| 会社を経営する父の33人兄弟の3番目の子ナイジェリアでは一夫多妻制が認められているため、父サンバ・オロゴンには6人の妻がおり、ボビーの上には兄と姉が1人ずついる。 |
| なお、兄・姉・ボビーは第一夫人の子であるとしてナイジェリア第3の都市イバダン市に生まれる。 |
| なお、オロゴン家は敷地面積300坪以上の豪邸を持つ地元の名家である。 |
| 父親には非常に厳しく育てられ、悪いことをするとムチで叩かれる体罰を受けていた。 |
| 本人曰く「中学を卒業する頃まで毎日叩かれて」おり、今でも父親を恐れている。 |
| また、母親もかなり厳格だった。 |
| 因みに、父親はボビーより体が大きく、身長は200cm程あり、母親も175cmある。 |
| ナイジェリアの国立大学を卒業後、父が経営する貿易会社の手伝いでドイツを始め世界各国を回り、1995年に糸の買い付けを目的に初来日。 |
| 500万円とパスポートをバスの中に置き忘れる事件を起こしたが、幸運にも戻ってきて糸を買い付け帰国。 |
| このとき、日本人の優しさに感動したという。 |
| 著書によると、父親が親日家で子供の頃から「日本人は皆優しく正直でいい人たちだ」と聞かされていたため日本に興味を持っており、この事件の際に「父の言葉は本当だった」と思ったとのこと。 |
| 1998年にタイヤチューブ買い付けのため再来日するも、資金をパチンコで使い果たしたうえ、日本の自動車のタイヤはチューブを使用しないタイプが多いことが判明したため買えず、そのまま日本にとどまる。 |
| 1999年、居酒屋でナンパして出会った保険会社勤務の日本人OLと、ナイジェリアで挙式。 |
| 父からはタイヤチューブについて問い詰められることもなく、再び来日。 |
| 1999年に長男ジョイ誕生、2年後に長女ローズ誕生。 |
| この2人の子は後に複数の番組で親子テレビ出演を行い、事実上の芸能活動を開始することになる。 |
| さらにローズの下に妹が2人おり、実質4児の父である。 |
| 2001年、代官山のカフェの厨房でアルバイトをしていたころ、TBSの『さんまのSUPERからくりTV』の「ファニエスト・ジャパニーズ」のコーナーに、素人として初めて出演。 |
| のち同番組の企画「セインのファニエスト外語学院」に学院生としてレギュラー出演するようになる。 |
| 「ボビーと思います」「もす!」など無茶苦茶な日本語と天然ボケが評判となり、ファニエスト外語学院は『からくりTV』きっての人気企画となった。 |
| 2004年1月21日、ファニエスト外語学院の先生セイン・カミュ、生徒のアドゴニー・ロロ、アミールらとともにTheStudentsの一員として初CDシングルの『ハトマメ〜SayHelloToTheWorld.〜』をポニーキャニオンよりリリース。 |
| 作詞・作曲・プロデュースは槇原敬之、振り付けはKABA.ちゃん。 |
| またこの年からは格闘家としても活動を始め、「史上最強の素人」「最強の初心者」とも呼ばれるようになる。 |
| 2005年からは本格的なタレント活動を始め、『いきなり!黄金伝説。 |
| 』『森田一義アワー笑っていいとも!ゲスト出演する度にいつも総合司会のタモリから声マネをされている。 |
| 』などにゲスト出演した。 |
| 同時期に「からくりTV」からは卒業し、ファニエスト外語学院はボビーに代わる人気者が現れず自然消滅した。 |
| 2006年1月、出演料などをめぐり所属事務所のアールアンドエープロモーションと対立し、事務所内で暴れジョン・ムウェテ・ムルアカに軽い怪我を負わせたとされる。 |
| 以降、芸能活動の休止を余儀なくされていたが、同5月、アールアンドエープロモーションからの独立を宣言。 |
| 同社は契約が2007年末まで残っているとして対立。 |
| マネージャーも事務所から解雇された。 |
| ところが7月に一転して新たな芸能事務所フェイスネットワークへの「円満移籍」が報じられた(2008年4月、フェイスネットワークから芸能部がプラチカに分社化するに伴いプラチカに転籍)。 |
| 2011年1月にはアレムコプロダクションへ移籍した。 |
| 2007年、日本に帰化。 |
| 妻の姓 |
| 弟のアンディは兄の帰化に関して「複雑な気持ち」とコメントしている。 |
| 『世界の果てまでイッテQ!』番組内でナイジェリアを訪れ厳格な父に国籍帰化の報告を行った際は、最初は父も「勝手なことをして!なぜオロゴンの名を持たない人間がこの家にいるんだ」と怒っていたが最終的には了承された。 |