 |
| 死の数時間後にはボストンのウェブサイトに"We'vejustlostthenicestguyinrockandroll."というシンプルな追悼メッセージが表示された。 |
| 14日、ニューハンプシャー州警察の発表およびロイター通信によるとが発表したところによると、遺体が発見された浴室には車の排気筒からホースが引き込まれており、検死の結果、デルプは一酸化炭素中毒による自殺であることが判明した |
| また、この件によって2007年夏のボストン全米ツアーは中止になったことがバンドからアナウンスされた。 |
| →代替メンバーによりツアーが再開されることがアナウンスされた。 |
| 2008年、ストライパーのマイケル・スウィートが参加しツアーを行った。 |